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女神という名の中間管理職が限界らしいので、代わりに俺が仕事を引き継ぐことになりました。~届かなかった想いの配送記録~  作者: はやかわ


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三通目 善意の簒奪者 3

 マーサは私があの家に入るのを拒絶している。

 そう考えるまでに時間は然程掛からなかった。


 初日から何かと理由を付けて外へ出されていたが、村の女性を使ってまで私を異物として排除しようとするとは思わなかった。


 納屋から外へ出れば、村人が私に頼み事をしようと群がってくる始末だ。

 頼られるのは悪いことでは無い。人々を助けて回るのも神官としての仕事だ。だが、今はまずい。

 このままではユウがユウでないものになる、そんな予感がある。


「はぁ、女神ユエは何を考えているのかしら」


 この村に来てから、いや、少女の件があってから、女神と話している姿をほとんど目にしていない。

 人の目を気にしていると言えばそれまでだが、私の前ですら話さなくなった。今更隠してもしょうがないというのに。


「……ただ教会本部につれていくだけなのに、ままならないものね」


 小さく滲む、赤き月に祈りを捧げる。

 あの男の無事を。


 ◇


 皿の触れ合う音が、台所から聞こえた。

 

 気づけば、部屋へ向かっていた。

 スープと焼けたパンの匂いが廊下まで残っている。

 扉を閉めると、それも途切れた。


 部屋は静まり返っていた。


 床に畳まれたままの制服。

 椅子に掛けられた外套。

 薬瓶の並んだ棚。

 そして、インクの滲んだ机。


 ――手紙。


 自然と、引き出しを開けていた。

 二つ折りの紙が、そこにある。


 ……違う。


 手が、震える。

 

 それでも、指先はそっと紙を開いた。


 そうだ、俺は――


 右目が、熱を帯びる。

 焼け付くようなそれに、意識が揺らいだ。


 そこには二行だけ。その下は、白い。


 右目の熱は収まらない。

 空白の中に、微かな滲みが浮かぶ。

 

 ペンはなかった。

 なのに、指先が動いた。


 空白の上に、俺の癖じゃない文字の輪郭が浮かぶ。

 書いていないのに、読めてしまう。


 ――母さん、ごめん。


 その一文だけで、胸が詰まった。

 これは俺の言葉じゃない。

 なのに、俺の心臓が痛む。


 俺も、母に何も言えないまま死んだ。

 あの日の、アスファルトの冷たさを思い出す。


 指先が、勝手に折り目をなぞる。

 そこに、俺の筆跡に似た文体の続きが浮かびかける。

 俺は慌てて紙を閉じた。


 息を吐き、目を閉じる。

 もう一度、あの空白を思い浮かべる。

 右目が疼く。


 手紙をそっと机に置いた。

 これは俺のじゃない。

 なのに、俺の言葉が混じりかけていた。


 椅子に腰を下ろす。

 部屋は同じはずなのに、どこか他人のものみたいだった。


 右目の奥に、わずかな熱だけが残っている。


 俺は、朝倉悠だ。

 それだけでいい。


 §

 

 どれくらいそうしていたか、わからない。

 立ち上がると、足は僅かに軽くなっていた。


 部屋を出て食卓へ向かうと、マーサが食事を並べていた。


「あぁ、今呼びにいくとこだったよ。昼飯、食うだろ?」


 一瞬、声が遠い。

 それが自分に向けられていると気づく。

 マリアベルは、ここにはいない。


「……はい、いただきます」


 椀を持つ手は、まだ自分のものだ。


 ひと口、啜る。

 熱い。

 

 パンをちぎり、黙って食べ進めた。


 気付けば、椀は空になっていた。

 それでも、匙は止まらない。

 皿の底を擦る。乾いた音が走る。


「なんだい、行儀の悪い子だねぇ」


 マーサがくすりと笑う。

 そのとき初めて、自分の手に気づいた。


 そっと匙を置く。

 顔を上げると、マーサと目が合った。

 変わらない、優しげな目をしている。


「……この後、少し納屋へ行ってきます」


「なんだい、急に」


「バイクの調子も、見ておきたくて」


「バイク……? あぁ、あの子の魔道具かい」


 あの子。この人の言うあの子とは誰なんだろう。


「壊してくれるんじゃないよ」


 そう言って、またくすりと笑った。


 立ち上がる。

 足取りは、思ったより軽い。


 §

 

