34、自業自得の果てに〜
大聖堂の奥に設けられた聖女候補の私室に冷徹な司祭の声が響く。
「荷物はそれだけか。では、速やかに退去を」
聖女として崇め奉られるはずだったカナの運命は、あの日を境に、底なしの奈落へと転がり落ちていた。
きらびやかな未来の聖女を象徴する法衣は取り上げられ、粗末な衣服に着替えさせられたカナは、小さな手提げ袋を一つ握り締めたまま立ち尽くしている。
「お待ちください! 私は聖女になるに相応しい魔力を誰よりも持つと認められた乙女ですのよ!? 何かの間違いでしょう、大司祭様に直接お目通りを!」
カナは縋るように司祭の袖を掴んだ。
司祭はそれを振り払い冷たい目を向けた。
「お前は未だに勘違いしているようだな。聖女とは、ただ神竜様を呼び出せる者のことではない」
「……え?」
「聖女の証明とは、水鏡の前で神竜様をお呼びする至高の奇跡が起こせることも大切だが、神竜様と出会い、その御心に耳を傾け、傷ついた御魂を癒やし、必要ならば正しい場所へお帰しする事も聖女の務めだ」
司祭の声には強い失望が滲んでいた。
「莫大な魔力など、そのための手段に過ぎん」
「そ、それは……」
「お前は神竜様を敬うどころか、自らの栄達のための道具として見ていた。利用しようとした。ゆえに神竜様から拒絶されたのだ」
「違います! 私は!」
「違わん」
司祭は一歩前へ出る。
「仮にお前が百人の聖女候補の中で最も大きな魔力を持っていたとしても、神竜様を理解する心がなければ聖女にはなれぬ。逆に、魔力が劣っていても神竜様に寄り添える者こそ聖女と呼ばれる」
「……っ」
「神竜様は直々に答えを示された。お前ではない、と」
「違います! あの神竜様は誤解されているのです! あのドレスだって――」
「まだ虚言を重ねるか!」
大聖堂を震わせるほどの司祭の怒声に、カナは悲鳴を上げて肩をすくませた。
「他者の功績を盗んで己のものとしようとし、白日の下に罪の証拠を突き付けられてなお認めず、挙げ句の果てには神竜様の御前で他者を貶めた。追放は大司祭様、ひいては教会の総意である」
司祭は重い扉を開け放ち、顎で外を指した。
「神聖なる教会に、お前のような強欲な嘘つきの居場所はない。二度と聖なる門を潜るな」
司祭の後ろに控えていた門番達はカナを捕らえ教会の外へ追い出した。
バタン!!
鉄の扉が完全に閉ざされる。
鍵の閉まる無機質な音は、カナの耳の奥に響いた。
カナはただ、冷たい石畳の上に呆然と立ち尽くした。
思い描いていた聖女の栄光。
教会での絶対的な名誉。
群がる貴族たちからの惜しみない称賛。
そして、いずれは高位貴族の妻となる未来。
そのすべてが、一瞬にして消えてなくなった。
実家もまた、教会と王家の怒りを恐れ、彼女を受け入れなかった。
かつてコンスタンテを「太っている」と嘲笑っていた少女は、明日のパンの耳一つにも困る極貧の生活の中で、みるみるうちにやつれていった。
すれ違う平民たちは、彼女を見るなり露骨に距離を取る。
「おい、見ろよ。あれが神竜様を怒らせて教会を追い出された女だ」
「例の盗作騒ぎの……本当に面の皮が厚いねぇ」
「関わったら神罰が下るよ、行きましょう」
差し伸べられる手など、どこにもなかった。
誰も彼女を助けることはない。
彼女の夢見た輝かしい未来は、完全に自業自得の闇へと潰えていた。
カナは少し前まで磨き上げられ光っていた爪をじっと見つめた。今はもう黒ずんで汚くなった指先。
彼女は何度も考えた。
どこで失敗したのか。
なぜ自分が選ばれなかったのか。
なぜ神竜はコンスタンテを選んだのか。
だが、その問いに対する答えをカナは、最後まで見つけることができなかった。
◇
一方その頃。
公爵邸の最上階に位置する、重厚で豪奢な執務室。
