第三十七話 カイン様の名誉回復文は、社交界の扇を止める
カイン・オルレアンの名誉回復文は、王都社交新聞に掲載された。
貴族たちの間で読まれる薄い新聞だ。婚約、舞踏会、寄付、爵位継承の噂が載る。以前なら、エリアナはそこに自分の名が出ることを恐れた。人前が苦手な彼女にとって、紙面の噂は見えない客席のようだった。
だが、その日の紙面には、彼女の名が必要な形で載った。
『オルレアン伯爵家は、カイン・オルレアン卿とエリアナ・ベルフォード嬢の婚約解消手続きにおいて、本人への事前説明および名誉配慮が不十分であったことを認める。メリッサ・ベルフォード嬢との婚約式における祝歌問題について、エリアナ嬢の声を本人同意なく用いる意図があったことを重く受け止め、名誉回復を行う』
文章は硬い。
だが、硬いからこそ逃げ道が少なかった。
リディアは新聞を広げて言った。
「社交欄で、こんなに具体的な謝罪文は珍しいそうです」
エリアナは石板に書く。
『恥ずかしいです』
「でも、必要です」
『はい』
必要な恥ずかしさ、というものがある。傷を公にすることは痛い。だが、隠したままだと、誰かが都合のよい物語を作る。エリアナが嫉妬で式を壊したとか、カインを取り戻したくて騒いだとか。
名誉回復文は、そうした扇の陰の噂を止めるための鐘だった。
午後、婦人会の集まりで、エリアナはその効果を見た。
以前なら好奇の視線を向けてきた令嬢たちが、今日は言葉を選んでいる。中には、深く頭を下げる者もいた。
「知らずに失礼な噂を口にしました。申し訳ありません」
エリアナは筆談で返した。
『謝罪を受け取ります。今後、本人確認のない噂を広げないでください』
令嬢は真っ赤になって頷いた。
カイン本人は、会場の隅にいた。彼はエリアナへ近づき、一定の距離で止まった。
「掲載を確認してくれて、ありがとう」
『必要な内容でした』
「慰謝料の残額も、月末までに支払う」
『確認します』
会話は短い。かつての婚約者同士とは思えないほど事務的だった。だが、エリアナはそれを悪いとは思わなかった。甘さで曖昧にするより、事務で正しく終わるほうがよい関係もある。
カインは少し迷った後、言った。
「君とアレクシス殿の婚約を聞いた。祝福する」
エリアナは手を止めた。
祝福。
その言葉を、彼から聞くとは思わなかった。
『ありがとうございます』
「僕は、祝福というものを軽く考えていたのかもしれない。誰かの声があれば形になると」
彼は自嘲気味に笑った。
「今は、同意のない祝福は呪いに近いと思う」
エリアナはゆっくり頷いた。
彼の反省を、彼女が背負う必要はない。だが、彼がその言葉にたどり着いたことは、記録してもよいと思った。
会場の外へ出ると、扇の音が少し変わっていた。
人々はまだ噂をするだろう。けれど、紙面に主語と責任が載った以上、以前のようにエリアナだけを物語の悪役にすることは難しい。
西礼拝堂へ戻り、手帳に書く。
『名誉回復文掲載。扇の音が少し静かになった。カイン様、祝福を言う』
その一行を書いた時、エリアナは過去の婚約がまた一段、遠くなったと感じた。




