■ 第5話:共鳴する地球と、大陸棚の崩壊
窓一つない地下の第4会議室は、現代兵器の常識が一切通用しない「未知の概念兵器」が起動しているという絶望的な仮説によって、まるで深海の底のような重圧と、極限の閉塞感に支配されていた。
無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、逃げ場のない密室の空気をかき回し続けている。
七海悠太は、パイプ椅子からずり落ちたまま、冷たいコンクリートの床に両手をつき、荒い呼吸を繰り返していた。現代の最強の軍隊ですら止めることができない【世界の電源を引き抜くためのカウントダウン】が、今この瞬間も海の向こうで進んでいるという恐怖が、彼の精神を蝕んでいた。
「……皆さん、少し頭を冷やしてください。オカルト的な恐怖に酔いしれるのは自由ですが、この宇宙に存在する絶対的なルールを忘れないでいただきたい」
極限のパニックを切り裂くように、氷室司の氷のように冷徹な声が響いた。
氷室は、長机の上に置かれた冷え切ったブラックコーヒーの紙コップを手に取り、静かに一口啜る。
彼は懐からマイクロファイバーの布を取り出し、銀縁眼鏡のレンズを執拗なまでに磨き上げると、手元の最新型タブレットを厳かにスワイプした。
「未知の物理法則だの、空間を歪める概念だのと言いますが……相手がどれほど高度な超古代文明であろうと、【熱力学の法則】からは絶対に逃れられません。……何かを破壊するためには、必ずそれに見合うだけの『莫大なエネルギー』と『物理的な干渉』が必要不可欠なのです」
氷室の細い指先がタブレットのキーボードを激しく叩き、巨大モニターに、地球の断面図と質量データが青白く投射された。
「地球という惑星の環境を激変させ、人類を滅亡させる。……そのためには、海を沸騰させるか、大陸を吹き飛ばすほどの途方もないエネルギー源が、そのオーパーツ自体の内部に内蔵されていなければならない。ですが、一万二千年も海に沈んでいた遺物が、そんなエネルギーを保持し続けているはずがない!」
氷室は、勝ち誇ったようにレーザーポインターで地球の図を指し示した。
「無から有は生み出せない。エネルギーを持たないただの遺物が、世界を滅ぼすことなど絶対に不可能です。……超大国が恐れているのは、未知の魔法などではなく、単にその遺物の内部に残存している『古代の放射性物質』や『未知の有害なウイルス』の漏出といった、極めて現実的で局地的なバイオハザードに過ぎないんですよ」
データと物理学の絶対法則に基づく、氷室の強靭な論理の盾。
どれほど高度な兵器であろうと、エネルギーを持たない以上、地球規模の破壊など起こり得ないという決定的な反論。
しかし。
その言葉を聞いた轟大吾の顔つきは、岩のように険しく、強張ったままだった。
轟は、分厚い両腕を組み、黒のタクティカルジャケットの背中をギュッと軋ませながら、地を這うような低い声で唸った。
「……氷室。お前は『オーパーツ単体の出力』しか計算していない。軍事工学において、小さなエネルギーで巨大な構造物を破壊するための【最も効率的なアプローチ】を知らないから、そんな暢気なことが言えるんだ」
「小さなエネルギーで、巨大な構造物を……? 何を言っているんですか、轟さん」
氷室が不快そうに眉をひそめる。
「オーパーツ自体が、莫大なエネルギーを持っている必要なんて全くないんだよ」
轟は長机の上に自らの暗号化端末を叩きつけるように置くと、太い指で画面を激しく操作した。
モニターの地球断面図の上に、大西洋中央海嶺を中心とした「最新の海底地震計の波形データ」が、真っ赤な線となって無数に割り込んできた。
「これを見てみろ。オーパーツが引き揚げられた三日前の深夜から……大西洋の海底火山帯と、マントルの対流活動を示すデータが、過去百年間で一度も観測されたことのない【異常な規則性】を持って活動を始めている」
「マントルが、規則性を持って活動している……!?」
氷室の持つタブレットが、カタカタと震え始めた。
「ああ!!」
轟が、分厚い両手で長机をバンッ!と激しく叩きつけた。
ダンッ!!という音が、地下室の空気を激しく震わせる。
「まるで、地球の奥底にあるマグマの海が、何かの『リズム』に合わせて波打っているかのようなデータだ! 氷室! 兵器自体の出力が弱くても、標的が持っているエネルギーそのものを【逆利用】すれば、世界を破壊することは可能なんだよ!!」
「……っ!! 標的のエネルギーを、逆利用する……!」
七海が、息を呑んで轟の言葉に耳を傾ける。
「ええ、まさに悪魔の共鳴ね」
密室の淀んだ空気を撫でるように、烏丸玲奈の艶やかな声が響いた。
彼女は黒いヒールを鳴らしてゆっくりと立ち上がり、長い黒髪を指先でなぞりながら、モニターに映る真っ赤な地震波形をうっとりと見つめた。
「氷室さん。二つの『音叉』を並べて、片方を叩くと、もう片方も触れていないのに同じ音を出して震え始める……【共鳴】という現象を知っているかしら?」
烏丸は、透き通るような白い指先をそっと伸ばし、モニターの波形を撫でた。