 戸を開ける。


 納屋のひやりとした空気が、肌を撫でる。


 中は薄暗い。

 隙間から差し込む光が、埃を浮かせている。


 センタースタンドで立っているバイクに、ゆっくりと近づく。


「……あなた、まだユウ=アサクラよね?」


 ハンドルに手を掛ける直前。

 彼女の声が聞こえてくる。


「そうですよ、朝倉……悠です」


「そ。それならいいんだけれど」


 そうして、ハンドルに手を掛けた。

 力を込める。

 軋む音を立てて、スタンドが跳ね上がった。


 支えたまま、息を吐く。


 軋みも、音もない。


 それでも。

 右目の奥が、わずかに疼いた。


 光を反射したヘッドライトが、ただこちらを見ている。


 ……気のせいかもしれない。


 支えたままキーを回す。

 インジゲーターに小さく灯りが入る。


「……私に一言の断りもなし?一応、あなたの監査官なんだけれど」


「あぁ、すみません。ただエンジンの調子だけ見たくて」


 嘘だ。

 カブに触れば、エンジンの音を聞けば自分を思い出すと思ったからだ。


「まぁ、別にいいのだけれど」


 セルを押し込む。

 キュルキュルと唸るだけだ。


 もう一度。

 音はすぐに途切れた。

 指を離す。


 一度息を吐き、キックペダルを踏み込む。


 重い反発。

 次の瞬間、低い音が納屋に響く。

 震えが、掌と足裏に伝わった。

 マリアベルがびくりと肩を震わす。

 まだこの音に慣れないらしい。

 

 右手をわずかに捻る。

 音が軽く跳ね上がり、すぐに戻る。


 一定の振動が続く。


 掌に伝わる震えを、そのまま受け止めた。


 鞄の重みを思い出す。


 足でセンタースタンドを踏み下ろすと、小さく弾むようにして、車体が安定した。


 エンジンを切る。


「……満足したかしら?」


 振動が止み、納屋に静けさが戻る。

 戸を開けると、冷えた空気が押し戻された。


 そのとき、外から声が届く。


「今の音……マーサんとこだろ?」


「だろうな。あの妙な旅人じゃないか?」


 笑う声。

 それに混じる、ひそひそ声。


「……崩落現場に、あそこの薬が散らばってたって話だ」


「聞いた聞いた。あの子、薬抱えて山道出たんだろ」


「親孝行のつもりだったらしいがな」


「結果がアレじゃあな……」


「マーサも気の毒だが……まあ、仕方ねえさ」


 笑い声が、乾いた枝みたいに折れた。


 言葉が、耳の奥で冷えていく。


「……余計なこと、考えるんじゃないわよ」


 戸を閉めかけた手が止まった。

 指先に、さっきの振動の残りがある。


「……わかってます」


 足音が遠ざかる。


 戸の軋む音が、やけに大きく聞こえた。

 

