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特務考察機関サイファー~海底に眠っていたオーパーツは世界の悲劇となる編~  作者: 八咫 日本


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■ 第3話:アトランティスの亡霊と、海に沈んだ理由

 窓一つない地下の第4会議室は、海底から引き揚げられたオーパーツが「見ただけで人間の精神を破壊する認識災害(ミーム汚染)兵器」であるという絶望的な真実によって、深い泥の底のような重苦しい沈黙に支配されていた。

 無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、ネットの向こう側から這い寄ってくる不可視の狂気の足音のように、単調なリズムを刻み続けている。

 七海悠太は、床に叩きつけた自分のスマートフォンを拾い上げることもできず、パイプ椅子の上で両膝を抱え、ガタガタと小刻みに震えていた。

 次に画面を見た瞬間、そこに「狂気の画像」が表示されているかもしれないという恐怖が、彼の精神を完全に麻痺させていた。

「……皆さん、少し落ち着いてください。情報の連鎖によるパニックを『兵器』だと断定するのは、いささかSFの読みすぎです」

 極限の閉塞感を切り裂くように、氷室司の冷徹な声が響いた。

 氷室は、長机の上に置かれた冷え切ったブラックコーヒーの紙コップを手に取り、静かに一口啜る。

 彼は懐からマイクロファイバーの布を取り出し、銀縁眼鏡のレンズを執拗なまでに磨き上げると、手元の最新型タブレットを厳かにスワイプした。

「御子柴さんが危惧する『ミーム汚染』……特定の幾何学模様や映像が脳神経に過負荷を与え、てんかんや錯乱を引き起こす現象は、医学的にもあり得ます。……しかし、それが『アトランティス文明の遺産』であるとする烏丸さんの飛躍は、歴史学的に全く根拠がありません」

 氷室の細い指先がタブレットのキーボードを激しく叩き、巨大モニターに、プラトンの著書『ティマイオス』の抜粋と、大西洋の海底地形図が青白く投射された。

「アトランティス伝説。一万二千年前に存在し、高度な文明を誇った巨大な島が、地震と洪水によって一昼夜にして海に沈んだという寓話。……ですが、現代の海洋地質学のデータを見れば、大西洋のど真ん中に『大陸が沈んだ痕跡』などどこにも存在しません!」

 氷室は、勝ち誇ったようにレーザーポインターで海底地形図を指し示した。

「大西洋中央海嶺は、マントルから新しい地殻が『生まれ出ている』場所であり、何かが沈む場所ではない。つまりアトランティスとは、プラトンが理想の国家像を語るために作った【完全なフィクション】です。架空の文明が作った兵器など、そもそも海に沈んでいるわけがないんですよ」

 データと地質学に基づく、氷室の強靭な論理の盾。

 アトランティスは存在しない。ゆえに、オーパーツなどというオカルトも存在しないという絶対的な反論。

 しかし。

 紫煙のベールを透かして、烏丸玲奈の鈴を転がすような、ひんやりとした笑い声が響いた。

「ふふっ……。氷室さん、あなたは本当に『地面の形』しか信じないのね」

「何ですって?」

 氷室が不快そうに眉をひそめる。

 烏丸は黒いヒールを鳴らしてゆっくりと立ち上がった。

 彼女はペットボトルの水をグラスに注ぎ、透き通るような指先でその縁をなぞりながら、妖しい視線を会議室の全員へと向けた。

「氷室さん。文明が滅びる時、必ずしも『地面』が沈む必要があるかしら? ……プラトンの記述にはこうあるわ。アトランティス人は神の分身として気高く生きていたが、やがて人間の欲望にまみれ、不正と野心に満ちた醜い存在へと堕落してしまった、と」

 烏丸は、グラスの水を一口含み、うっとりとした表情で巨大モニターに映る『ティマイオス』のテキストを見つめた。

「彼らは極限まで文明を発達させ、あらゆる快楽と利便性を手に入れた。その結果、どうなったと思う? ……生きる目的を見失い、ただ欲望を満たすだけの【空っぽの機械】になってしまったのよ」

「文明が発達しすぎて、精神が堕落した……?」

 氷室が訝しげに眼鏡のブリッジを押し上げる。

「ええ。そして、彼らは気づいてしまったの」

 烏丸は、透き通るような白い指先をそっと伸ばし、自分の柔らかな唇を撫でた。

「これ以上、醜く歪んだ自分たちの文明を存続させることに、何の意味があるのか、と。……アトランティスは地震や洪水で『沈められた』んじゃないわ。究極の絶望に達した彼らが、自らの意志で、自らの手によって【文明の自殺(タナトス)】を選んだのよ」

