四通目 その音が繋ぐもの 3
振り下ろされた剣を、持っていた剣で受け止める。
金属のぶつかり合う音が森に響いた。
不意打ちで刺された腹から血が吹き出る。
「走れ、アリス!」
後ろを振り返らず、叫ぶ。
「で、でも、そしたらダリルが……」
「いいから……早くいけっ!」
枝を踏む小さな足音が、森の奥へ遠ざかっていく。
「おい!女が逃げたぞ!」
目の前には自分より格上の冒険者が五人。
ダリルは剣を握り直す。
誰一人、行かせない。
たとえ、ここで死んでも。
――チリン。
渡せなかった鈴が、小さな音を立てた。
§
チリン。
郵便鞄の中から、小さな鈴の音が響く。
その瞬間、右目が熱を持つ。
「嘘だ」
自分の口から、自分のものではない言葉がこぼれた。
「お前らは、最初からアリスを狙って付けてきたんだ」
俺の中に、知らない記憶が流れ込んでくる。
「帰り道で待ち伏せて、いきなり斬りつけてきた」
その声は、憎悪に満ちている。
「そして、そのまま――」
――悠くん。
頭の奥で、誰かが呼ぶ。
顔を上げる。
自分が刺されたわけではないのに、腹の傷がじぐじぐと痛んでいる気がした。
背中は汗でぐっしょりと濡れている。
右目は、まだ熱いまま。
無意識に、鞄に手を入れる。
指先に触れたのは、青年から預かった小包。
触れた、その瞬間。
小さく、鈴が鳴る。
知らない言葉が頭の奥に浮かんだ。
『どこにいても、見つけられるように』
……あぁ。
これは、あの子に渡すつもりだったのか。
襟首を掴まれる。
知っている香りが、鼻腔をくすぐった。
「……お前は、一体誰だ?」
「俺ですよ……レーヴェさん。……朝倉悠」
マリアベルは眉をひそめたまま、しばらく俺の顔を見つめていた。
「……急に訳のわからないことを口走って」
襟首を掴んだまま、ぐいと顔を近づけてくる。
長い睫毛の本数を数えられる程に。
「あなた……気持ち悪いわよ」
……。
その声はいつも通り冷たい。
けれど。
「はぁ……ユウ、あなた顔色が悪いわ。こいつらを衛兵に渡したら、今日は休むわよ」
ため息混じりのその言葉は、どこか暖かかった。
§
「それで」
ゴロツキ四人を詰所に引き渡したあと。
「何を見た?」
宿の食堂で、追及される。
どこまで話すべきだろうか。
ダリルの記憶を見て、はっきりわかったことが一つ。
この小包の届け先は、アリスという少女だ。
そして――その少女は恐らく森にいる。
預かった小包を届けるためにも森へ行きたい、のだが……。
目の前の執行官をちらと見る。
険しい目つきでこちらを見ながら、指で机を叩いている。
俺が何か話すのを待っているのだろう。
アリスのことを話すのは構わない。
あの子は被害者だ、何か悪いことをしたわけじゃない。
ただ、「森へ行きたい」と言っても当然だが許可は出ないだろう。
かと言って勝手な行動をする訳にもいかない。
どうするか……。
一人で勝手に悩んで、黙っている悠に痺れを切らしたのだろう。
マリアベルが机を叩いて立ち上がる。
「森へ行くわよ」
「えっ」
「どうせ、森に行きたいとか思ってたんでしょ。それなら、一人で勝手に行かれるよりついて行った方が幾分かマシよ」
チリン。
鞄の中で鈴が鳴った。
◇
静かな森の中に、私の呼吸の音が響く。
ダリルと別れてからどれだけ走っただろう。
最後に見た彼の背中からは、たくさんの血が流れていた。
それなのに、私を逃がすためにあの場に残ることを選んだ。
私なんかのために。
「ダリル……ダリルぅ……」
声が震える。
喉の奥が痛い。
足が止まると、途端に体の震えが止まらなくなった。
怖かった。
置いてきてしまったことが。
振り返らなかったことが。
最後に見たダリルの背中を思い出し、涙がぼろぼろと零れる。
拭おうとした、その時だった。
ぱきり、と。
乾いた音が森に響く。
「……っ!」
呼吸が止まる。
振り返ると、木々の奥。
暗い影の向こうで何かが動いた。
弾かれたように走り出す。
「見つけたぞ、クソガキィ!」
草が激しく揺れる。
重い足音が、迫る。
逃げなきゃ。
私を残すためにあの場に残ったダリルと、もう一度会うために。
大丈夫、ダリルは生きている。
自分にそう言い聞かせないと、もう走れそうになかった。
§
どれだけ走っただろう。
後ろからの足音は少しずつ近づいてきている。
追い詰めるのを楽しむように、じわりじわりと。
息が切れる。
肺が、焼けるように痛い。
今自分がどこにいるかもう、わからない。
やがて木々が途切れた。
視界が開け、目の前には川が広がる。
急に変わった足場に、足がもつれた。
「ぁ……」
倒れていく身体に、背中から重い衝撃が加わる。
「ようやくだぁ」
男の手が、私の首を掴む。
そしてそのまま、地面に押し倒された。
泥の匂い。
荒い息。
「よく逃げたじゃねぇか」
耳元で男が笑う。
「でもよ」
言葉の途中で、首を絞められる。
息が苦しい。
視界が、滲む。
もがいた、その時。
手が腰に触れた。
腰に下げた、短剣に。
必死に短剣の柄を握る。
そして、そのまま――。
……気づいた時には、力の抜けた男の身体が私に覆いかぶさっていた。
顔が温かいものに濡れている。
呼吸ができない。
肺が、新鮮な空気を求めている。
心臓が、張り裂けそうだ。
短剣を持つ手が震えている。
「あ、ぁああああ…………」
自分が何をしたのか理解した瞬間、胃の奥がひっくり返った。
掠れた声が、喉から零れる。
必死に、動かなくなった男の身体を押し退けようとする。
重い。
動かない。
それでも、必死で押し退けた。
そして、男の身体が川の中へ落ちる。
水の跳ねる音だけが、辺りに響いた。
§
それからのことはよく覚えていない。
川の流れる音だけが、森に響いている。
水は絶えず流れているのに、私の手だけが動きを止められない。
水を掬って、手にかける。
赤い。
違う。
もう血なんて落ちているはずなのに。
指の間を擦る。
爪を立てて、皮膚を擦る。
痛い。
それでも、赤い。
「違う……違う……」
声が震える。
何度擦っても、指の隙間から赤いものが滲んでくる気がした。
身体についた血も、手についた血もとっくに落ちているはずなのに。
それでも。
その手はまだ赤く染まっているように見えた。
「なんで……どうして……」
ダリル……。
川面が揺れる。
思い出すのは、少し困ったように笑う顔。
『アリスは目を離すとすぐどっかいっちゃうからな』
そう言って、いつも手を握ってくれた。
『ほら、またどっか行こうとしてる』
そう言って、頭を軽く叩かれたこともあった。
怒っているようで、少し笑っていた。
いつも。
私がどこかへ行かないように、手を握ってくれていた。
それなのに。
私は、彼を置いてきた。
「ダリル……」
彼を呼ぶ声が震える。
助けに行かなきゃいけないのに。
ダリルは、あの場所で戦っているのに。
それなのに。
足が、動かない。
身体が震えている。
怖い。
森の奥へ戻るのが、たまらなく怖い。
――チリン。
その音に、アリスは顔を上げた。
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