「ユウ?」


 家の中から声が飛ぶ。

 肩が、わずかに跳ねる。


 息を吐き、戸を閉めた。


 §


 家に入ると、居間に立つマーサが目を丸くしている。


「さっきの音はなんだい」


 一瞬、言葉が止まる。


「……バイクのエンジンです」


「バイクの……なんだって?」


「動かすための中身みたいなものです。……心臓みたいな」


 自分でも、変な言い方だと思った。


「ふぅん……」


 マーサは腕を組み、納屋の方へちらりと目を向ける。


「家が揺れたかと思ったよ。地震かと身構えちまったじゃないか」


「すみません。少し、吹かしすぎました」


「ほどほどにしておくれよ。あたしの腰のほうが先に壊れちまう」


 鼻を鳴らし、笑う。


「それに……あの子も、うるさいのは嫌いだったからね」


 ふと、遠くを見る。


「……帰ってきますよ」


 一拍遅れて、自分が言ったのだと気づく。

 マーサの手が、椅子の背で止まる。

 何かを待つみたいに。


「……何を、言ってるんだい」


 声は震えていた。


「帰ったら、ちゃんと謝るって。待ってて――」


「やめとくれ」


 拒絶の言葉に遮られる。

 言葉の続きは、どこかへ消えた。


「そういう話は、しないでおくれ。……あたしは、今のままでいいんだ」


 唇を噛む。


「今は、そっとしておいてほしいんだよ」


 椅子の背に置かれた指先が、わずかに白くなっていた。


 ――帰るって言っただろ。


 声は、俺の内側で響いた。


 俺の言葉は、どこにもなかった。


 外の声は、もう聞こえない。

 それでも、さっきの笑い声が、耳の奥に残っている。


 §


 幸い、マーサは俺に出ていくようにとは言わなかった。

 居場所がなくならずにすんだ。息を吐き、椅子に腰を下ろす。

 安心している。その事実が、胃の奥に重く沈んだ。


 なんだ、それ。

 俺はまた、救われる側に立っている。


 胃の奥に沈みこんだものが、じくじくと蠢く。

 助かった。追い出されなかった。ここにいていい。

 そう思った瞬間、喉の奥に苦味が込み上げた。


 傷つけた挙句、また救われてしまった。


 あの日、傷つけられる幼馴染を前になにもできなかった。

 自分がそちら側に行くことを恐れ、手を伸ばせなかった。

 それでも、自分が生きてることに安堵した。


 あの日から、何も変わっていない。

 救われる側にいるだけの自分だ。


 椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。

 窓から昼の光が差し込み、室内を明るく照らす。

 その光は朝よりも濃く、鈍く俺のことを突き刺した。


 右目の奥がじくりと疼く。

 俺にどうしたいのかと、問い掛けるように。

 幼子にするように、優しく問いただされている。

 そんな気がした。


 そんな問いなど関係なく、俺は見てしまった。

 その責任があるだけだ。


 女神は何も言わない。まるで、俺のやることを肯定するかのように。


 視線を落とす。

 部屋の隅に、畳まれたままの制服が見えた。

 着古されて、色の薄くなった外衣。

 それが郵便屋としての仕事を思い出させる。


 俺は、郵便屋だ。

 届けるだけで、触れない。

 触っていいのは、想いを綴る本人と、届けられた人だけだ。

 そこに郵便屋は介入してはいけない。

 記憶し、届けるだけの存在。


 俺は、その規則をもう破っている。


 視線が机へと向かう。

 置かれたままの手紙、アルスの言葉で綴られた、まだ終わっていない言葉。

 俺が盗み見た、誰かの想いの残骸。


 盗み見た。

 勝手に母と呼んだ。

 勝手に救おうとして、救えると勘違いして、傷を抉った。

 それでも、また救われた。


 救われてばかりの自分に吐き気がする。

 認めることなど到底できない。


 『朝倉悠』で救えないなら。


 指先が、手紙の縁に触れる。

 薄く、指先一つで裂けてしまいそうな紙に、綴られた言葉が異様な重さで沈んでいる。


 アルスの言葉。

 アルスの後悔。

 アルスの願い。


 俺は、それを知ってしまった。


 なら、知らなかったふりをして逃げるのはもっと卑怯だ。

 郵便屋の規則を盾に、今更見なかったことにするのは簡単だ。

 簡単で、卑劣で、そして――それが俺の形だった。


 右目の奥が熱を帯びる。


 ――それが、悠くんの選択なんだね。

 

