第三十五話 私は小さな声名札を本人の手に返す
ミレーヌの休声判断をめぐる面談の後、問題は声名札の保管に移った。
彼女の声名札は、父親が礼拝堂の金庫に預けていた。本人は触ったことがないという。理由は「子どもがなくすと困るから」。その言葉に、エリアナはかつての自分を思い出した。
なくすと困る。
確かに、声名札は大切なものだ。だが、大切だから本人から離すのでは、いつか本人以外の都合で使われる。
聖務院の新規則では、未成年の声名札も本人保管が原則。ただし、補助保管者を置くことはできる。保管箱には本人の封印と補助者の封印が必要で、片方だけでは開けられない。
ミレーヌの父は不満そうだった。
「十三歳の娘に、そんな責任を持たせるのですか」
エリアナは石板に書く。
『自分の声を持つ責任は、少しずつ学ぶものです。持たせないまま使うほうが危険です』
保管替えは、西礼拝堂の小会議室で行われた。
小さな銀札が、金庫から出される。ミレーヌの名が刻まれていた。彼女は初めてそれを見て、息を呑んだ。
「これが、私の声?」
エリアナは頷いた。
銀札は声そのものではない。けれど、誰の声として記録するかを示す。だからこそ、本人が知らないまま金庫に眠っていてはいけない。
セラフィナが説明する。
「これはあなたの声名札です。あなたが保管します。式典で使う時は、依頼書、発声上限、休声予定を確認してから登録します」
ミレーヌは両手で札を受け取った。小さな手の中で、銀が淡く光る。
父親は落ち着かない様子で言った。
「父である私が預かるほうが安全では」
アレクシスが答える。
「補助保管者として登録できます。ただし、本人の封印なしに使用はできません」
ミレーヌは父を見た。
怖がっている。父を嫌っているわけではないのだろう。ただ、逆らうことに慣れていない。
エリアナは短く声を出した。
「封印を、選べます」
机には、いくつかの小さな封印具が並んでいた。花、鳥、星、鈴。ミレーヌは迷った末に、鈴を選んだ。
「大きな鐘じゃなくて、小さい鈴がいいです」
エリアナは微笑んだ。
本人の声に合う印を、自分で選ぶ。その行為は小さいが、深い。
保管箱に二つの封印が押される。ミレーヌの鈴印と、補助保管者として登録された西礼拝堂の印。父親は不満そうだったが、聖務院の規則の前では口を挟めなかった。
手続きの後、ミレーヌはエリアナに言った。
「持っているのが、少し怖いです」
エリアナは石板に書く。
『怖くていいです。大事なものだと分かっている証拠です』
「エリアナ様も、怖かったですか」
エリアナは少し考えた。
『外した時は怖かったです。今も、時々怖いです。でも、持っていると、誰かに勝手に使われた時に気づけます』
ミレーヌは保管箱を胸に抱いた。
「私、気づけるようになります」
その夜、エリアナは自分の銀札を机に置いた。ミレーヌの小さな鈴印を思い出す。
声を持つことは、自由だけではない。責任と怖さもある。けれど、怖いから他人に預けっぱなしにすれば、もっと大きな怖さが来る。
手帳に書く。
『小さな声名札、本人へ返却。怖さも一緒に返す。でも、怖さは所有の一部』
西礼拝堂の小鐘が、夜の終わりを告げた。
エリアナは自分の銀札をしまい、鍵をかけた。
それは、誰かを疑うためではない。
自分の声を、自分がまず信じるための鍵だった。