「小さな力でも、対象の固有振動数とピタリと一致する波長を送り続ければ、やがてその振動は無限に増幅され、強固なガラスのグラスをも粉々に砕き割ってしまう。……そのオーパーツは、自らが火を噴く野蛮な爆弾なんかじゃないわ」
烏丸はふふっ、と妖しく微笑み、会議室の全員を見回した。
「それは、地球という巨大な生命体の鼓動と完全にリンクし、マントルの対流を意図的に暴走させるための【死の音叉】。……人類が引き揚げたのは、地球を内部から狂わせ、星そのものを自死へと向かわせる神の楽器だったのよ」
「ククク……ハハハハハ!!!」
突如、長机の奥から地鳴りのような笑い声が爆発した。
特務考察機関サイファーのリーダー、御子柴健だ。
彼はよれよれのスーツのポケットから両手を引き抜くと、ジッポライターを取り出し、カチン、と火をつけた。
深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目でホワイトボードの前に飛び出した。
「見事だぜ、轟! 烏丸! これで超古代文明アトランティスが、なぜあんなオーパーツを造り、そして【なぜ自分たちの手で滅亡したのか】!! そのすべての謎が完全に繋がったぜ!!!」
「アトランティスの滅亡理由だと……!?」
氷室がタブレットを握りしめ、立ち上がる。
「そうだ!! 氷室、お前はさっき、世界を破壊するエネルギー源はないと言ったな! 違う!!」
御子柴は黒のマーカーを掴み、ホワイトボードの中央に『地球』という巨大な円を描き、その中心に赤のマーカーで『マントル(超巨大エネルギー)』と書き殴った。
そして、地球の表面に『オーパーツ』という小さな点を描き、そこからマントルに向けて無数の波線を引いた。
ダンッ!!と叩きつける激しい音が、窓のない密室に鳴り響く。
「爆弾なんて持ち込む必要はねえ!! 俺たちの足元には、とてつもない熱と質量を持った【地球という名の無限のエネルギー源】が、最初から存在しているんだからな!!!」
御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜いた。
「考えてもみろ!! アトランティス人は、戦争で敵対する国家を滅ぼすために、兵士もミサイルも送る必要がない【究極の環境操作兵器】を造り上げたんだ! 敵の大陸のプレートと共鳴する波長を放ち、人為的に超巨大地震と大津波を引き起こして、敵国を丸ごと海に沈めるための【大陸棚の自爆スイッチ】をな!!」
「……っ!! 人為的に巨大地震を起こす、環境操作型の地殻兵器……!!」
轟の巨体が、戦慄で大きく震えた。
「そうだ!! だが!!」
御子柴が、黒のマーカーの先でホワイトボードを強く叩きつける。
「奴らは自然の力を舐めすぎた!! 地球の固有振動に干渉し、マントルを暴走させた結果、その共鳴は敵国だけでは収まらず、地球規模の地殻変動へと連鎖してしまったんだ!!!」
御子柴が悪魔のような笑みを浮かべて、最悪の仮説を咆哮する。
「アトランティスが海に沈んだのは、神の怒りでも自然災害でもねえ!! テメエらが造り上げた【環境操作兵器の共鳴】が暴走し、自分たちの足元の大陸棚まで粉々に砕け散って、海の底へと崩落しちまったんだよ!! 彼らは自らの手で造った『星を殺す兵器』によって、自滅したんだ!!!」
「ああっ……! ああああああっ……!!」
七海悠太が、両手で自分の頭を強く抱え込み、冷たいコンクリートの床の上でのたうち回った。
「えっ、じゃあ……今、大西洋で起動してるそのオーパーツも……!! 昔アトランティスを沈めたのと同じように、地球のマグマをガンガン揺らして、俺たちの足元の地面を【内側から粉々に砕こうとしてる】ってことかよ……!?」
七海の脳裏に、悍ましい光景がフラッシュバックする。
ミサイルが飛んでくるわけではない。ただ、ある日突然、世界中の火山が一斉に火を噴き、大地がひび割れ、見渡す限りの都市が超巨大な津波に飲み込まれていく。
かつて超古代文明を一夜にして海へ沈めた【最悪の自滅兵器】が、一万二千年の時を経て、今度は現代文明を根絶やしにするために再起動してしまったのだ。
「ふざけんな……! 逃げ場なんてねえじゃねえか!! 空へ逃げても、海へ逃げても、俺たちが立ってる【この地球そのもの】が、俺たちを殺すための爆弾に変えられちまってるって言うのかよおおおっ!!」
エネルギー源は、地球そのもの。
人類の足元で煮えたぎるマントルを暴走させる、究極の環境操作兵器。
「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」
七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない第4会議室のコンクリートの壁に虚しく反響する。
巨大モニターに映る、異常な規則性を持った真っ赤な地震波形。
無機質な空調のモーター音は、まるで地下深くでマントルが沸騰し、地球そのものが断末魔の悲鳴を上げながら崩壊の時を待っているかのように、一段と冷酷に、そして不気味な地鳴りのように地下室に響き渡っていた。




