■ 第6話:封印の解除と、止まらないカウントダウン
窓一つない地下の第4会議室は、地球の足元で煮えたぎるマントルを暴走させ、世界を内側から粉々に砕く【環境操作兵器】が起動しているという絶望的な仮説によって、もはや立っていることすら困難なほどの極限の重力に支配されていた。
無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、大地の下で蠢く超古代の悪意と共鳴するかのように、不気味なリズムを刻み続けている。
七海悠太は、パイプ椅子から転げ落ちたまま、冷たいコンクリートの床に両手をつき、まるで自分の足元から突然マグマが噴き出してくるのではないかと、怯えた目で床を見つめていた。
「……皆さん、オカルト映画のシナリオライターにでも転職する気ですか? 恐怖で脳の論理回路が焼き切れているようですね」
極限のパニックを切り裂くように、氷室司の氷のように冷徹な声が響いた。
氷室は、長机の上に置かれた冷え切ったブラックコーヒーの紙コップを手に取り、静かに一口啜る。
彼は懐からマイクロファイバーの布を取り出し、銀縁眼鏡のレンズを執拗なまでに磨き上げると、手元の最新型タブレットを厳かにスワイプした。
「御子柴さんの言う通り、そのオーパーツが地球と共鳴する環境操作兵器であり、アトランティス人が自らの文明を滅ぼすために使ったとしましょう。……ですが、そこに【情報工学上の決定的な矛盾】が存在しています」
氷室の細い指先がタブレットのキーボードを激しく叩き、巨大モニターに「高レベル放射性廃棄物の最終処分場」の構造図と、廃棄プロトコルのデータを青白く投射された。
「考えてみてください。もし彼らが、自らの生み出した兵器の恐ろしさに気づき、未来の人類に同じ過ちを繰り返させないためにソレを封印しようとしたのなら……なぜ【完全に解体・破壊しなかった】のですか?」
氷室は、勝ち誇ったようにレーザーポインターで構造図を指し示した。
「本当に世界を滅ぼすほどの兵器なら、形を残したまま海に捨てるなど、あまりにも無責任で非合理的だ。物理的に粉々に砕くか、溶鉱炉で溶かすかすればいい。……形を残したまま海底に放置した時点で、『未来の人類への警告』などという美しい自己犠牲のストーリーは破綻しているんですよ!」
データと論理的合理性に基づく、氷室の強靭な盾。
危険なものなら壊せばいい。壊さずに残っていたということは、それが「兵器」などという危険な代物ではない証拠であるという絶対的な反論。
しかし。
その言葉を聞いた轟大吾の顔つきは、岩のように険しく、強張ったままだった。
轟は、分厚い両腕を組み、黒のタクティカルジャケットの背中をギュッと軋ませながら、地を這うような低い声で唸った。
「……氷室。お前は『安全な実験室での廃棄マニュアル』しか読んでいない。軍事の現場において、最悪の兵器の処理がどう行われるかを知らないから、そんな暢気なことが言えるんだ」
「安全な実験室……? 兵器を解体できない理由などあるんですか」
氷室が不快そうに眉をひそめる。
「あるに決まっているだろう!!」
轟は長机の上に自らの暗号化端末を叩きつけるように置くと、太い指で画面を激しく操作した。
モニターの廃棄物処分場の図が消し飛び、代わりに、コンクリートで分厚く覆われたチェルノブイリの「石棺」や、第二次大戦後に海洋投棄されたマスタードガスのドラム缶の画像が映し出された。
「氷室! 兵器のシステムが完全に暴走状態に入り、カウントダウンが止まらなくなった時! 現場の人間がどうするか分かるか!?……【手を出せなくなる】んだよ!!」
轟が、分厚い両手で長机をバンッ!と激しく叩きつけた。
ダンッ!!という音が、地下室の空気を激しく震わせる。
「ドライバー一本差し込んだだけで爆発するかもしれない! 解体しようとカバーを外した瞬間に、致死性の毒ガスが漏れ出すかもしれない!……暴走した最悪の兵器は、破壊することも解体することもできない! ただ、被害を最小限に抑えるために【分厚い壁で囲い込んで、触れずに放置する】ことしか、軍隊にはできないんだ!!」
「……っ!! 危険すぎて、解体すらできなかった……!?」
氷室の持つタブレットが、カタカタと震え始めた。
「ええ、まさに呪われたパンドラの箱ね」
密室の淀んだ空気を撫でるように、烏丸玲奈の艶やかな声が響いた。
彼女は黒いヒールを鳴らしてゆっくりと立ち上がり、長い黒髪を指先でなぞりながら、モニターに映る海洋投棄されたドラム缶をうっとりと見つめた。
「氷室さん。世界のあらゆる神話において、海は『すべての穢れを浄化する場所』として描かれているわ。……でも、それは精神的な意味だけじゃない。深海という場所は、科学的にも【絶対的な静寂と死の世界】なのよ」
烏丸は、透き通るような白い指先をそっと伸ばし、モニターの海の画像を撫でた。
