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第三十八話 アレクシス様に王宮楽師長の誘いが来る

 アレクシスに王宮楽師長補佐の誘いが来た。


 王宮礼拝堂の高位職で、将来の楽師長候補でもある。待遇は西礼拝堂よりずっと良く、王都の主要式典にも関わる。普通なら、名誉な栄転として喜ぶ話だった。


 だが、エリアナは依頼書を見た瞬間、胸がざわついた。


 王宮。


 大きな式典。高い天井。多くの貴族。自分の声がまた、華やかな場所へ求められるのではないか。アレクシスが行くなら、自分も行くべきだと言われるのではないか。


 彼は書面を机に置き、最初に言った。


「まだ受けると決めていません。あなたに同行を求める条件もありません」


 エリアナは石板に書く。


『私の不安が顔に出ていましたか』


「はい」


 正直すぎる答えに、少し笑いそうになる。


 アレクシスは続けた。


「この誘いは、私個人の職務に関するものです。あなたとの婚約を理由に勝手に断ることも、勝手に受けてあなたへ移動を求めることもしません。相談したい」


 相談。


 その言葉は、婚約後の二人にとって大事な試験だった。どちらかが犠牲になるのではなく、どう暮らすかを一緒に書く。


 エリアナは予定表の裏に、二つの欄を作った。


『受けた場合』『受けない場合』


 アレクシスは感心したように見る。


「手際がいい」


『契約詠唱士ですので』


 二人は項目を書き出した。


 受けた場合。アレクシスの仕事は増える。王宮礼拝堂の規則改革に関われる。だが、西礼拝堂での時間は減る。エリアナが王宮へ移る必要はないが、婚約者として社交の視線は増える。


 受けない場合。西礼拝堂での生活は安定する。だが、王宮礼拝堂の古い発声慣行に手を入れる機会を逃すかもしれない。


 エリアナは石板に書く。


『私は、西礼拝堂をすぐ離れたくありません』


「分かっています」


『でも、あなたが王宮で規則を変えたいなら、止めたくもありません』


 アレクシスは少し黙った。


「私は、あなたを安全な場所へ置いたまま、自分だけ大きな場所へ行くことに抵抗があります」


『それは優しさですか、罪悪感ですか』


 彼は苦笑した。


「両方です」


 エリアナは胸が温かくなった。彼も迷う。完璧に正しい答えを持っているわけではない。だからこそ、二人で書く必要がある。


 最終的に、彼らは条件付きで返答することにした。


 アレクシスは王宮楽師長補佐を週三日だけ引き受ける。西礼拝堂の職務は継続。王宮礼拝堂では休声規定の導入を条件にする。エリアナへの同行要請、発声依頼、社交出席は本人へ直接依頼し、断る権利を明記する。


 王宮への返書を見たリディアは目を丸くした。


「王宮相手に、こんなに条件を出して大丈夫ですか」


 アレクシスは真顔で答えた。


「条件なしで受けるほうが危険です」


 エリアナは石板に書く。


『私もそう思います』


 返書を封じた後、二人は庭に出た。


「エリアナ」


「はい」


「私は、あなたについて来いとは言いません」


 エリアナは少し考え、答えた。


「私は、あなたに行くなとは言いません」


 それは、甘い誓いではない。


 だが、二人にとっては必要な約束だった。


 同じ場所にいるためだけでなく、違う場所にいても、互いの同意と仕事を尊重するための。

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