第1話 凪みたいな日に君と。
5月某日。
男は2つ並んだ墓石の前にしゃがみ込み祈りを捧げている。5月も終わりかけたこの日に男はただ黙って両手を合わせて真剣な面持ちでいた。
「18年か」
男は立つ。手汗で滲んだ手を振ったかと思うとそのまま照り付ける太陽を見上げる。
「今年の夏も暑いんだろうな。ここは日光が直接当たって嫌だろ。しおり、紬」
手向けた花の前で、雨宮修二は小さく呟く。
返事はない。
当然だ。
墓石に刻まれている名前も、もう擦り切れるほど見てきた。
雨宮しおり、雨宮紬と書かれている墓石を交互に見やっていく。
男は桶から水をすくい、二つの墓石へ静かにかけた。熱を帯びた石に水が触れると、じゅっと音を立てて白い湯気が立つ。鉄板焼きを彷彿とさせるような光景は、なおさら暑さを感じさせた。
男は深いため息をついて手桶を持ち上げる。
「帰るか」
無精ひげを撫でながら、雨宮修二は墓地を後にした。
街道に出たところで修二の持っている携帯が音を鳴らす。この軽快な音色は会社からの着信だ。わざわざ休みの日にまで電話を掛けてくるとは、コンプライアンス意識の欠片もない上司か、はたまたそれほどまでに緊急性のある用事なのか。
「はい、雨宮です」
「やぁ、すまないね。休みの日に」
なら掛けてくるなよ、と危うく飛び出しそうになった攻撃的な言葉たちを修二はいったん飲み込んだ。声の主は修二が働く会社の社長である相澤だった。
「なんですか」
「それがね、今日【ハルモニア】の回収業務があったから街のほうまで行ってたんだけど。橋の下で妙な、ものって言ったらおかしいんだけど、拾ってね」
「妙なものってなんですか」
「ものじゃなくて人なんだけどね」
面倒ごとだと察した修二は淡々と言った。
「警察に引き渡すのが得策かと思いますが」
「そりゃ普通ならそうなんだけどさ、そうなんだけど」
歯切りの悪い言葉に修二は若干の怒りを募らせた。
「切りますから、俺も暇じゃないんで」
「あー!! 待って、待って! 一つだけ質問応えてくれたら切っていいから!!」
「はぁ?」
「あのさ、非常に聞きづらい所はあるんだけど、雨宮くんって子供とかいたりする?」
意図しなかった質問に修二は一瞬返事に後れを取る。
「・・・今ってことですよね」
「うん、そう」
募っていたイライラのせいもあってか修二はスマホを持っている手に力を入れて憤慨する。今その家族の墓参りが終わったところだというのに。その現実が、修二の心に纏わりつく。
「社長知ってますよね、俺の家族のこと」
「もちろんだよ、ただもしかしたらその、別の子供とかいたり―—」
「いるわけないでしょう、妻だったしおりは18年前に紬を生んで死んだ。その紬は8歳で難産の影響でかかった疾患で死にました。 それ以前にもそれ以降にも俺は子供なんて、もうけてませんから」
「ああ、わかってる。それを確認したかっただけなんだ。辛い過去を思い出させて悪かったよ。本当に」
この相澤の言っていることは本音だ。修二もきちんとわかっていることだ、いたずらに社長がこんなことを聞いてくることなんてない。何か事情があってのことだということはわかる。それだけに修二はどこへも向けられない怒りをただ耐えるほかなかった。
「で、なんでそんなこと聞くんですか」
「いや、大丈夫だよ。悪かったね、気にしないでくれ」
「社長からの一方的な質問だけでは不平等です、なんでそんなこと聞いたんですか」
相澤は少し迷ったような声音を出したと思ったが、数秒沈黙した後にこう告げた。
「その子供、若い女の子で、高校生くらいかな。その子が自分の姓を雨宮と言うんだ。それに君を、雨宮修二を知っていると。それ以外の記憶はないみたいで」
「・・・俺を知っている、ですか」
そう答えた修二は、自分でも気づかないうちに、スマートフォンを握る手に力を込めていた。
墓地を後にして約一時間後――。修二は会社の門をくぐった。
結局彼は自分の名を呼んでいるという少女のもとへ向かった。
最初から完全な人違いだということはわかっていたが、どうしても彼の名を発したという事実に違和感を覚え、彼をここまで呼び寄せた。
社長室の扉を開けた目の前には、簡素な服を着た女の子が社長室のソファに腰かけていた。
灰色がかった淡い金髪。ただそんなきれいな髪はボサボサということもあり台無しだ。漆黒にも見えるほど深い群青色の瞳は感情の波を表に出さず、ただ静かにこちらを見つめている。整った顔立ちは人形じみているが、その奥にはどこか寂しさを抱えているようにも見えた。
「橋の下で座っていたところを発見したんだ。服も何も着ずにただそこに座っていたよ。今はとりあえず朝倉さんの服を着てもらってるんだけどね」