マリスは、机の上に並べられた数枚の書類を、焦点の合わない虚ろな目で見つめていた。
そこにあるのは『家督継承権完全剥奪』。
そして王宮へ提出された廃嫡の報告書と、魔獣が跋扈する不毛の地への『北方辺境領赴任命令』。
彼がこれまで当然のように持っていた「特権」のすべてが、冷徹なインクの文字となって剥ぎ取られていた。
カチャ、と静かに扉が開く。
「……兄上。いえ、マリス『元』嫡男殿」
入ってきたのは、二歳年下の弟、カルだった。
これまではいつも自分の後ろを歩いていた、目立たない弟。
周囲からも凡庸、日陰者と評されてきたはずの弟。
しかし、今の彼は違った。公爵家のすべてを背負うに足る、堂々たる気品と次期当主としての風格を纏っている。
「……カル」
マリスの喉から、獣のような低い地鳴りが漏れた。
カルは表情を一つも変えず、非の打ち所のない所作で静かに一礼した。
「本日、王宮にて国王陛下より正式に承認されました。次期公爵家当主は僕です。兄上はすべての身分を返上し、北方辺境領へ赴任となりました」
「……ふざけるな、そんな事認められるか!!」
ガタンッ! と激しく椅子を蹴立ててマリスが立ち上がった。顔を醜く歪め、机を両手で叩きつける。
「私が辺境の地だと!? 私はこの公爵家の長男だぞ!」
「元、です。それと、今のあなたに拒否権はありません」
カルの声は寄せる波のように冷徹だった。その淡々とした一言が、マリスの剥き出しのプライドへ容赦なく突き刺さる。
「今回のあなたの愚行により、我が公爵家は王家から取り潰し寸前の厳しい叱責を受けました。父上も心労で寝込まれています」
「私は悪くない! 私はただ、あのコンスタンテのような、淑女の欠片もない不格好な女を婚約者に据えるのが、我が家の汚点だと思ったから」
「本気で、まだそんな寝言を仰っているのですか?」
カルの静かな瞳が、侮蔑を込めて兄を射抜いた。
「コンスタンテ様との婚約を一方的に破棄し、大聖堂という公衆の面前で冤罪をかけ侮辱した。その結果、神竜様を激怒させたことは、この国の危機といっても過言ではないのですよ」
「だから何だ!たかが伯爵令嬢ではないか!」
「彼女は近い未来、神竜国第一王子の正妃、すなわち、あちらの国の国母となられるお方です」
カルは一歩前に出ると、冷え切った声で事実を突き付けた。
「今やこの王国、いえ世界において、最も軽んじてはならない貴きお一人です。陛下ですら平伏するお方を、あなたは足蹴にしました。命があるのは、父上の親の情とコンスタンテ様が兄上様へ何も求めなかったからです」
マリスの顔から、一気に血の気が引いた。全身の筋肉が凍ったように固まり惨めに震え出す。
かつて。
自分より格下だと見下していた女。
その女は今や、本来の美しさを取り戻し、神竜の寵愛を受けながら、世界で最も幸福な花嫁として光の中にいる。
一方で自分は。
家督を失い、貴族としての栄光もすべてを失って、極寒の地へ追放される。
「……なぜだ」
掠れた、情けない悲鳴がマリスの口から漏れた。
「なぜ私が、こんな目に遭わなければならない……!」
カルは、哀れな虫を見るような目で兄を見つめ、しばらく沈黙した。
そして、静かに、幕を引くように告げた。
「兄上は最後まで、自分の傲慢さに気づかず、他人を見下すことしかなさらなかった。……そういうことです」
その言葉に、マリスはもう何一つ反論できなかった。
カルは最後の手続きを終えたように一礼し、二度と振り返ることなく部屋を去る。
冷え切った広い執務室に残されたマリスは、崩れ落ちるように床に膝をつき、一人うなだれる。
元婚約者との間に開いた天と地ほどの差は、もう永遠に埋まることはない。
マリスは、胸を掻き毟るような生涯消えない屈辱と、地獄のような後悔だけを抱えながら、ただ惨めに生きて行くしかなかった。




