プロレスラー養成学校の日常~メヒコと僕とルチャリブレ
2005年の春。僕、佐野和哉はプロレスラーを目指してメキシコに渡りました。現地風に言えばメヒコ、と呼ばれるこの国はなんといっても中軽量級を中心としたプロレスの本場であり、ルチャ・リブレと呼ばれるそれは少年時代の僕を虜にしていた。
当時、メキシコで修行した選手を日本に逆上陸させデビューしたのち国内外で活躍するシステムを取り入れた闘龍門JAPANが人気で、僕もそこに憧れておりました。
が、ちょうど入門する時期になって闘龍門JAPANはドラゴンゲートと闘龍門メキシコに分裂。僕が選んだのは、もちろんメキシコ直行の闘龍門。
さあ!未来のスペル・エストレージャを目指して特訓だ!!
ネタバレも何も無いのですが今の僕はプロレスラーではなく、会社員との兼業小説家です。残念ながら夢は諦めてしまったけれど、あの頃に現地で見聞きしたり、実際に体験したことをアレコレと書き連ねてみることは出来ました。また一部ですが当時メキシコで書いていた日記も加筆修正をして載せてみました。
ここにあるのは短い間だったけど、濃密で楽しかった青春の日々です。
皆さんも是非ご一緒に振り返っていただけませんか?
少しだけでも構いません。僕の思い出話にお付き合いください。
2025年で渡墨20周年になります。
20年目の感謝と色褪せぬ夢に。
当時、メキシコで修行した選手を日本に逆上陸させデビューしたのち国内外で活躍するシステムを取り入れた闘龍門JAPANが人気で、僕もそこに憧れておりました。
が、ちょうど入門する時期になって闘龍門JAPANはドラゴンゲートと闘龍門メキシコに分裂。僕が選んだのは、もちろんメキシコ直行の闘龍門。
さあ!未来のスペル・エストレージャを目指して特訓だ!!
ネタバレも何も無いのですが今の僕はプロレスラーではなく、会社員との兼業小説家です。残念ながら夢は諦めてしまったけれど、あの頃に現地で見聞きしたり、実際に体験したことをアレコレと書き連ねてみることは出来ました。また一部ですが当時メキシコで書いていた日記も加筆修正をして載せてみました。
ここにあるのは短い間だったけど、濃密で楽しかった青春の日々です。
皆さんも是非ご一緒に振り返っていただけませんか?
少しだけでも構いません。僕の思い出話にお付き合いください。
2025年で渡墨20周年になります。
20年目の感謝と色褪せぬ夢に。
唐揚げデスマッチ危機一髪!
2025/05/03 19:17
アイスは舐めても仕事を舐めるな
2025/05/04 04:37
プロレスラー養成学校の日常 リンゴジュース編
2025/05/05 00:32
メキシコの床屋さんのはなし。
2025/05/06 13:56
ネグロ・ナバーロ先生と僕。
2025/05/06 13:57
(改)
ウルティモ・ドラゴン校長のこと。
2025/05/07 20:11
かつてメキシコには物凄くマズい飴玉があった
2025/05/08 18:19
和哉くんハイビスカスの水。
2025/05/10 23:44
バッファローを見た。
2025/05/12 05:03
本当に(メキシコで)あった怖い話
2025/05/12 20:39
ペソ硬貨
2025/05/13 21:06
一本エッセイを書くほどじゃないけど頭の中で在庫になってるメキシコでの小ネタいろいろ。
2025/05/13 22:05
可能な限りメキシコの街並みを思い出してみよう、の巻。
2025/05/14 21:50
ロープワークはプロレスの華。
2025/05/15 23:00
2005年5月9日の日記
2025/05/15 23:00
2005年5月10日の日記。
2025/05/15 23:10
2005年5月11日の日記。
2025/05/15 23:10
2005年5月12日の日記。
2025/05/15 23:10
Novatos
2025/05/15 23:50
松山勘十郎先輩といっしょ。
2025/05/19 22:13