第十九話 契約詠唱士エリアナとして、私は父を相手取る
貴族法院の本審理までに、エリアナは肩書きを一つ増やした。
王都聖務院認定、契約詠唱士。
臨時ではない。西礼拝堂に所属しながら、王都鐘、病床祈り、式典調律の正式依頼を受けられる資格だった。始鐘式での実績、喉の管理記録、聖務院の試問を経て、認定証が発行された。
エリアナはその紙を受け取った時、しばらく文字を読めなかった。
『エリアナ・ベルフォード』
名前の下に、職名がある。
父の娘ではなく、誰かの婚約者でもなく、妹の影でもない。仕事を持つ本人として、紙に残っている。
セラフィナ記録長が言った。
「本審理では、この資格が重要です。あなたは家から出た未婚令嬢ではなく、公的認定を受けた専門職です」
専門職。
その言葉を聞くたび、背筋が伸びる。同時に、怖さもある。専門職なら、自分で判断しなければならない。守られるだけではなく、契約に責任を持つ。
アレクシスは認定証用の革ケースを机に置いた。
「持ち歩くなら、折れないほうがいい」
エリアナは石板に書く。
『いただけません。高そうです』
「貸与です。西礼拝堂の備品。紛失したら弁償です」
エリアナは思わず肩を震わせた。贈り物ではなく貸与。甘い言葉より、備品台帳に書かれるほうが今は安心する。
本審理の日、法院の席には前回より多くの人がいた。
ベルフォード家の評判はすでに揺らいでいる。王都十二鐘の分散管理、婦人会でのメリッサの訂正、オルレアン伯爵家の婚約未処理。すべてが噂になっていた。父はそれを「娘による家名毀損」と主張するつもりだった。
グラードは堂々と発言した。
「エリアナは家の技術を持ち出し、外部で金銭を得ている。これはベルフォード家の祝鐘技術の流出です」
裁判官はエリアナへ視線を向ける。
「反論は」
エリアナは立ち上がった。今日は、最初に一言だけ声で名乗ると決めていた。
「契約詠唱士、エリアナ・ベルフォードです」
その後は筆談へ切り替える。
『私が外部で得ている報酬は、私自身の発声、調律判断、記録業務に対するものです。ベルフォード家の祝鐘設備を持ち出してはいません。声名札は本人所有であり、家産ではありません』
セラフィナが証拠を提出する。
母セシリアの登録条件。エリアナの喉の診断書。西礼拝堂の契約書。始鐘式の記録。メリッサの証言書。カインの婚約解消未処理を認める書面。
父は苛立ちを隠せない。
「娘が外で働けば、家の名が汚れる」
エリアナは石板に書く。
『私の名を汚したのは、私の声を他人名義で使おうとしたことです』
読み上げられると、傍聴席に低いざわめきが広がった。
父は机を叩いた。
「親に向かって、その言い方は何だ!」
裁判官が制止する。
「ここは法院です。親子の叱責の場ではありません」
父は口を閉じた。
その瞬間、エリアナは奇妙な感覚を覚えた。父の怒声は、家では絶対の力だった。だが法院では、規則違反の発言として止められる。父の声も、場所が変われば制限される。
声には、場と規則がある。
それは彼女の声だけではない。
オルレアン伯爵家の代理人も発言した。
「当家としては、エリアナ嬢との婚約関係が正式解消されていない点について、手続き上の遅れを認めます。ただし、慰謝料額については協議を」
エリアナは用意していた紙を出した。
『協議に応じます。ただし、婚約者変更を私に事前説明せず、妹との婚約式に私の祝歌を要求した事実を認めることが前提です』
代理人は苦い顔をした。
父と伯爵家、両方が同じ場で責任を問われている。エリアナ一人が感情的に騒いでいるのではない。複数の書類と証言が、彼らの曖昧さを切り分けている。
審理の後半、裁判官は父へ問いかけた。
「ベルフォード侯爵。あなたはエリアナ殿の声を家産と呼びました。その根拠は」
「家で育て、家の礼拝堂で鍛えたからです」
「では、喉の治療費、休声日の補償、過去業務の報酬は支払いましたか」
父は黙った。
裁判官は続ける。
「家産として扱うなら管理責任がある。娘の奉仕として扱うなら本人同意が必要。どちらにしても、現在の記録は不足しています」
エリアナは、父の沈黙を見た。
ざまぁ、という痛快さはなかった。胸の奥には、むしろ疲れが広がる。父が少しでも早く理解していたら。母の木札を隠さなければ。声を家のものと言わなければ。いくつもの「もし」が浮かぶ。
けれど、もしでは現実は直らない。
結論は、ベルフォード家の家産保全命令申立て棄却。
さらに、エリアナの声名札本人保管の確認、過去記録訂正の調査継続、ベルフォード家への治療費仮払い命令が出た。
治療費。
父が娘へ払う金ではない。過負荷を与えた管理者が、働き手へ払う費用だった。
法院を出ると、エリアナは足元がふらついた。緊張が解け、体が急に重くなる。
アレクシスが手を差し出した。
「支えます。歩くのは、あなたの速さで」
エリアナはその手を取った。
持ち上げられるのではなく、支えられる。自分の足は地面にある。
西礼拝堂へ帰る道で、彼女は認定証の革ケースを胸に抱いた。
契約詠唱士エリアナ。
その肩書きは、父を倒すためだけの武器ではない。これから自分の声で働き、自分の喉を守るための足場だった。




