第11話 漆黒の暗黒騎士が来ましたが、部屋の換気をしておきました
木漏れ日が心地よく降り注ぐ午後。
私たちのお家の庭には、ミーシャちゃんが育ててくれた日だまり草が黄金色に咲き誇っていた。
「お姉ちゃん、見てください。ミントもカモミールも、元気に葉を広げてくれました」
小さな花壇の前で、ミーシャちゃんがじょうろを抱えて嬉しそうに振り返る。
「まあ、本当ね! 葉っぱがツヤツヤで良い香り! やっぱりミーシャちゃんは植物の天才ね。息をしてお水をあげているだけで百点満点よ!」
「えへへ……お姉ちゃんに褒められると、すごく嬉しいです」
ミーシャちゃんがはにかむ。天使だ。
前世で毎日終電まで営業回りとパソコン業務に追われ、過労死した元アラサーの魂が、この笑顔だけで五体投地して浄化されていく。
縁側の陽だまりでは、手のひらサイズの白モフ――かつて森の主だった古代神獣フェンリシアこと、ペットのポチが丸くなって「きゅ〜ん」と呑気なあくびを漏らしていた。
『ふぁあ……主の愛情が今日も重いのう。まあ、飯は美味いし昼寝には最高じゃが』
念話は尊大だが、尻尾はミーシャちゃんの足元にご機嫌で揺れている。すっかり我が家のマスコットだ。
まさに絵に描いたようなスローライフ。この幸せを脅かすものなんて何もない――そう心から満ち足りた吐息をついた、その時だった。
――ズズズズ……ッ!
突如、森の奥から冷たい突風が吹き抜けた。
澄み渡る青空の半分が、見る見るうちに禍々しい暗雲に覆われていく。
「きゃっ……!?」
「ミーシャちゃん!」
私は素早くミーシャちゃんの肩を抱き寄せた。
ポチがバッと耳を跳ね上げ、庭の入り口を睨みつける。
『ぬ……!? このただならぬ瘴気は……!』
ザッ、ザッ、と重厚な金属音が響く。
森の木々を押し分け現れたのは――全身を刺々しい漆黒の甲冑で包んだ一人の騎士だった。
身の丈ほどもある巨大な黒剣を背負い、兜のスリットから覗く瞳が紅く冷徹に光っている。
……ええと、どちら様かしら?
前世のイベントでも見ない本格的な重装備だわ。見るからに肩が凝りそう。
漆黒の騎士は重々しく一歩進み出ると、私の腕の中のミーシャちゃんを指差し、地響きのような威厳ある美声で朗々と告げた。
「――ようやく見つけたぞ。我が主、空位となりし魔王の玉座を継ぐべき漆黒の申し子よ……!」
「……えっ?」
ミーシャちゃんが目を丸くする。
「我が名はキリカ。魔王軍四天王が一角、最強の暗黒騎士。……主よ、迎えに参りました。このような貧相な村など捨て去り、魔族の頂点へと君臨するのです!」
胸に手を当てて忠誠を示す騎士。
どうやらミーシャちゃんの中に眠る裏ボス素質の魔力を嗅ぎつけ、スカウトに来たらしい。
事情はよくわかったけれど――。
「……あのね、キリカさん?」
私はミーシャちゃんを背中に隠し、スッと立ち上がった。
もちろん満面の笑顔である。少し額に青筋が立っていたかもしれないけれど。
「他人の敷地に土足で踏み込むのもマナー違反ですし……何より、うちの可愛い妹ちゃんが怖がっているじゃないの。お外から帰ってきたら、挨拶と泥落としが常識でしょう?」
「き、貴様は何だ? ただの田舎娘か。……邪魔だ、消え失せろ! 闇の瘴気に呑まれて塵と化すがいい! 暗黒瘴気よ、すべてを腐食せよ!」
キリカさんがガントレットを掲げると、甲冑からドス黒い紫の毒ガスが爆発的に噴き出してきた。
あっという間に美しいハーブたちを飲み込もうと広がる。
いけないわ!
