第三十九話 ついて来いではなく、どう暮らすかを二人で書く
王宮からの返答は、意外にも早かった。
条件付きの楽師長補佐就任を認める。ただし、王宮礼拝堂の休声規定導入には試験期間を設ける。エリアナへの発声依頼は、本人宛の正式依頼書を通す。
アレクシスは書面を読み、息を吐いた。
「半分通りました」
エリアナは石板に書く。
『半分なら、上出来ですか』
「王宮相手なら、かなり」
問題は生活だった。
週三日、アレクシスは王宮礼拝堂へ行く。帰りが遅くなる日もある。婚約者として結婚後の住まいをどうするかも、話し合わなければならない。
以前のエリアナなら、相手の職務に合わせて当然だと思っただろう。妻になるなら、夫の住まいへ移る。夫の仕事を支える。それが貴族令嬢の役目だと教えられてきた。
だが今、彼女には西礼拝堂の部屋と仕事がある。
二人は大きな紙を広げた。
『案一。西礼拝堂近くに住む』
『案二。王宮区に住み、私は西礼拝堂へ通う』
『案三。しばらく別居婚約のまま、結婚後の試験期間を設ける』
リディアが通りかかって、紙を見て言った。
「結婚準備というより、運営会議ですね」
エリアナは石板に書く。
『結婚も運営が必要です』
アレクシスが真剣に頷いた。
「その通りです」
話し合いは簡単ではなかった。エリアナは西礼拝堂を離れたくない。アレクシスは王宮と西礼拝堂の往復で体を壊したくない。二人とも休声や休息を重視するからこそ、無理な理想は書けない。
最終案は、結婚後も西礼拝堂近くの小さな家に住むことだった。王宮へはアレクシスが通う。エリアナは西礼拝堂の契約を継続し、王宮依頼は別契約で受ける。家には二つの仕事机と、一つの共有台所を置く。休声札と休務札を玄関に掛けられるようにする。
「休務札?」
アレクシスが聞く。
エリアナは石板に書いた。
『あなたにも、休む札が必要です』
彼は少し驚いた顔をした。
エリアナは続ける。
『私の喉だけでなく、あなたの耳と手と判断も疲れます』
アレクシスは黙った。
彼はいつも彼女の休息を守ってきた。だが、自分の休息については後回しにしがちだった。エリアナはそれに気づき始めていた。
「では、玄関に二枚掛けましょう。休声札と休務札」
『それから、喧嘩した時の規定も』
「規定?」
『声で押し切らない。筆談に逃げすぎない。翌日に持ち越す場合は、水を飲んで寝る』
アレクシスは初めて声を出して笑った。
「重要です」
その笑い声を聞いて、エリアナは胸が温かくなった。
結婚は、誰かの家に入ることではないのかもしれない。
二人で暮らすための規則を、何度も書き直していくこと。愛しているから我慢するのではなく、愛しているから我慢を美徳にしない仕組みを作ること。
夜、手帳に書いた。
『小さな家。仕事机二つ。休声札と休務札。喧嘩規定あり』
その下に、少し照れながら追記した。
『結婚が、怖いだけではなくなってきた』




