第二十九話 妹の朗読式に、私は歌わない祝福を贈る
メリッサの初めての朗読式は、婦人会館の小さな広間で行われた。
朗読するのは、孤児院へ贈る冬物衣料の目録と、寄付者への感謝文。華やかな詩でも、恋の物語でもない。だが、婦人会では大事な仕事だった。誰が何を贈り、どこへ届くのかを、聞く人に分かる速さで読む必要がある。
メリッサは緊張していた。
以前の彼女なら、緊張を笑顔で隠しただろう。今日は隠しきれていない。手元の紙を何度も揃え、口の中で発音を確認している。
エリアナは客席の端に座った。発声予定はなし。妹からの依頼は「歌わない祝福の設計」だった。エリアナは式の前に、会場の小鐘を鳴らさず、木札を置く形を提案した。
木札には、こう書かれている。
『本日の祝福は、朗読者本人の声で行う。補助詠唱なし』
メリッサはそれを見た時、少し泣いた。
「歌わなくても、祝福って書いていいの?」
エリアナは石板に書いた。
『祝福は、できないことを隠す音ではありません。できることを、本人の名で置くことです』
朗読式が始まる。
メリッサの声は、最初、少し高かった。早口になり、婦人会長が手元の砂時計を指す。彼女ははっとして、息を整えた。
「冬外套、十二枚。寄付者、靴職人通り組合。届け先、西孤児院」
聞こえる。
歌のような美しさではない。だが、必要な情報が、必要な人に届く声だった。
エリアナは胸が温かくなるのを感じた。
妹は自分の声で立っている。
途中、少し噛んだ。客席の若い令嬢が小さく笑いかけたが、婦人会長が扇で制した。メリッサは顔を赤くしながらも、読み直した。
「失礼しました。もう一度読みます」
その一言に、エリアナは驚いた。
失敗を隠さず、やり直す。以前のメリッサは、失敗すれば周りが助け、姉の声や父の権威で場が整えられていた。今日は、自分で読み直した。
朗読が終わると、木札の前で婦人会長が言った。
「補助詠唱なし。朗読者メリッサ・ベルフォード。読み直し一回。記録します」
メリッサは深く頭を下げた。
拍手が起きた。派手ではないが、温かかった。
式の後、彼女はエリアナのところへ来た。
「お姉様、私、噛みました」
『記録されましたね』
「恥ずかしかった。でも、隠さなくてよかった」
エリアナは頷く。
『隠さない失敗は、次の練習になります』
メリッサは少し笑った。
「お姉様、本当に先生みたい」
『料金をいただいていますので』
「払います。追加で」
二人は声を出さずに笑った。
会場の外で、カインが待っていた。メリッサは一瞬だけ身構えたが、逃げなかった。
カインは真珠の指輪を入れた箱を差し出した。
「正式に返却を受けた。伯爵家としても、君との婚約は白紙にする」
メリッサは頷いた。
「分かりました」
「君は、変わったね」
その言葉に、メリッサは苦笑した。
「変わったというより、姉の声を借りないと立てない私でいたくなくなりました」
カインは何も言えなかった。
エリアナはそのやり取りを少し離れて見ていた。かつて自分を挟んで結ばれようとした二人が、今はそれぞれ自分の言葉で終わりを確認している。
華やかな婚約式ではない。
けれど、ずっと誠実な終わり方だった。
帰り道、メリッサが言った。
「お姉様。私、ベルフォード家を出るかもしれません。婦人会の寮に入って、朗読係として働けるか相談しています」
エリアナは驚いた。
『父が許しますか』
「許さないと思う。でも、法院の決定で、父の監督が絶対じゃないことを知ったから。私も、書類を整えます」
メリッサの声は震えていた。だが、決めた人の震えだった。
エリアナは石板に書いた。
『手続きが必要なら、紹介できます』
「ありがとう。お姉様に助けてもらうけど、お姉様の声は使わない」
その言い方に、エリアナは胸が少し軽くなった。
助け合うことと、奪うことは違う。
姉妹はようやく、その違いを学び始めていた。
西礼拝堂へ戻ると、アレクシスが待っていた。
「朗読式はどうでしたか」
エリアナは手帳を開き、今日の記録を見せた。
『メリッサ、噛んだ。読み直した。歌わない祝福、成立』
アレクシスはそれを読んで、微笑んだ。
「良い記録です」
エリアナもそう思った。
鐘が鳴らなくても、歌がなくても、祝福は成立する。
本人の名で置かれた声ならば。




