第10話 姉妹と一匹の幸せな暮らしは、まだまだにぎやかになりそうです
爽やかな森の風が吹き抜け、庭いっぱいに甘い花の香りが満ちていた。
我が家の庭には今、一面の黄色い絨毯が広がっている。
村の種苗店で買ってきた日だまり草の種。ミーシャちゃんが毎日心を込めてお水をあげ、優しい声をかけて育てた結果――わずか数日で庭全体を埋め尽くすほどの見事なお花畑へと変貌を遂げていたのだ。
「お姉ちゃん、見てください! 今日も新しいお花が咲きました!」
麦わら帽子をかぶったミーシャちゃんが、泥のついた小さな手袋を外しながら、嬉しそうに駆け寄ってくる。
その足元では、手のひらサイズの白モフ――ポチが、「きゅ〜ん!」と嬉しそうに尻尾を振りながらついてきていた。
「まあああっ! なんて綺麗なお花畑なのかしら! ミーシャちゃん、お花を育てる天才ね! 生きてるだけで百点満点なのに、こんな奇跡を起こしちゃうなんて一億点よ!」
「えへへ……お姉ちゃん、褒めすぎです……っ」
照れくさそうに顔を赤らめるミーシャちゃんの頭を、私は両手で優しく包んで撫で回した。
ポンッ!
はい、午前中のMP大オーバーフロー完了!
今日も我が家の永久機関は絶好調ね。
『ふん、たかが草花が咲いたくらいで大騒ぎしおって……』
足元からポチの不遜な念話が聞こえてきたけれど、その口元には日だまり草の花びらがくっついていて、芝生の上をゴロゴロ転がりながらすっかりご満悦の様子だ。
口では生意気なことを言っても、すっかり我が家の一員として馴染んでいる。
「さあ二人とも、ひと休みしましょ! 特製のおやつが焼けてるわよ!」
「わあ……! 今日のおやつは何ですか?」
「ふふ、縁側でお茶会にしましょ!」
私たちは靴を脱いで、庭に面した広々とした木の縁側へと上がった。
テーブルに並べたのは、焼き立てのクッキーとサクサクのスコーン、庭で採れた野苺を煮詰めた自家製ジャム、そして湯気を立てる香り高いハーブティーだ。
もちろん、ここにも生活魔術の極致が遺憾なく発揮されている。
『生活魔術・サクサク黄金ベイク』によって、スコーンは外側がホロホロ、中はしっとり。小麦の香ばしさとバターのコクが極限まで引き出された逸品だ。
「いただきます……! ……んんっ! サクサクで、甘酸っぱくて……とっても美味しいです!」
「きゅ〜ん、くぅん!」
ポチには特別に、砂糖を使わずに焼いた特製ミルクビスケットを差し出すと、前足で器用に抱え込んで夢中で齧りついた。
『む、むぐっ……! なんたるサクサク感……! 甘みを抑えつつも濃厚なミルクの風味が余の魂を直撃する……! うむ、苦しゅうないぞ人間!』
「ポチちゃんもお利口さんに食べてて可愛いわね〜」
私がポチの背中に柔らかいブラシをあててブラッシングしてあげると、白モフの体がとろ〜んと液体のように縁側へ溶けていった。
神獣の威厳はどこへ行ったのかしら。まあ、可愛いから大正解ね!
おやつを食べ終えた後、心地よい午後の陽だまりが縁側を包み込んだ。
ぽかぽかと温かい日差しに、満腹になったミーシャちゃんが、こくりと小さく船を漕ぎ始める。
「ふふ、ミーシャちゃん、眠くなっちゃった?」
「あ……ご、ごめんなさい、お姉ちゃん……なんだか、あったかくて……」
「いいのよ。ほら、ここにおいで」
私が自分の太ももをポンポンと叩くと、ミーシャちゃんは嬉しそうにはにかみながら、私の膝の上にコテンと頭を預けてきた。
すやすやと穏やかな寝息を立て始める銀髪の天使。
ポチもまた、ミーシャちゃんのお腹の上に丸まって、温かな湯たんぽのように収まっている。
……ああ、本当に。
なんて温かくて、幸せな時間なのだろう。
私はミーシャちゃんの柔らかい銀糸の髪に指を通しながら、静かに目を細めた。
前世の私は、とにかく忙しかった。
営業の仕事に追われ、数字に追われ、終電帰りの毎日に追われ――。
年の離れた実の妹が、満面の笑顔で「お姉ちゃん、これ見て!」と駆け寄ってきても、「ごめんね、今忙しいから。後でね」と背中を向け続けた。
そして結局、遠くの街へ引っ越していく妹に、まともな別れの挨拶すらできないまま離別してしまった。
病室のベッドで過労の果てに倒れたとき、胸に残っていたのは――ただひとつ。
もっと妹の手を握ってあげたかった。
目を見て、「すごいね」「大好きだよ」と、笑いかけてあげたかった。
その願いと後悔を抱えて、この世界に転生した私。
だからこそ、私は決めたのだ。
もう二度と、忙しさに心を奪われない。
誰かを大事にできる余白のある暮らしを、絶対に手放さないと。
村はずれの古い空き家。
人里離れた静かな森の入口。
そこで出会った、世界一愛おしくて、世界一不遇だった私の妹。
誰も信じてくれなかった少女の存在を、私が丸ごと肯定してあげる。
美味しいごはんを作って、暖かいお布団を用意して、縁側で一緒に日向ぼっこをする。
それだけで、私の世界はこんなにも色鮮やかに輝いている。
「……ん……おねえちゃん……だいすき……」
寝言のように呟いて、ミーシャちゃんが私の服の裾をぎゅっと握りしめた。
その口元には、幸せに満ちた柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「ふふ……私も大好きよ、ミーシャちゃん」
私はそっと囁き、その愛らしい額に優しく口づけを落とした。
姉妹と一匹。
最果ての村での、私たちの幸せな全肯定スローライフは――今、確かにひとつの完成を迎えたのだ。
――けれど。
ふわり、と。
森の奥から吹き抜けてきた風の中に、ほんのわずかな『異質な気配』が混ざり込んでいた。
遠く、遥かな空の彼方か、あるいは森のさらに深き闇の底か。
ミーシャちゃんの内に秘められた尋常ならざる魔力の残滓、そして私の規格外の生活魔術の光に引き寄せられるように――誰かが、この最果ての村へと足を踏み入れようとしている予配。
ポチの耳がピクリと動き、薄く目を開けて森の方角を睨みつけた。
『……む。この気配は……ただの獣や魔物ではないな。何者かが、この結界の気配を嗅ぎつけて近づいておるぞ』
念話で警戒を促してくるポチ。
けれど、私は膝の上のミーシャちゃんを起こさないように、そっと頭を撫でながらくすりと微笑んだ。
「どんな人が来たって、関係ないわ」
もしも平和を脅かす悪い人が来たら、生活魔術でピッカピカにお掃除してあげるだけ。
もしも道に迷ってお腹を空かせた人が来たら、美味しいお茶と焼き立てのスコーンでおもてなししてあげるだけ。
この温かな日常と、愛しい妹の笑顔を邪魔するものは――何人たりとも許さない。
「どうやら、私たちの幸せな暮らしは……まだまだ、にぎやかになりそうね」
木漏れ日が揺れる縁側で、私は満面の笑みを浮かべながら、青く澄み渡る空を見上げたのだった。
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