せっかくのお花が枯れちゃうし、洗濯物にも匂いが移っちゃう!
「お庭の空気を濁らせるなんて絶対に許しません! 『生活魔術・空気清浄&徹底換気エアサーキュレート』!」
私は生活魔術を発動させた。納戸や地下室の空気を入れ替える便利魔法だ。
刹那――ゴオオオオオッッ!!
庭全体が竜巻のような清冽な大気循環に包まれた。
換気扇一万台が一斉に回ったような超突風で、暗黒瘴気は一瞬にして上空へと吸い上げられ、分子レベルで消滅する。
おまけに出力過多のおかげで、青空が戻った庭中には爽やかなレモングラスの香りがふわりと漂った。
「ふう、やっぱり空気は綺麗じゃなくっちゃね!」
「な……!? 一国の王都すら一夜で腐海に沈める我が極大暗黒瘴気が……消えた!? しかもなぜレモンの良い香りが……!?」
キリカさんはガントレットを震わせ、呆然と叫んだ。
そして背中の大剣に手をかける。
「おのれ……! 四天王最強たる我が剣技、受けてみるがいい! 漆黒の魔剣よ、哀れな人間を一刀両断せよ――ッ!」
轟音とともに抜かれた身の丈を超える黒剣。
大地を砕く気迫で突進してくる。
危ない! 刃物をそんなに振り回したら怪我をしちゃう!
「刃物は危ないからダメ! きちんとお手入れして保管しなさい! 『生活魔術・布の柔軟化&素材トリートメント』!」
固い麻袋をフワフワにする家事魔術を放った。
パァァン……!
桃色の光が大剣を包んだ瞬間――無敵の魔剣は、まるで茹で上がった極太うどんのように、くにゃりと折れ曲がって垂れ下がった。
「……は?」
突進の途中でキリカさんが止まる。
持ち上げた剣が、ふにゃふにゃと揺れている。
「な、何だこの感触は……!? 魔剣の剛性が失われ……シルクのような滑らかな手触りに……!?」
混乱する無防備な隙を、私は見逃さない。
「そして――お庭の土を踏み荒らし、ミーシャちゃんを脅かしたお仕置きよ!」
エプロンから『頑固汚れ用鉄フライパン』をサッと取り出し、手首を利かせて――。
カコォォォンッッ!!
フライパンの底が、キリカさんの兜の側面に吸い込まれた。
心地よい金属音が山あいにこだまする。
「ぶべらっ……!?」
四天王最強の暗黒騎士は、白目を剥いて崩れ落ちた。
コロコロと転がる兜の下から零れ落ちたのは――汗に濡れた艶やかな黒髪と、白磁の肌。
きりりと引き締まった眉元を持つ、クールで端正な美少女の顔だった。
「……あれ? こんなに綺麗な女の人だったの!?」
倒れた彼女は気絶している。
けれど、その立派な甲冑は長旅のせいか泥だらけで傷だらけだった。
「お、お姉ちゃん……! すごいです……! 私を守ってくれて、ありがとうございます……!」
駆け寄ってきたミーシャちゃんがぎゅうと抱きついてくる。
その瞬間――私の頭の奥で、ポンッッ!!と心地よい音が弾け、消費した魔力が一瞬で満タン&限界突破した。
やっぱりミーシャちゃんの愛情は最高の特効薬だわ!
「ふふ、私はかすり傷ひとつないわよ。それより見て。この人、強い魔力を持ってるみたいだけど……鎧が泥だらけだし、なんだかすごくお腹が空いてるみたい」
気絶したキリカさんのお腹から、ぐううぅぅ……と盛大な音が鳴ったのだ。
「風邪をひいちゃうわね。よし! 家の中に運んで、甲冑をお洗濯して、お茶とお菓子でおもてなししてあげましょう!」
「えっ……お、おもてなしするんですか……!?」
目を白黒させるミーシャちゃんをよそに、私は行き倒れの暗黒騎士さんをお姫様抱っこで軽々と持ち上げたのだった。
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