第2話 命令のない世界
とりあえず警察には通報して実際に来てもらった。
警察が現場に到着して少女の聞き取り調査を行ったが、結果は同じ。
そして社長室に警察と相澤が話し込んでいる隙に俺は一旦社長室を後にした。会話の内容から推察するに、相澤が警察の連中と少し仲の良い関係を築けていることには驚きを隠せなかったが。俺は今の状況を飲み込むためにも建物の非常階段まで避難した。煙草を握りしめて。
煙草に火をつけて数時間ぶりに煙を肺に入れる。気持ちが若干落ち着き一気に白い気体を空気中に放出させる。
「はぁ、めんどくさいことにならなきゃいいが」
「めんどくさいって何がですか?」
「うわぁ?!」
突然横から話しかけられて修二は後ずさる。危うく階段から転げ落ちるところだったが声の主が間一髪彼の腕を引っ張ってそれを阻止した。
薄い赤色のお団子ヘアが印象的で、丸い目の中に淡い麦のような瞳を輝かせる彼女、同僚である朝倉美咲は笑いながら彼にこう言った。
「あははは~危なかったですね。すみません、急に話しかけちゃって」
「朝倉、お前本当にその癖やめたほうがいいぞ」
「癖? なんのことですか」
「いきなり人の近くで声をかけることだ」
「もう私たちの仲じゃないですか~」
「お前の基準がバグり散らかしているのを忘れてた。とりあえずダルがらみやめろってことだ」
「おじさん臭いですね。そういうの時代遅れって感じ」
「お前の言動が先取りっていうならお前は時代を行き過ぎてんだよ、いいから放っておいてくれ」
あまりに話が通じなかったため修二は再度煙草に口を近づけ息を吸い込む。
そういえば、あの少女に服を貸し出したのはこいつ、朝倉だったな。とふと思い出す。礼くらいいっておくべきか。
「朝倉、服貸してくれたらしいな。ありがとう」
「ああ、社長から急に服貸してくれって連絡が来て。休みだから断ろうと思ったんですけど、焼肉奢るって言うから来ちゃいました」
「現金なやつだな」
「で、なんで雨宮さんがお礼を?」
「その服を着てる子に会ってきたからな」
「え・・・・・・」
朝倉の表情が固まる。
「違うからな」
「まだ何も言ってませんけど」
「絶対変なこと考えただろ」
「社長が下着まで要求してきた理由が今わかりました」
「違うからな」
「気持ち悪いです」
「だから違うって」
自身の名誉のためにも修二は洗いざらい吐いた。
そのあともなお朝倉の彼を見る視線は少し距離感のあるものだったが。
休憩のつもりが、どっと疲れを感じながら、修二は朝倉と別れて社長室に戻った。
警察はとっくに引き上げており、中には相澤と少女だけが取り残されていた。
「あれ、どうしたんですか。引き取ってもらえなかったんですか」
「いやそれがね、一時保護施設へ送る案も出たんだけど、彼女本人が強く拒否して、結論は保留状態」
「拒否? どうかしたんですか」
「雨宮くんと話したいって一点張りで。話してもらえるかな」
「はぁ? なんで俺なんですかほんと」
修二は明らかにため息をつく。これ以上面倒ごとに関わるのはまっぴらごめんなのだが、社長命令であるならば仕方ない部分もある。
「じゃあ僕は外に出ておくから頼んだよ」
親指を立ててニコニコしながら相澤は外に出ていった。その親指を下に捻じ曲げたい気持ちもあったが、少女がいる目の前でそんな残虐な行動はとれないわけで。今回は見逃してやった。
修二は彼女に顔を向けてソファの左にある窓際まで近寄る。外は風も全くないのか木々すら揺れていない。静かな1日だ。
「なぁ、お前どうしたいんだよ」
少女は答えない。目はうつろで未だに床から離さない。そのくせ背筋を伸ばして姿勢を正しくしている光景は少し異様だった。
「聞いてるのか」
「はい」
「どうしたいのかって」
「どう、するべきなのでしょうか」
「は?」
「わたしはどうするべきなのでしょうか。指示を頂ければその通りにします」
「指示って、何言ってんだお前」
頓珍漢な回答をする彼女に向かって修二はキョトンとした顔を浮かべる。実際問題彼女の問題は彼女が解決すべきだ。年齢もまぁ20歳は言いすぎだが見方によっては大人だ。責任ある行動は自分でとれるはずなのだから、修二が指示するべきものでもない。
「指示じゃなくてお前の意志を聞いてんだ。お前はどうしたいのかって。クソロボットじゃないんだからお前の意見を言え」
「わたしは、わかり・・・ません」
修二の憤りは限界を迎えていた。何に対してなのかはわからない。墓参りからずっとイライラしている。何に対してここまで怒っているのか自分でもわからなかった。
修二はズカズカと彼女へ歩み寄る。血相を変えた彼の表情を少女は直視し若干の戸惑いを隠せないでいた。
「じゃあ俺が死ねって言ったらお前は死ぬのか? お前の意志とは関係なく俺がこの建物の4階から、ここから飛び降りろって言うならお前はそうするのか?!」
「……それがご命令ということであれば」
「ふざけんな! なんなんだよお前っ! 何が命令だ、何が指示だ!」
「記憶がないという今の状況でも、わたしの過去はきっとそんな生活だらけだったのだと思います。そうしないと生きていけないような、そうしないと満足されないような」
顔色一つ変えず彼女は淡々と告げる。
修二にはわからなかった。彼女の言っている意味が何一つ。
ただ、彼女の何の屈託もない眼差しを受ける。
観念したのか、無駄だと判断したのか、修二は彼女の横に深く腰掛けた。
「本当に何なんだよお前」
「申し訳、ございません」
「……はぁ」
「申し訳ございません」
「謝んなよ」
「はい、申し訳ございません」
「だからそうじゃなくて……」
修二は頭を抱える。窓の外。
その時少女が小さく呟く。
「凪…」
「お前、さっきもそれ言ってたよな」
「なぜなのでしょう、この響きにはすごく馴染みがあるように感じるのです」
「……凪ねぇ」
「お前の名前、凪なんじゃないのか」
「……そうなのでしょうか」
「わからんが」
「そう仰るのでしたらそうなのかもしれません」
「変な奴だな」
「申し訳—」
「ああもういいってそれ。やめろ」
「はい」
少女——仮に凪と呼ぶことにしたその子は、静かに窓の外へ視線を向けた。
風は吹いていない。
木々も。雲も。
まるで時間だけが止まってしまったかのような、穏やかな午後だった。
その横顔を見ながら、修二は小さく息を吐く。
「……凪、か」
不思議と悪くない名前だと思った。




