第12話 四天王をやめた暗黒騎士さんは、世界一優秀なメイドになりました
# 第12話 四天王をやめた暗黒騎士さんは、世界一優秀なメイドになりました
香ばしいバターの甘い香りが、キッチンの隅々まで満ちていた。
「お姉ちゃん、クッキー、綺麗に焼き上がりました!」
オーブン代わりの調理用魔導窯から、ミーシャちゃんが両手で天板を取り出して見せてくれた。
こんがりと黄金色に焼き上がった、星やハートの形の手作りクッキー。
「まあ、完璧な焼き加減ね! 形もとっても綺麗! やっぱりミーシャちゃんはお菓子作りの天才ね。息をして天板を運んでいるだけで百点満点よ!」
「えへへ……お姉ちゃんに褒めてもらえると、すごく自信がつきます」
ミーシャちゃんがはにかんで頬を染める。
天使だ。我が妹ながら、どこをどう切り取っても百点満点の可愛さである。
足元ではポチが「きゅ〜ん」と鼻を鳴らし、焼き立てのクッキーを見上げて尻尾を振っていた。
もちろん、ポチ用の砂糖なしミルクビスケットも一緒に焼いてある。一枚差し出すと、前足で器用に受け取ってサクサクと夢中でかじり始めた。
「さて、それじゃあ……客間で寝ているお客様の様子を見に行きましょうか」
私は淹れたてのフレッシュハーブティーをポットとカップに注ぎ、ミーシャちゃんがクッキーを盛った木製のお盆を手に取った。
さっき庭で行き倒れ……いえ、フライパンでノックアウトした魔王軍四天王の暗黒騎士キリカさん。
泥だらけだった漆黒の甲冑は『生活魔術・泥汚れ一括分解&金属鏡面研磨』で新品以上にピカピカに磨き上げておいたし、ふにゃふにゃになった大剣もきちんとお手入れして布に包んでおいた。
泥だらけの服も脱がせてお洗濯し、清潔な木綿の寝巻きを着せて、我が家の最高峰フカフカベッドに寝かせてある。
トントン、と軽く客間の扉をノックする。
「キリカちゃん、入るわよ〜?」
ガチャリと扉を開けると――ベッドの上で、キリカさんがガバッと跳ね起きたところだった。
「……ッ!? き、貴様は……!?」
艶やかな黒髪を乱し、白磁の肌を強張らせて身構えるキリカさん。
けれど次の瞬間、彼女は自分の格好と部屋の中を見回して、ぽかんと口を開けた。
「な……拘束されていない……!? 鎖も呪符もないだと……!? それに、この肌触りの良い寝巻きと……雲のように柔らかな寝台は一体……!?」
部屋の隅に飾られた、鏡のように光り輝く自分の甲冑と、綺麗にお手入れされた魔剣を見て、彼女の目は点になっていた。
「き、傷ひとつなく磨き上げられている……!? 魔王城の一級鍛冶師ですら、ここまでの整備は不可能ぞ……!? ど、どういうことだ……!?」
混乱の極みに達しているキリカさんに、ミーシャちゃんがおずおずとお盆を差し出した。
「あの……お目覚めになりましたか? お腹が鳴っていたので……これ、お姉ちゃんと一緒に焼いたクッキーです。お口に合うといいのですが……毒なんて、入っていませんから」
ミーシャちゃんが気遣うように微笑みかける。
キリカさんは息を呑み、ベッドの上で居住まいを正した。
「わ、我が主……ッ!? なぜ貴女様がこのような人間の下僕のような真似を……! それに、私は魔王軍四天王最強の暗黒騎士! いかに我が主のお手ずからとはいえ、人間の施しなど――」
ぐうううぅぅぅぅ……ッ!
静かな部屋に、豪快極まりない腹の虫が響き渡った。
キリカさんの涼やかな美貌が、一瞬で真っ赤に染まる。
「あらあら、遠慮しないで食べちゃいなさいな。ミーシャちゃんが一生懸命型抜きしてくれたんだから」
私がクッキーを一枚手渡すと、キリカさんは羞恥に耐えかねたように目を伏せ、震える指先でそれを受け取った。
そして、覚悟を決めたようにサクッと一口かじる。
――サクッ。
その瞬間、キリカさんの紅い瞳が見開かれた。
「……っ!? な、何だこの美味さは……!? 芳醇なバターの香りと、優しい甘み……それに、旅の疲労で荒れた胃袋に染み渡るような滋養は……!?」
ハーブティーを一口含むと、爽やかな香りが喉を潤し、彼女の全身からスッと緊張が抜けていくのが目に見えてわかった。
気づけば、彼女は無我夢中でクッキーを二枚、三枚と口に運んでいた。
うんうん、やっぱり美味しいごはんの前では、誰だって素直になっちゃうものよね!