「光は届かず、生命を寄せ付けない暗黒。……アトランティス人たちは、解体することすらできなくなったその『暴走する箱』を、ただ捨てたわけじゃない。彼らは、地球上で最も過酷な【神の牢獄】へと、自らの命と引き換えにソレを幽閉したのよ」
「ククク……ハハハハハ!!!」
突如、長机の奥から地鳴りのような笑い声が爆発した。
特務考察機関サイファーのリーダー、御子柴健だ。
彼はよれよれのスーツのポケットから両手を引き抜くと、ジッポライターを取り出し、カチン、と火をつけた。
深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目でホワイトボードの前に飛び出した。
「見事だぜ、轟! 烏丸! これで超大国どもが、なぜあんなに血眼になって情報を隠蔽し、絶望のどん底に叩き落とされているのか! その【最悪のメカニズム】が完全に暴かれたぜ!!」
「最悪のメカニズムだと……!?」
氷室がタブレットを握りしめ、立ち上がる。
「そうだ!! 氷室、お前はさっき、形を残したまま放置するのは非合理的だと言ったな! 違う!! 奴らは【深海でなければならなかった】んだよ!!!」
御子柴は黒のマーカーを掴み、ホワイトボードの中央に『深海底』と書き、その横に『水温2度』『水圧400気圧』と書き殴った。
そして、そこから真っ赤な矢印を上に向けて引き、『海上(引き揚げ後)』『水温25度』『1気圧』と激しく書き殴った。
ダンッ!!と叩きつける激しい音が、窓のない密室に鳴り響く。
「考えてもみろ!! 地球の固有振動に干渉し、マントルを暴走させるほどの兵器だ! ソレ自体が発する熱量とエネルギーの振動は、凄まじいものだったはずだ! 奴らはそれを止めるために、どうした!?」
御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜いた。
「電源を切れないなら! 【物理的に凍らせて、力ずくで押さえつける】しかねえんだよ!! だから奴らは、摂氏2度という極寒と、人間の肉体が水風船のように破裂する【超高水圧】の深海にソレを沈めた!! 深海の水圧と低温こそが、兵器の暴走をギリギリのところで停止させていた【物理的な安全装置】だったんだ!!!」
「……っ!! 深海の水圧そのものが、カウントダウンを止めるロックだった……!!」
轟の巨体が、戦慄で大きく震えた。
「そうだ!! だが!! 現代のバカな人間どもは!!」
御子柴が、黒のマーカーの先でホワイトボードの『海上』という文字を強く叩きつける。
「ソレが【金になるオーパーツ】だと勘違いして、強力なクレーンで海の上まで引き揚げちまった!! つまり!! 兵器を押さえつけていた『400気圧のロック』と『極低温の冷却機能』を、人間の手で完全に【解除】しちまったんだよ!!!」
御子柴が悪魔のような笑みを浮かべて、最悪の仮説を咆哮する。
「海の上に引き揚げられ、常温・常圧の空気に触れた瞬間!! 一万二千年間、深海の底でフリーズしていた『地球自爆スイッチ』のシステムが、再び熱を帯びて【再起動】したんだ!! 超大国の軍隊が絶望しているのは、兵器の姿を見たからじゃねえ!! 人類自らの手で、止まっていた【世界滅亡のカウントダウン】のタイマーを再び動かしちまったからなんだよ!!!」
「ああっ……! ああああああっ……!!」
七海悠太が、両手で自分の頭を強く抱え込み、冷たいコンクリートの床の上で激しくのたうち回った。
「えっ、じゃあ……俺たちが引き揚げたのは、超古代の宝物なんかじゃなくて……!! ピンの抜けた【手榴弾】を、わざわざ安全な金庫の中から取り出して、自分たちの足元に転がしたのと同じってことかよ……!?」
七海の脳裏に、悍ましい光景がフラッシュバックする。
深海の底で、ギリギリの均衡を保っていた巨大な自爆装置。
それを、何も知らない現代の作業員たちが「凄いものを見つけたぞ!」と笑いながら海上に引き揚げ、気圧のロックを外してしまったその瞬間。
カチリ、と。一万二千年ぶりに、地球を内側から砕くためのタイマーが再び動き出した音。
「ふざけんな……! 誰かに攻撃されてるわけじゃねえ! 俺たち人間が、自分たちの強欲さで、わざわざ【世界の終わり】を釣り上げちまったって言うのかよおおおっ!!」
深海という名の、絶対的な封印の解除。
人間の無知と探究心が、地球という星の寿命を強制的に終わらせるスイッチを押してしまったのだ。
「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」
七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない第4会議室のコンクリートの壁に虚しく反響する。
巨大モニターに映る、深海と海上を示す残酷な気圧のデータ。
無機質な空調のモーター音は、まるで海上に引き揚げられ、静かに、しかし確実にゼロへと向かって時を刻み始めた【見えないカウントダウン】の駆動音のように、低く、重苦しく、彼らの頭上で鳴り響いていた。