「自ら、海に沈んだと……!?」

 轟の巨体が、戦慄でピクリと動いた。

「そうだ!!」

 突如、長机の奥から地鳴りのような笑い声が爆発した。

 特務考察機関サイファーのリーダー、御子柴健だ。

 彼はスーツの内ポケットからジッポライターを取り出し、カチン、と火をつける。

 深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目でホワイトボードの前に飛び出した。

「見事だぜ、烏丸! これでアトランティス人が、なぜあんな恐ろしいオーパーツを造り、そして『海に沈めたのか』、その【本当の理由】が完全に暴かれた!!」

「御子柴さん! また非科学的な飛躍を……!」

 氷室が立ち上がるが、御子柴はそれを手で制した。

「氷室、お前はさっき『アトランティスは架空だ』と言ったな! 違う!! お前がそう思い込まされているだけだ!!」

 御子柴は黒のマーカーを掴み、ホワイトボードの中央に『アトランティス』と書き、その横に『高度な文明』『究極の兵器』と書き殴った。

 そして、それらをすべて【波線】で激しく塗り潰した。

 ダンッ!!という激しい音が、窓のない密室に鳴り響く。

「考えてもみろ!! 究極の兵器を持ち、世界を支配する力があった文明が、なぜ滅びなきゃならねえ!? 烏丸の言う通りだ! 奴らは【自分たちの存在そのものが、世界に対する『バグ』である】と悟っちまったんだよ!!」

 御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜いた。

「だから奴らは、自分たちの肉体も、都市も、そして【その狂った兵器】もすべて、二度と誰の手にも渡らないように、大西洋の最も深い海の底……水圧と暗闇の底へと『封印』した!! 奴らが自ら死を選んだのは、未来の人類に【同じ過ち】を繰り返させないためだったんだよ!!」

「……っ!! 未来の人間を守るための、永遠の封印……!」

 氷室の顔面から、スッと血の気が引いていく。

「ああ!! だが!!」

 御子柴が、黒のマーカーでホワイトボードをドスンドスンと激しく叩きつける。

「それから一万二千年が経ち!! 愚かな現代の人類は、深海探査だの海底資源の採掘だのと、触れてはならない神域を土足で踏み荒らし、とうとうその【絶対封印】を解いちまったんだ!!!」

 御子柴が悪魔のような笑みを浮かべて、最悪の仮説を咆哮する。

「ソレは、アトランティス人が自らの文明を消去するために使った『自爆装置』だ!! そしてソレは、現代の人類が再び【アトランティスと同じように堕落し、争い始めた】ことを感知したからこそ……一万二千年ぶりに、再びこの世界を終わらせるために、深海から姿を現したんだよ!!!」

「ああっ……! ああああああっ……!!」

 七海悠太が、両手で自分の髪を強く掻きむしりながら、パイプ椅子の上でのたうち回った。

「えっ、じゃあ……俺たちが引き揚げたんじゃなくて……! ソレの方が、俺たちを【処刑】するために、わざわざ上がってきたって言うのかよ……!?」

 七海の脳裏に、悍ましい光景がフラッシュバックする。

 ネットで暴言を吐き合い、フェイクニュースに踊らされ、互いに憎しみ合う現代の人類。

 その醜い姿は、かつて滅びたアトランティス人の姿と完全に重なっていた。

 深海の底から引き揚げられたオーパーツは、狂った現代文明を『初期化』するために放たれた、古代の亡霊からの死刑宣告だったのだ。

「俺たちは……! 自爆スイッチを押したんじゃなくて……とっくの昔に、俺たち自身が【消去されるべきゴミ】だと判定されてたって言うのかよおおおっ!!」

 自ら海に沈んだ文明からの、呪われた遺産。

 その絶対的な殺意が、今、大西洋の中心から世界に向けて放たれようとしていた。

「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」

 七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない第4会議室のコンクリートの壁に虚しく反響する。

 巨大モニターに映る、黒い大西洋の海底地形図。

 無機質な空調のモーター音は、まるで一万二千年の眠りから覚め、人類を処刑するために静かに浮上してくる【何か】の鼓動のように、低く、重苦しく、彼らの頭上で鳴り響いていた。

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