相澤が修二に説明するようにそう話した。朝倉というのはうちの会社の1人であるわけだが、今日は休日だったはずでは。という疑問はとりあえず置いておいて、修二はさらに質問を重ねる。
「話してみてもいいですか」
「もちろん、あれ以降何も話してくれないんだ」
修二は恐る恐るといったように彼女に近づく。彼女の視線はずっと床に向けられていたが、修二がそばに近寄って膝まづくと彼女の視線は修二を捉える。
「俺は雨宮修二、きみと……会ったことはないと思うんだけど」
「はい、わたしは雨宮修二という言葉に聞き覚えがあります。それ以外は何もわかりません」
「自分の名前はわかる?」
「……わかりません、姓が雨宮だということは確かだと思うのですが」
正直姓が同じだからという理由で修二の親戚とか子供だとかはあり得ないだろう。
記憶喪失なのかなんなのかわからない。
「雨宮くん、ちょっと」
相澤が修二を呼ぶ、その声に反応して修二は立ち上がり彼女の元を離れる。そのまま彼女の視線はさっきと同じように床へ向けられた。
「わかる?」
「わかるも何も、俺も初対面ですから。やっぱり知らないですね」
「発見したときにもしかしたら【ハルモニア】かなって思ってみてみたんだけど、首にも識別コードとかなかったし人間っぽいんだよね」
「識別コードがないんだったらほぼ人間だと思いますけどね。あれは消せるとかそんな概念のものじゃないですし」
ハルモニア、現代社会を支える根本にあるのはこの存在だ。
そして大都市であるここ、東雲台市の中でも修二が所属する会社【ネクト】は郊外に位置する中小企業。
ハルモニアとは今や社会のあらゆる場所で働く人型支援端末だ。
家事、介護、医療など幅広い社会奉仕を目的とし、その見た目は人間とほとんど見分けがつかない。彼らの瞳は青一色に統一され、どこまでも広がる海のような無機質さを宿している。
そして唯一の違いは首元に埋め込まれた識別コード。それが彼らの証明だった。
修二は再度彼女に顔を向けて投げかける。
「名前がないと、困るな」
「……」
「雨宮って苗字だけじゃ呼びにくいし」
少女は黙っている。修二は少女の向かいのソファに腰かけた。
深い群青色の瞳が修二を捉える。
「何か思い出せないのか?」
「ありません」
「好きなものとか」
「ありません」
「嫌いなものは?」
「わかりません」
「じゃあ得意なこと」
「ありません」
「苦手なこと」
「……ありません」
「……お前、万能だな」
思わず漏れた言葉に、少女は不思議そうに小首を傾げた
本来なら警察に任せるべきなのだろう。
身元不明。
記憶喪失。17歳くらいの少女。
どこからどう見ても、俺たちのような1企業が抱え込んでいい案件ではない。
むしろ、今こうして社長室に座らせていること自体が問題だ。
それでも、警察に引き渡せば万事解決かと言われれば、そんな単純な話でもない。
身元も家族もわからない。
この子を探している人間がいるのかどうかすらわからないのだから。
「名前、か……」
修二が天井を見上げた時。
窓に視線がいく。
今日は珍しく風がない。
五月の終わり。時間だけが止まったような静かな午後だった。
開かれたカーテンの向こうでは、海岸が見え、その奥に広がる海まで風を忘れたように穏やかだった。
「凪みたいな日ですね」
ぽつりと。
少女が呟いた。
修二と相澤は同時に目を丸くする。修二は彼女のほうに視線を向けて質問する。
「今、なんて?」
少女は自分でも驚いたように瞬きを繰り返す。
「……わかりません。ですが、その言葉に聞き覚えがあります」
少女は自分でも不思議そうに目を瞬かせた。
「凪みたいな日……」
小さく繰り返した修二の声は、静かな社長室に溶けるように消えていく。
修二と相澤は顔を見合わせた。
何もわからない。
どこの誰なのか。
なぜ自分の名前を知っているのか。
そして――なぜ、その言葉だけを覚えていたのか。
それが、雨宮修二と一人の少女の奇妙な出会いだった。
みなさん、おはようございます、こんにちわ、こんばんわ!
よむるです。2年ぶりになろうにログインしまして執筆させていただきます。
前作の低劣内気はプロットもなく登場人物も多く自分でも中々満足のいく結果で終わらせることができんかった作品となりました。ハルモニアは以前から描きたかったアンドロイドと人間が織りなす不思議な群像劇です。切ない感動をお届けできると思うので、よければ反応とコメントなど頂ければ嬉しいです!
誤字脱字もあれば報告頂ければ見てくれているという励みになります!
ちなみに挿絵に関しては主人公たちの表情差分になります、物語を読み進めていく上で補完になれば幸いです




