第三十三話 未払い報酬で、私は誰かの休声基金を作る
ベルフォード家から支払われる未払い報酬の算定は、予想以上に大きな額になった。
洗礼、婚約、葬送、王都十二鐘の朝調律、夜間の緊急祈り。記録が曖昧なものは、聖務院の台帳、使用人の勤務記録、鐘楼職人の点検記録から照合された。エリアナ自身が忘れていた仕事まで、数字になって戻ってくる。
セラフィナ記録長は一覧を読み上げた。
「未成年期の報酬は保護者管理扱いですが、休声記録不備と過負荷があるため、治療費および慰謝料が加算されます。成年後の無償発声分は本人へ直接支払い」
エリアナは金額を見て、言葉を失った。
銀貨や金貨の数が、喉の痛みと結びつく。嬉しいはずなのに、胸が重い。あの日の葬送も、あの夜の婚約式下練習も、金額欄に入っている。金で過去が返るわけではない。
アレクシスは言った。
「受け取ることと、過去を許すことは別です」
エリアナは石板に書く。
『このお金を自分だけに使うのが怖いです』
「自分の治療と生活に使う分は、必ず分けてください。残りをどうするかは、その後です」
彼は帳面を二冊用意した。一冊はエリアナ個人の生活費と治療費。もう一冊は空白。
空白の表紙に、エリアナはしばらく手を置いた。
自分と同じように、休めない子がいるかもしれない。痛いと言えば外されるのが怖くて、咳を隠す見習い。家や聖堂に声名札を預け、断れない詠唱士。そういう人たちが、休む時に薬代や代替人員の費用を心配しなくて済む仕組みがあれば。
『休声基金』
彼女は表紙にそう書いた。
セラフィナは眼鏡の奥で目を細めた。
「聖務院の補助制度として設計できます。ただし、寄付金と個人資金の区別を明確に」
リディアは早速、寄付帳の書式を探し始める。
エリアナは少し笑った。思いついた途端、周囲が帳面と規定を準備する。西礼拝堂らしい。
基金の最初の支出は、講習に来ていた十三歳の見習い少女の診察費になった。咳を記録した彼女は、医師に軽い炎症を指摘され、一週間の発声制限を受けた。家の管理者は最初、不満を言った。
「式が近いのに、代替詠唱士の費用など」
エリアナは基金の書類を差し出した。
『休声基金から代替費用の一部を補助します。少女本人の責任ではありません』
管理者は渋々受け取った。
見習い少女は、涙目で礼を言った。
「休むのに、お金が要るなんて考えたこともありませんでした」
エリアナは短く声で答えた。
「だから、記録します」
自分の過去の報酬が、誰かの休む日を買う。
そう思うと、金額欄の重さが少しだけ変わった。痛みの値段ではなく、次の痛みを減らすための資金になる。
ベルフォード家から最初の支払いが届いた日、エリアナは自分用に新しい湯器を買った。以前より少し大きく、温度を保てるものだ。
自分のために使う。
誰かのためにも使う。
どちらか一方ではない。
手帳に書く。
『未払い報酬受領。治療費、生活費、休声基金へ分ける。私の喉の過去は、誰かの休む未来になる』