「ふふ、良い食べっぷりね! 作った甲斐があったわ」
私が微笑むと、キリカさんはハッと我に返り、皿を置いて身構え直した。
「くっ……! ごまかされんぞ! 貴様、私を捕らえて王国の騎士団に売り飛ばす気か……!?」
「まさか! そんな面倒なことするわけないじゃない」
私がケラケラと笑うと、キリカさんは信じられないものを見る目で私を凝視した。
「それよりね、キリカちゃん。私、あなたの甲冑をお洗濯して感動したのよ。隅々まで油が差してあって、長年大切に使われてきたのがよくわかったわ。あの重い鎧を着て森を走破する体力も忍耐力も素晴らしい! あなた、間違いなくお掃除と力仕事の才能があるわ! うちで世界一優秀なメイドさんになれる素質が満点よ!」
「め、メイドだと……!? 何をふざけたことを! 私は魔王軍四天王ぞ! なぜ私が人間のメイドなど――」
キリカさんが叫びかけた、その時だった。
「あの……キリカさん」
ミーシャちゃんがそっと、ベッドのキリカさんの袖を引いた。
薄紫色の瞳が、真っ直ぐにキリカさんを見つめている。
「キリカさん、すごく疲れていたんですね。……さっきお庭に来たときは、キリカさんの周りに『魔王軍を支えなきゃ』『みんなの面倒を見なきゃ』っていう、すっごく重くて苦しい色のモヤがいっぱい渦巻いていました」
「……っ!?」
「でも、お茶を飲んでお菓子を食べた今……その黒いモヤが、綺麗に消えています。今は、すっごく温かくて、優しい色をしています。……キリカさんは、本当はとても真面目で、優しい人なんですね」
邪眼で見える心のモヤ――。
ミーシャちゃんの純粋な言葉に、キリカさんは胸を突かれたように目を見張った。
「な……ぜ、それを……。魔王様が消息を絶ち、空中分解しかけた軍を一人で支え……誰も、私を労ってなどくれなかったのに……」
ポロリと、キリカさんの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
四天王なんて大層な肩書きを背負っていたけれど、この子もまた、重すぎる責任に押しつぶされそうになっていた苦労人だったのね。
「まあ! ミーシャちゃん、相手の心の疲れまで見抜いて労ってあげられるなんて天才! 生きてそこにいるだけで一万点満点よ!」
私がすかさずミーシャちゃんを抱きしめて褒めちぎると、頭の奥でポンッッ!!と心地よい音が弾け、魔力が一瞬で全回復した。
やっぱりミーシャちゃんを愛でるのが一番のエネルギーチャージだわ!
抱き合って笑う私たちを見て、足元のポチが念話で呆れたように呟いた。
『……ふん。諦めるのじゃな、暗黒騎士よ。我が主が望んでおるのは、温かな飯と、あの能天気な姉の腕の中だけよ』
「神獣……フェンリシア殿まで……」
キリカさんは深く息を吐き、静かにベッドから降りた。
そしてミーシャちゃんの前に跪き、胸に手を当てて頭を垂れた。
「――我が主よ。貴女様がこの温かな場所で、笑顔で生きることをお望みであるならば……私もまた、魔王軍の任を辞し、この地にとどまりましょう」
「えっ……キリカさん……?」
キリカさんは顔を上げ、今度は私に向き直った。
その涼やかな瞳には、迷いのない清々しい光が宿っていた。
「クレア殿。私をこの家のメイドとして雇っていただきたい。我が主の安寧を守るためならば……庭の草むしりでも、力仕事でも、皿洗いでも、喜んで引き受けましょう!」
「まあ! 本当!? 大歓迎よ、キリカちゃん! 今日からよろしくね!」
私が満面の笑顔で手を取ると、キリカさんは少し気圧されながらも、ほんのりと頬を緩めた。
「は、はい……! 至らぬ身ですが、誠心誠意お仕えいたします、お姉様……!」
「お、お姉様……!?」
思わず叫んだ私の隣で、ミーシャちゃんが「ふふっ」と嬉しそうに笑い声を零した。
縁側ではポチが「やれやれ、ますます騒がしくなるのう」と尻尾を振っている。
こうして――元・魔王軍四天王最強の暗黒騎士キリカちゃんが、我が家の優秀なメイド兼家族として仲間入りを果たしたのだった。
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