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第二十七話 新しい声名簿には、休む日の欄がある

 王都聖務院は、声名札運用規則を改定した。


 きっかけはベルフォード家の一件だが、対象は王都全体の詠唱士、鐘楼、私設礼拝堂に及ぶ。本人保管、発声上限、休声記録、名義不一致禁止、未成年詠唱者の保護義務。新しい規則案は分厚く、読むだけで半日かかった。


 セラフィナ記録長は、その改定委員にエリアナを招いた。


「実際に無断使用された当事者として、意見をお願いします」


 エリアナは最初、躊躇した。


 規則を作る側に立つことが怖かった。自分の傷を元にしている以上、感情が入りすぎるかもしれない。逆に、誰かを守りたい気持ちが強すぎて、現場に無理な規則を作るかもしれない。


 アレクシスは言った。


「だから委員会で作るんです。一人で規則を作らないために」


 その言葉に背中を押され、エリアナは聖務院の会議室に座った。


 委員には、司祭、鐘楼職人、詠唱士、医師、貴族礼拝堂の管理者がいた。立場が違うため、議論は簡単ではない。


 ある管理者は言った。


「休声日を必ず入れると、式典予定が組みにくくなります」


 医師は反論した。


「休声日を入れないほうが、長期的には予定が壊れます」


 鐘楼職人は腕を組む。


「声だけでなく、鐘にも休ませる日が必要だ。金属疲労は祈りでは治らん」


 その言葉に、エリアナは小さく笑いそうになった。鐘にも休みが必要。母が聞いたら喜んだだろう。


 エリアナが最も強く求めたのは、名簿の欄だった。


『発声者名、依頼者名、式典名だけでは足りません。休声日、発声を断った理由、代替手段の欄を入れてください』


 司祭の一人が首を傾げる。


「断った理由まで記録すると、詠唱士が責められる材料になりませんか」


『責めるためではなく、断ることが正規手順だと残すためです。空白だと、後から怠慢にされます』


 エリアナ自身がそうだった。歌わなかった日がなければ、休んだ理由も残らない。休んだ理由が残らなければ、次にまた「いつものように」と言われる。


 セラフィナは規則案へ書き込んだ。


「休声欄および代替手段欄を追加。断った依頼は、詠唱士の不履行ではなく、依頼条件不備または健康管理上の判断として分類する」


 会議室の空気が少し重くなった。


 これまで当たり前に押しつけていた曖昧さが、欄として可視化される。困る人もいるだろう。だが、困るのは、誰かの限界を曖昧に使っていた側だ。


 規則改定と同時に、西礼拝堂では若い詠唱士見習いの講習が始まった。


 エリアナは初回講師に任じられた。人前で話すのは苦手だ。だが、講習は歌の披露ではない。書いた資料を配り、必要な部分だけ短く声で説明し、あとは筆談と実習で進める。


 見習いの中に、十三歳の少女がいた。細い声を持ち、貴族礼拝堂から推薦されてきたという。少女はエリアナの手帳を見て驚いた。


「痛い日も、書くんですか」


 エリアナは頷く。


「痛い日を、消さないために」


 短い声で言うと、少女は真剣な顔で自分の小さな手帳を開いた。


「私、昨日、練習の後に少し咳が出ました。でも先生に言うと、次の式から外されるかと思って」


 エリアナは石板に書く。


『外されるのではなく、調整されるべきです。咳は記録してください』


 少女はほっとしたように頷いた。


 その姿を見た時、エリアナは胸の奥で何かがほどけるのを感じた。


 自分の過去は消えない。けれど、自分の記録が、次の誰かの喉を守るかもしれない。


 講習の最後、見習いたちに小さな休声札が配られた。表には名前を書く欄。裏には、発声上限と連絡先。


 エリアナは自分の札を掲げた。


「休む札は、弱さの札ではありません。次に鳴るための札です」


 声は少し掠れたが、無理はしていない。


 見習いたちは、それぞれの札に名前を書いた。


 新しい声名簿の最初のページには、発声者名の横に休声欄がある。


 エリアナはその欄を見て、母に報告したいと思った。


 お母様。


 あなたの木札は、今度こそ祈祷台の奥に隠されません。


 誰かが歌った日だけでなく、歌わないと決めた日も、王都の正式な記録になります。

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