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第二十一話 灰鐘祭の依頼は、死者の名を消さないために来た

 王都には、年に一度、灰鐘祭がある。


 十年前の疫病で亡くなった人々を悼む慰霊の日だ。王都十二鐘が日没に一斉に鳴り、それぞれの鐘楼で死者の名が読み上げられる。貴族も平民も、職人も旅人も、名簿に残る者は同じ音で送られる。


 エリアナにとって、灰鐘祭は苦い記憶でもあった。


 母セシリアが亡くなった年、父は「家の悲しみを見せるな」と言い、エリアナに短い葬送の節を歌わせた。十歳の喉で、母の名を送る音を出した。泣けば音が乱れると言われ、涙をこらえた。


 その灰鐘祭の統括依頼が、西礼拝堂へ来た。


 聖務院の依頼書には、今年から分散管理で行うため、各鐘楼の基準確認と名簿読み上げの調整が必要だとある。中央確認には契約詠唱士エリアナ・ベルフォードの協力を希望する。ただし発声上限は二節、休声規定遵守。


 エリアナは依頼書を読んで、喉元を押さえた。


 灰鐘祭。


 母の名。疫病の年。泣けなかった自分。すべてが胸の奥から戻ってくる。


 アレクシスは予定表を見ながら言った。


「断ることもできます」


 エリアナは石板に書く。


『断ってもいい依頼ですか』


「はい。過去の傷に関わる行事です。技術的に可能でも、心が拒むなら受けない理由になります」


 心が拒む。


 家では、心はいつも後回しだった。喉が出るなら歌う。式があるなら歌う。母の葬送でも、泣かずに歌う。それが誇りだと言われた。


 エリアナは目を閉じる。


 母の名を、今年はどう聞きたいだろう。


 父の礼拝堂では、母の死も家の格式に包まれた。だが、聖務院の灰鐘名簿には、セシリア・ベルフォードの名があるはずだ。歌い手であり、休声木札を残した人として。その名を、正しく響かせたい。


『受けます。ただし、母の名簿記録を確認したいです』


 アレクシスは頷いた。


「条件に入れましょう」


 聖務院の名簿室で、エリアナは古い灰色の台帳を開いた。疫病年の死者名簿。紙は重く、めくるたびに乾いた音がする。


 そこに、母の名はあった。


『セシリア・ベルフォード。ベルフォード家祝鐘詠唱者。休声記録作成者』


 エリアナは息を止めた。


 父の家では、母は「侯爵夫人」として語られた。病弱で、静かで、夫を支えた人。だが聖務院の名簿には、詠唱者として、休声記録を作った人として残っていた。


 セラフィナ記録長が言う。


「この記録は、当時の聖務院書記が残したものです。セシリア夫人の木札制度は、一部の鐘楼で参考にされました。ただ、ベルフォード家内では継承されなかった」


『父が止めたから』


「可能性が高いです」


 悲しみと怒りが混ざる。


 母の仕組みは、消えたわけではなかった。家の中で隠されただけだ。外のどこかには、母の名を覚えていた記録があった。


 灰鐘祭の準備は、王都中を巡る仕事だった。花市場では供花の鈴を調整し、王立施療院では亡くなった患者の名簿を確認する。靴職人通りでは、疫病で親を亡くした職人たちが、鐘楼の階段を掃除した。


 エリアナは発声よりも、名簿の確認に多くの時間を使った。


 名前を間違えないこと。


 誰かの死を、家名や身分の都合で薄めないこと。


 それは、祝歌とは違う緊張だった。


 準備の途中、ベルフォード家から抗議が来た。


『灰鐘祭におけるセシリア・ベルフォードの肩書きは、侯爵夫人と記載すべきである。詠唱者、休声記録作成者の記載は家の内部事情に関わるため削除を求める』


 エリアナはその文面を見て、指先が冷えた。


 母の名まで、父は整えようとしている。


 アレクシスが低く言う。


「削除する必要はありません。聖務院記録に基づく肩書きです」


 エリアナは返書を書いた。


『灰鐘祭は死者の名と生前の仕事を記録する祭です。セシリア・ベルフォードの詠唱者記録および休声記録作成者の記載削除に同意しません』


 書き終えると、胸の奥で十歳の自分が息をした気がした。


 母の葬送で泣けなかった子どもは、今、母の名を消さないために文を書いている。


 灰鐘祭の日まで、あと三日。


 西礼拝堂の練習室で、エリアナは母の木札の写しを机に置いた。


 歌うのは二節まで。


 それ以上は歌わない。


 母を悼むために、自分の喉を壊す必要はない。むしろ休声を守ることこそ、母の名を正しく継ぐことなのだと、エリアナはようやく思えた。

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