 今度は問い掛けではない。

 どこか物悲しそうな声がする。

 否定するわけでも、肯定するわけでもない。

 ただ静かにそこにいる。


 手紙を手に取る。

 それはとても軽く、とても重かった。


 ペンを握る。

 指先に、微かな震えが伝わる。


 俺の字で書けば、これは俺の言葉になる。

 アルスの想いをなぞれば、それは嘘になる。

 どちらにしても、正しくはない。


 それでも――。


 救われる側にいるだけの自分でいるくらいなら。

 誰かになってでも、何かを届けるほうがいい。


 朝倉悠のままじゃ、救えない。

 けれど、アルスとしてなら救える。言葉を届けられる。


 文字を綴るたびに自己が削られていく。

 その感覚が、心地よかった。

 罪を重ねるたび、自分が薄くなる。


 それでいい。

 薄くなった分だけ、誰かの想いで埋めればいい。


 ペン先が紙に触れた。

 かすかな音を立てて、インクが空白を汚していく。

 そして、空白の向こう側に俺はいなくなった。

 俺の名前を書くための空白は、どこにもなかった。


 §


 食卓へ行くと、マーサはそこにいた。

 湯気の抜けたカップを両手で包み、窓の外を見ている。

 俺は何も言わず、封筒を差し出す。


「……それは?」


 問い掛ける声は、いつもより少しだけ掠れていた。


「アルスの部屋に、置いてありました」


 嘘は言っていない。

 マーサは一瞬だけ目を見開き、それから封を切った。


 紙を引き抜く音が、やけに大きく響く。

 視線を落とし、文字を追う。

 追い続けるたびに、肩が小さく震え始める。


 ぽたり、と。

 紙の上に雫が落ちる。


 マーサは声を出さずに泣いた。

 泣きながら、それでも最後まで読み切る。


 そして、手紙を胸に抱きしめるようにして、俺を引き寄せた。


 腕の中は温かかった。

 胸の中が、ぎこちなく締め付けられる。


「……ありがとう。ユウ」


 その言葉だけで、喉の奥がひりついた。


「帰ったら……ちゃんと謝るからさ。だから、お袋は待っててよ」


 気づけば口から言葉が出ていた。

 どこか他人行儀な言葉だった。

 けれど、自然と口が動いていた。


 マーサが、ゆっくりと顔を上げる。


「……アルス?」


「……違うよ。俺は、悠だ」


 そう答えながら、笑ってみせる。


「わかってたさ。あの子は私のこと、お袋って呼ぶからね」


 それを聞いて、俺は照れたように笑った。

 マーサの表情が、少しだけ柔らいだ気がした。


 部屋の空気が、さっきよりも軽くなる。

 右目の奥に、ほんのりと熱が灯った。

 

 §


 朝の空気は、やけに澄んでいた。


 庭先に停めたバイクの脇で、俺は荷物を括り付けている。マリアベルはとっくに身支度を済ませていた。まるでこうなることが分かっていたかのように。

 革袋の金具が触れ合う音が、静かな村にやけに響く。


 背後で、戸が開く音がした。


「もう行くのかい」


 振り返ると、マーサが立っていた。

 昨夜と同じエプロン姿で、手には湯気の立つカップを二つ持っている。


「朝飯は?」


「時間、惜しいんで」


「相変わらずだね。あの子にそっくりだ」


「神官さんも、悪かったね。雑な扱いしちまって」


「構わないわ。野宿には慣れてるもの。……それと、レーヴェよ。マリアベル=レーヴェ」


「あぁ、そうだったね」


 そう言って、マーサは小さく笑った。

 昨日までまとわりついていた黒い影は、もうどこにもない。

 代わりに、朝日が彼女の背中をやわらかく縁取っている。


 カップを差し出され、俺とマリアベルはそれを受け取る。

 口に含むと、やけに優しい味がした。


「ユウ」


 マーサは、ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。


「あたしは、ここで帰りを待つよ」


「……うん」


「だから……あんたら二人も、いつでも帰ってきなよ」


「えぇ、次はちゃんとお客様扱い、よろしくね?」


 マリアベルがおどけて言う。


 ふと、記憶の底にある母の姿と重なる。

 玄関先で微笑んでいた、あの人の輪郭。


 けれど、その顔には靄がかかっている。

 思い出そうとすると、形が崩れてしまう。


「……母さん」


 小さく呟いてから、首を振った。


「ごめん」


 その言葉は、口の中に溶けて消えた。

 ただ、言わずにはいられなかった。


 マリアベルを後ろに乗せ、バイクに跨る。


「……いってきます」


 それだけは、はっきりと言えた。


 エンジンがかかる。

 村道に土埃が舞い上がる。


「二人とも、いってらっしゃい」


 マーサの声が、背中を押した。


 アクセルをひねり、前へ進む。

 振り返らなかった。振り返れば、きっと先へ進めなくなるから。


 走り出した先の空は、どこまでも青く、広かった。

 その瞬間、世界のどこかで、何かが静かに書き換わった。


 §


 [Log #1432_04]

 Correction Rate : 0.00024%

 Status : Stable


 — System Note —

 善意の簒奪者は、届かなかった想いをその身に宿す。

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