35、エピローグ 神竜の花嫁と至高のポテチ
大聖堂でのあの大騒動から数か月後。
神竜国との婚姻外交と両国の友好条約は驚くほど順調に進み、王国には繁栄への道が約束された。
しかし、その立役者たる当人たちはというと――。
コンスタンテの実家である伯爵邸の広大な庭園には、およそ国家の命運を握る者たちとは思えない、妙な熱気が満ちている。
「ダナ、ダメですわ! 火力が強すぎます! それでは芋がただの消し炭になってしまいますわ!」
「申し訳ありません、お嬢様。人間の姿で火力の微調整は、魔力のコントロールがなかなか繊細で……」
エプロン姿のコンスタンテが指示を飛ばす先には、同じく前垂れをつけた神竜国第一王子、ダナがいる。
大聖堂の騒動の後、太る努力から解放された、コンスタンテの体型は見事に元に戻り健康的な美しさを取り戻していた。元々華奢な体に結ばれたエプロンには、「海豹のよう」だった面影など微塵も残していない。しかし、そのポテチへの情熱だけは、体型がどう変わろうとも衰えないようだった。
婚約者となった今も相変わらずコンスタンテを「お嬢様」と呼ぶダナは真剣そのものの面持ちで、指先から神聖なる炎をチリチリと燻らせている。
「お嬢様! ポテチを揚げる暇があるなら、早くこの婚礼衣装の試着をしてください!!」
二人をよそに、メジャーと純白のドレスの生地を抱えたエイミーが、血眼になってコンスタンテの背後を追いかけてきた。最近のエイミーの主なお仕事は、ポテチ研究にかまけて一向に婚礼の準備を進めようとしない未来の王太子妃を捕獲することだった。
ダナの妹ポエニは、数年ぶりに会った兄の元を離れ難いようで、人界に居座っていたが、最近は彼女もポテチの実験に夢中になり、今は神竜の火が周囲へ引火するような事故が起きないように氷魔法で待機している。
勿論、今日も四人が囲んでいるのは、大量の油がなみなみと注がれた特注の巨大鍋だった。
コンスタンテは今、長年追い求めたお菓子『ポテチ』の理想の食感を目前としていた。
「いい、ダナ。あの『パリリ』とした至高の食感は、薄切り芋を油に投下した瞬間にも油温が下がらないようにするのが肝心ですのよ!」
「なるほど。外層を一気に硬化させ、内部のデンプンを急速に膨張させるのですね。やってみます、お嬢様」
大真面目に頷いたダナは、コンスタンテが薄切り芋を油に沈める瞬間、ふっと鉄鍋に息を吹きかけた。
その瞬間。
鍋の中の油が一気に沸騰し、パチパチと弾ける小気味よい音が庭園に響き渡った。
完璧な温度管理。
世界の魔力の流れを正す神竜の力は、今、油の温度を一度単位で制御するために使われていた。
「――今ですわ!」
コンスタンテの合図とともに、ダナが網ですくい上げたポテチ。
黄金色に輝くそれは、油を完全に弾き、見るからに軽やかな形を保っている。
コンスタンテは待ちきれないとばかりに、それを指でつまんで口へと運んだ。
――パリリッ!!!
静かな庭園に、これ以上ないほど美しく、軽快な、まさに『至高の音』が鳴り響く。
「……これですわ! これこそが、わたくしが求めていた至高のポテチですわ!!」
「お気に召して光栄です、お嬢様。僕のブレスの出力調整、間違っていなかったようで安心しました」
満面の笑みを浮かべるコンスタンテを見て、ダナもまた、深い達成感をその表情に浮かべていた。
そんな二人を、庭園のテラスから冷めた目で見つめる影が二つ。
コンスタンテの兄クリストフと、最近伯爵邸に入り浸っているロザリオだった。
クリストフは気難しい顔で、深々とため息をつく。
「……なぁ、ロザリオ。我が妹ながら、あの神竜の使い方は国際問題に発展しないか?」
「クリストフ、諦めろ。あの神竜、めちゃくちゃ楽しそうじゃないか」
「神竜のブレスだぞ? 神話では一国を一夜にして灰にすると言われた、あの業火だぞ? なんでポテトを『パリリ』とさせるために使われてるんだ……」
クリストフは遠い目をし、ロザリオは諦めた表情でぼやいた。
「全く、あの神竜、俺と少しくらい魔術談義に付き合ってくれてもいいのに、二言目にはコンスタンテかポテチの話だ」
「ああ。本当に、我が妹は愛する婚約者を見つけたのだから少しくらい、花嫁準備でもすればいいのに、結局は芋の研究だ。少しは男心の一つでも勉強しろと言いたい」
その時だった。
「お嬢様」
ダナが穏やかに呼ぶ。
「なんですの?」
「そんな笑顔、ポテチに向けないでください。僕はポテチに嫉妬してしまいます」
コンスタンテが目を瞬いた。
「ポテチは食べ物ですわよ?」
「お嬢様の笑顔は独り占めしたいのです」
庭園に沈黙が落ちた。
ロザリオが呆気にとられ、クリストフは妹を口説く未来の義弟を見て複雑な気分になる。
「さすがダナ! お嬢様が照れて固まった隙に、この最高級シルクのベールを!」
エイミーは「よくやった」と言わんばかりにダナにウインク一つこぼし、猛スピードでコンスタンテに肉薄する。ポエニは満面の笑みで手を叩いた。
一方のコンスタンテは。
「~~っ!」
耳まで真っ赤になる。
「ダナ! きゅ、急にそういうことを言うのは禁止ですわ! あとエイミー、どさくさに紛れて採寸しようとするのはやめてちょうだい!」
「申し訳ありません」
「お嬢様、こちらのベール、花かレースかどちらになさいます?」
謝りながらも少しも悪いと思っていないダナと、必死で追いかけるエイミー。
「お義姉様のベールには、じゃが芋の花を飾ってはどうでしょう」
ポエニもまた大真面目に提案する。
クリストフは妹の慌てる姿を見て、ようやく肩の力を抜く。
「まぁ……コンスタンテが、あんなに楽しそうに笑っているなら、もう何も言うまい」
「そうだな」
ロザリオも苦笑した。
「あのクズの元婚約者に、コンスタンテを嫁にやらなくて本当によかった」
「兄としては神竜をお気楽に振り回している今の姿に、言いたいこともあるけどな」
テラスからの呆れ顔など露知らず、庭園では未来の王太子夫妻がさらに熱い議論を交わしている。
「ダナ! 次は塩加減ですわ! 神竜国の秘境で採れるという伝説の岩塩を持ってきてちょうだい!」
「はい、お嬢様。すぐに空間転移で取って参ります」
「ああっ、また逃げた! お嬢様、待ちなさい!!」
国家最高戦力にして、最愛の婚約者。
そんな彼を世界一贅沢に、そして世界一お気楽に振り回しながら、コンスタンテは今日も幸せそうに笑う。
神竜の花嫁となる未来を手に入れても。
王国史上最大の繁栄の立役者になっても。
コンスタンテが追い求めるものは――。
もっと美味しいポテチである。
「ダナ! 今日はレイチェルとマリアを招待してポテチパーティをするわよ!」
そんな彼女の幸せな挑戦は、今日も美味しく、賑やかに続いていくのだった。
終わり




