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第四十六話 王宮の古い祝歌依頼に、私は条件を返す

 王宮礼拝堂から、エリアナへ初めての正式依頼が来た。


 王弟殿下の結婚記念式典で、古い祝歌を復元してほしいという内容だった。依頼書は丁寧で、本人名義、発声上限、報酬も明記されている。王宮がここまで書式を整えたのは、アレクシスの規則導入の成果でもあった。


 ただし、一箇所だけ問題があった。


『式典の伝統に従い、祝歌は王宮礼拝堂名義で記録する』


 エリアナはその一文を見て、静かに紙を伏せた。


 王宮礼拝堂名義。


 妹名義とは違う。個人の名を奪う悪意があるわけではない。長年の慣例として、礼拝堂全体の祈りとして記録してきたのだろう。


 だが、声は誰かの喉を通る。


 エリアナは返書を書いた。


『王宮礼拝堂名義での総括記録は可能です。ただし、基準詠唱者欄に本人名を併記してください。発声者名の空白記録は受けません』


 王宮からの再返答は渋かった。


『古式にない記載である』


 エリアナはさらに返した。


『古式にない休声欄も、現在は必要です。古い形式を復元することと、古い不備を復元することは別です』


 アレクシスはその返書を読んで、目元を押さえた。


「王宮相手に、鋭い」


『駄目ですか』


「必要です」


 交渉は三往復した。最終的に、王宮礼拝堂は「総括名義:王宮礼拝堂。基準詠唱者:エリアナ・ローヴェ旧姓ベルフォード」と記録することで合意した。


 式典当日、王宮礼拝堂の天井は高く、客席には貴族が並んでいた。かつてなら、その視線だけで喉が固まっただろう。


 だが、祭壇の脇には発声上限表が置かれている。水杯もある。休声札もある。エリアナの名も、式典記録に入っている。


 彼女は一節だけ歌った。


 古い祝歌は、王宮の石壁に柔らかく反響した。華やかだが、彼女を飲み込まない音だった。歌い終えると、王宮の司祭が拍手を促しかけ、隣の書記に止められた。


「発声者は休声へ移行します」


 その小さな訂正を聞いて、エリアナは胸の奥で笑った。


 王宮でも、少しずつ変わっている。


 帰宅後、玄関の小鐘を鳴らす。


 りん。


 大きな王宮礼拝堂の後で、この小さな音がいちばん落ち着いた。


 手帳に書く。


『王宮祝歌。古式は復元。不備は復元しない』

 王宮の司祭の一人は、式の後でエリアナへ頭を下げた。


「古式は変えてはならないと思っていました。ですが、古式を守るために名を消すなら、守っているのは祈りではなく体裁なのですね」


 エリアナは石板に書いた。


『古いものすべてが悪いわけではありません。母の木札も古い記録です』


「では、残すものと直すものを見分ける必要がある」


『はい。見分けるために、誰が傷つくかを確認します』


 司祭はしばらく黙った後、王宮礼拝堂の記録係へ声をかけた。古式祝歌の次回記録から、発声者名欄を常設するよう命じたのだ。


 その場で大きな拍手は起きない。王宮の変化は、いつも厚い扉の内側で静かに始まる。


 けれどエリアナは知っている。静かな記録ほど、後から誰かを強く守ることがある。

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