第四十七話 父の祝鐘が、誰かの旅立ちを送る
ベルフォード家の祝鐘に、久しぶりの私的依頼が入った。
依頼者は、かつて屋敷に勤めていた老執事の家族だった。長くベルフォード家を支えた男が亡くなり、本人の遺言で、あの祝鐘に旅立ちを送ってほしいという。
父グラードからの依頼書は、聖務院経由で届いた。
『発声者名義、本人条件、休声規定を守る。エリアナが受けない場合、別の詠唱士で行う』
以前なら考えられない文面だった。
エリアナは老執事のことを覚えていた。第五話で返書を受け取りに来た年配の執事だ。あの時、彼は「叱責も短く済む」と言った。父の側の人間だった。だが、幼い頃のエリアナに温かい外套を掛けてくれたこともある。
人は一つの役だけではない。
彼女は依頼を受けることにした。
ベルフォード家の礼拝堂に入ると、父は後方の席にいた。近づかない。命じない。聖務院の司祭が間に立っている。
老執事の家族は、静かに頭を下げた。
「父が、最後はこの鐘でと申しておりました。お嬢様……いえ、エリアナ様の名でお願いしたいと」
エリアナは頷いた。
旅立ちの祈りは、短くした。老執事が仕えた家のためではなく、彼自身の名を送るために。
鐘は澄んで鳴った。
以前のような誇り高い響きではない。だが、老いた人の歩みを見送るには十分な、落ち着いた音だった。
式の後、父が遠くから言った。
「……執事は、満足しただろう」
エリアナは直接返事をしないつもりだった。だが、今日の父の声には命令がなかった。彼女は短く答えた。
「記録には、そう残します」
父は少しだけ頷いた。
それ以上の和解はない。抱擁も涙もない。
けれど、ベルフォード家の祝鐘が、父の由緒ではなく一人の使用人の名を送るために鳴った。
それは、あの鐘にとっても新しい始まりだった。
帰り道、エリアナは手帳に書いた。
『老執事葬送。ベルフォード家祝鐘、本人名を送る。父、命令せず』
小さな進歩だ。
だが、鐘の修復も、人の修復も、大きな奇跡より小さな記録の積み重ねなのかもしれない。
老執事の娘は、式の後に古い鍵束をエリアナへ見せた。
「父は、最後までこの家の鍵を磨いていました。けれど晩年、エリアナ様の件で、自分も黙っていたことを悔いていました」
鍵束の一つは、かつて礼拝堂の控え室を開けるものだった。エリアナが歌った後、喉を押さえて座っていた部屋。誰かが水を持ってきてくれた記憶も、誰も来なかった記憶もある。
「父は謝れませんでした。代わりになるとは思いませんが」
エリアナは首を横に振った。
『代わりにはなりません。でも、聞きました』
娘は涙をこぼし、深く頭を下げた。
人の後悔は、死後にようやく届くこともある。遅すぎる。けれど、届いた言葉をどう記録するかは、生きている者が選べる。
エリアナは葬送記録の余白に書いた。
『老執事、生前に悔いありとの家族証言。許否ではなく、聴取記録として保存』
冷たい一文かもしれない。だが、嘘の温かさより、正確な記録のほうが優しい場合もある。




