松山勘十郎先輩といっしょ。
7月26日金曜日、半休を強奪し(そのかわり日曜日は仕事になった)大阪へ。
この日は久しぶりにプロレスラーであり私の先輩でもある松山勘十郎さんにお会いする約束をしていたのでお昼過ぎの新幹線に乗り込む。結構空いてた。
帰宅中の車内でドクターイエローを見たのでいいことがありそうだ。
豊橋駅からこだま号に乗って三河安城駅に着くまえに寝ていた。起きたら京都を超えていた。この日は天気がすこぶる良くて、でも台風発生の影響か風が吹いててそんなに暑くなかった。いつもに比べれば、くらいだけど…。
なので新大阪駅に着いてからはあまり汗もかかずに着いた。いつもなら汗ダラダラで、着替えも沢山持ってきていたんだけどここまでは大して使わなかったくらい。
いつもは試合の日にしか会わないので、リラックスした状態の勘十郎さんに会うのは何年ぶりだろうか。大阪に来てからは殆ど無かったかもしれない。
部屋に着いて差し入れのコカ・コーラ(勘十郎さんの大好物だ)を飲みながら話していると、内容が14年前と大して変わらない。二人ともあの頃から根本的なことがあまり変わってないらしい。この先輩あってこの後輩あり、だなあ…。
この日は試合の二日前なのであまり長居するのも、と思っていたらちょうど勘十郎さんもお出かけする用事があるということで最寄り駅まで歩く。雨が降るかもしれないので、とカサをお借りしました。このあとでお邪魔するお店に、11月に西成で行う試合のポスターを貼らせていただくお願いもしようと思ってお預かりした分もあるので助かりました。ありがとうございました。
歩いていると
「お腹空いてないか? 飲むならちょっと食べといたほうがいいよ」
と、通り道にあったうどん屋さんへ。いつも気になってたお店だったので喜んでご一緒しました。軽く食べとこうか、と言いつつお店に入るなりカツ丼セットを注文するプロレスラー・松山勘十郎さんと、ざるうどんをちゃっかり大盛にするその後輩。食べながらも話は続く。
「座長(勘十郎さんの愛称)がアメリカ行ってらしたときは〇〇さんや〇〇先輩にお世話になってまして」
「そうだったのかあ」
というフツーにいい話だったのが結局
「そういえば校長の赤いクルマが寮の前に停まってて、僕が帰ろうとしたら座長が、なあ佐野、お腹空かないか?って言って。もちろん僕もハイ! お腹空きましたって」
「あったなー!」
「現地法人の日本企業の偉い人がバーベキューを開いてくれた時覚えてます?」
「拙者が校長のコーラ間違えて飲んじゃったとき?」
「ありましたね! でも別の、なんかすげえ高級マンションの庭園みたいなとこでやったときです。あんとき全員散々飲んで食べてご馳走になって、最後にペオノノさん(闘龍門のメキシコ人の事務員さん)が爆睡して」
「大イビキでな!」
「そこで社長さんがピザ取ろうって言い出して、断るにも断れなかったらホントに凄い量のピザが届いちゃって。どうしようって思ってたら校長が こら! みんなそろそろ寮の掃除の時間だぞ、こういう楽しい時こそしっかりしなきゃダメじゃないか、って僕らを外に連れ出してくれて。そこで座長なんて言ったか覚えてますか?」
「えーー、なになに?」
「佐野ぉ。拙者は校長があんなカッコイイと思ったの初めてだよ」
「マジで!? 拙者、そんなこと言ってた? 酷い事言ってるなあ(笑)」
「僕、日記に書いてましたから(笑)んでみんなで山盛りのピザ持って帰って寮で食べましたっけね」
「そっかぁー、それは忘れてたよ」
「あとアレですよ、座長とVIPS(寮の近所にあったファミレスチェーン)で延々居てプロレスラーしりとりとか技名当てクイズとかして」
「ずーーーっとコーヒーお替りしてな!」
「セットでくれるテトラパックの牛乳が山積みになってましたね」
「そうそう!」
「んで帰り道にバッタリ〇〇さんに出くわして、どこ行くのって聞かれて寮に帰るって言ったら〇〇さんは今からVIPS行くっていうんでまたついていって」
ちなみに今のファミレスの話に出てきた〇〇さんが、座長不在中に寮でかなりお世話になり、また帰国する日の朝にもひとこと声をかけてくださった先輩でした。私はあの時の一言があったから今でもプロレスが好きでいられるし、勘十郎さんの後輩であることや自分の諦めてしまった夢の事も人様にお話することが出来ています。その感謝の気持ちを本人にお伝え出来たのは少し前の勘十郎さんの公演に、その先輩も当時とは名を変えて出場していたときでした。
「それ聞いて〇〇さんなんか言ってた?」
「いえ、笑ってました」
「あの人らしいな、すげえ大変だった時期に頑張った人(実は座長よりもさらに年上で入門も先だった人です)だったから、佐野の気持ちもわかるのかもな…」
そうか、そうだったのかも…。この時になってまたしても先輩のやさしさやありがたみに思いを新たにしました。
私の入門した2005年は闘龍門メキシコが日本のドラゴンゲートと分離したばかりの頃で、〇期生というくくりがなくなったのもこの時からでした。
寮の先輩はみんな優しかったし、勿論大きなことから小さなものまで様々な失敗をして叱られたことはありますが(座長のコスチュームを乾燥機にかけたり、作るの忘れてて朝ご飯のフルーツジュースが間に合わなかったり)理不尽な体罰、今でいうパワハラとかそういうのは一切なかったです。だから私は今でもプロレスが好きだし先輩方にも感謝していますし、こうして今でも可愛がっていただいているのも含めて
自分は恵まれていた
としか言えないのです。それ以外の表現が思いつかないぐらい、私は恵まれていました。今になって、どうしてやめちゃったんだろうな、と思う時は殆どの場合、ホントは凄く恵まれていたんだなと思う時ばかりです。そういえば前の会社を辞めた時もそうだったなあ。後から気付いて改めて感謝出来たり、またそれをお伝えすることが出来るだけでも、それはそれで恵まれているということなのでしょうけれど。
そして今の会社を9月に辞めるけど、それは自分でちゃんと後の事も決めてキチンと辞める(予定)ので、それを聞いた勘十郎さんの
「佐野がそうやってちゃんと成長して、ちゃんとやれてるなら良かったよ」
という言葉が、あの日の朝焼けの寮の玄関とつながった気がしました。
地下鉄に乗って私は千日前線に乗り換えて心斎橋に向かいました。
勘十郎さんありがとうございました。書いちゃいましたが大丈夫ですかね。
ウルティモ・ドラゴン校長の目に留まりませんように…




