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第二十八話 アレクシス様は、私を所有しない告白をした

 規則改定の初回講習が終わった夜、エリアナは西礼拝堂の庭で月を見ていた。


 昼間は多くの見習いと話し、資料を読み、短い説明を何度もした。発声上限は守ったが、心は疲れている。誰かを守る規則を作る仕事は、温かいだけではない。過去の痛みを何度も見返す必要がある。


 青い肩掛けを首元に寄せると、庭の小鐘が風でわずかに揺れた。


 アレクシスが、少し離れた場所に立った。


「隣に行っても?」


 エリアナは頷いた。


 彼はすぐ隣ではなく、半歩分の間を空けて座る。初めて会った時から、彼は距離を確認する人だった。手を貸す前に尋ね、発声の前に同意を取り、面会の扉を少し開ける。近づきすぎない優しさが、エリアナには安心だった。


「今日の講習、よかったです」


 エリアナは石板に書く。


『怖かったです』


「怖いまま、必要なことを伝えていました」


『私は、誰かに厳しすぎる規則を作っていないでしょうか』


 アレクシスは少し考えた。


「規則は、運用で調整します。あなた一人の痛みを、王都全体の命令にするわけではない。ですが、あなたの痛みを無視した規則は、また誰かを傷つける」


 エリアナは石板を見つめた。


 彼の言葉はいつも、彼女を中心に置きすぎない。だからこそ、信用できる。


 しばらく沈黙が続いた。


 庭の向こうでは、リディアが明日の掲示を替えている。鐘楼ではネイトが工具を片付けていた。西礼拝堂の日常が、静かに夜へ移っていく。


 アレクシスが口を開いた。


「エリアナさん。今から言うことは、業務命令でも、契約更新の条件でもありません」


 その前置きだけで、エリアナの胸が跳ねた。


 彼は続ける。


「あなたに好意があります」


 世界が、一瞬静かになった。


 恋、という言葉を自分の手帳に書いたことはある。だが、相手からまっすぐ告げられるとは思っていなかった。しかも、所有でも救済でもない前置きとともに。


 アレクシスは慌てない。


「返事は今でなくて構いません。あなたは婚約の傷を正式に終えたばかりですし、私はあなたの所属先の楽師長です。立場の差があります。ですから、必要なら距離を置く手続きも取ります」


 エリアナは石板を握った。


 嬉しい。


 怖い。


 その二つが同時に来た。父に奪われ、カインに曖昧に扱われた後で、誰かを好きになることは、自分の心をまた危険に差し出すように感じる。


 でも、アレクシスの告白は、彼女の答えを急がせない。むしろ、断る権利や距離を置く手続きまで先に出している。


 エリアナは石板に書いた。


『私も、たぶん、あなたを好きです』


 アレクシスの目がわずかに見開かれた。


 エリアナは慌てて続ける。


『でも、たぶんです。感謝や安心と混ざっています。カイン様とのことも、完全に消えたわけではありません。だから、すぐ婚約や約束にはできません』


 書いてから、怖くなる。


 曖昧な返事だ。以前なら、相手をがっかりさせないために、もっと柔らかい言葉を選んだだろう。けれど、ここで無理に答えれば、また自分の同意を曖昧にする。


 アレクシスは静かに微笑んだ。


「十分です。たぶんから始めましょう」


 その返事に、エリアナは目を瞬いた。


『たぶんでいいのですか』


「確定していない気持ちに、確定した言葉を求めるほうが危険です」


 胸の奥が熱くなった。


 彼はさらに言う。


「業務上の距離は守ります。契約更新や依頼配分に、私情を入れないよう記録長にも確認してもらう。私的に会う場合は、あなたからも希望を出せる形にしましょう」


 恋の話なのに、規定の話になっている。


 けれど、エリアナにはそれが嬉しかった。甘い言葉だけではなく、どうすれば安全に近づけるかを考えてくれる。


 彼女は石板に書く。


『では、私的な散歩を月に二回。発声を必要としない場所。仕事の話をしてもいいけれど、仕事だけにしない』


 アレクシスは真剣に頷いた。


「承知しました」


『これは契約ですか』


「約束です。契約にするなら、もう少し条項が必要です」


 エリアナは声を出さずに笑った。


 月明かりの下で、彼はそっと手を差し出した。


「手をつないでも?」


 エリアナは少し迷い、頷いた。


 触れた手は温かかった。強く引かれない。逃げようと思えば離せる力だった。


 それが、たまらなく安心で、少しだけ物足りないほど優しかった。


 手帳には、その夜こう書いた。


『アレクシス様に好意を告げられた。私もたぶん好き。たぶんから始める。月二回、私的な散歩』


 恋はまだ婚約ではない。


 だが、エリアナの声と同じように、彼女の心もまた、本人の同意から始まることができた。

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