晒された告白
水曜日の放課後、志田から俺のスマホにメッセージが来た。
『今日、ちょっと話したい。美術室でも準備室でもないところで』
俺は少し考えてから、『学校の外のほうがいいか』と返した。
『うん、できれば』
『駅前のファミレス、土曜と同じとこでいい?』
『それで』
短いやり取り。志田はスタンプを使わなかった。普段の彼女なら、何かしら絵文字を添える。今日はそれがない。内容の重さが、文面の軽さまで奪っていた。
俺は放課後、いつもの美術準備室に顔を出して、篠宮に簡単に伝えた。
「今日、志田と外で話してくる」
「......うん」
「昨日のこと、ちゃんと聞くつもりだ」
「分かった」
篠宮はそれ以上聞かなかった。ただ、俺のほうを一度だけ見て、小さく頷いた。「行ってらっしゃい」の言葉を省略した頷きだった。
美術準備室を出る時、篠宮が背中に一言だけ追いかけてきた。
「水無瀬くん」
「......ん?」
「聞くのは、志田さんのペースで。急がないで」
「分かってる」
俺は振り向かずに答えて、廊下に出た。
* * *
ファミレスの窓際の席で、志田はすでに待っていた。
土曜日と同じ席だった。今日もホットミルクティーを頼んでいた。もう5月に入るのに、ホット。
俺は隣じゃなくて向かいに座った。土曜日と同じ配置だ。ただ、今日の志田の顔は、土曜日より少しだけ柔らかかった。泣いた後のような、重たい疲れが抜けた顔。
「今日、篠宮さんと話した後、一晩寝てみたの」
志田のほうから切り出した。
「うん」
「寝てる間にね、なんだろう、気持ちの整理がついたっていうか。まだ全然整理はできてないんだけど、話せる気がしてきた」
「......そうか」
「だから、水無瀬にも、ちゃんと話しておこうと思って」
志田はホットミルクティーを一口飲んで、カップをゆっくり置いた。
それから、ゆっくりと息を吸って、話し始めた。
「中学3年の時にね、好きな人がいたの」
「うん」
「同じクラスの男子。普通にカッコよくて、優しくて、クラスの中心にいるようなタイプ。私もまあ、社交的なほうではあるから、自然と仲良くなって、冗談言い合ったりする関係にはなってた」
「うん」
「で、高校受験の前、どうしても気持ちを伝えたくて、思い切って告白したの。放課後の教室で。私と彼だけが残ってたから、チャンスだと思って」
「......」
「バカだよね、そんなの。普通、大事な告白はもっと周りを確認するべきだったのに、私は浮かれてて」
志田はそこで笑った。自虐ではなく、ただ、当時の自分を少し遠くから眺めるような笑い方。
「後ろの扉の陰に、クラスの女子が二人いたの」
俺は言葉を失った。
「私、気づかなかった。告白してる私の様子を、スマホで撮ってたの。動画で」
志田の声は驚くほど落ち着いていた。何度もこの話を心の中で反芻してきたんだろう。感情が抜けるまで擦り切れた言葉。
「翌朝、クラスのグループチャットに動画が流れてた。タイトル付きで。『告白した人いるんだけど、きつくない?』」
俺は息を呑んだ。
「動画の中の私は、緊張して、ちょっと早口で、自分で言うのも変だけど、必死だった。『あの、前から好きだったから、返事は今じゃなくていいから、でも気持ちだけは伝えたくて』。そのテンションが、動画で再生されると――なんか、すごく、"痛い"感じに見えたんだよね」
「......」
「グループチャットは炎上した。『志田って身の程知らず』『マジで告んの? ウケる』『あの男子可哀想』。みんな笑ってた。動画の再生回数が、たぶん2日で300くらいいった」
「......」
「極めつけはね、相手の男子が次の日、教室で大声で言ったの。『俺、あいつ無理。マジで無理』って。私が近くにいるのに、わざと聞こえる声で」
俺は奥歯を噛んだ。
噛んだが、それ以上の反応ができなかった。
怒りたかった。怒るべき場面だった。でも、俺の中の「怒り」という感情は、長い間フタをされ続けていて、反応の速度が遅かった。言葉にならない代わりに、ただ、胃の奥にじりっと熱いものが溜まるだけ。
「それから1週間くらい、学校に行けなかった。母さんにも、何があったかは言えなかった。『風邪』って言ってベッドに潜ってた」
「......親にも言えなかったのか」
「言えないよ、こんなこと。『あなたの娘が笑いものになってる』なんて、言われたほうも困るじゃん。親を心配させたくなかったし、私も"弱い自分"を見せたくなかった」
志田は小さく肩をすくめた。
「で、1週間後、なんとか学校に行った。教室に入ったら、もうその話題は"終わった話"になってた。みんな次の話題に移ってた。私が1週間休んでた間に、もっと面白いことが起きてたんだろうね」
「......」
「だから、私はそこで決めた。『何もなかった顔で、今まで通り明るく振る舞おう』って。そうしないと、次の笑いものになるのは、1週間休んだ私だから」
志田はもう一度、ホットミルクティーを一口飲んだ。今度は少し冷めていた。
「それからは、うまくやれた。高校受験も乗り切って、新しい友達もできた。去年までは、ちゃんと楽しかったんだよ、本当に」
「......去年まで」
「うん。今年の春くらいから、なんか少しずつ、色が薄くなっていったの」
俺は黙って聞いていた。
色が薄くなっていった、という志田の感覚は、奈都の話していた「脳の防衛遮断」と完全に符合していた。感情を抑え続けた結果、脳が"もう処理したくない"と判断して、赤を手放した。
志田はその俺の顔を見て、少しだけ不思議そうに言った。
「水無瀬、意外と冷静だね」
「......冷静じゃない」
「そう?」
「ただ、俺は......感情を出すのが遅いんだ。すぐに出せたら、もっといろいろ違ったのかもしれないけど」
「ふうん」
志田はそれ以上追及しなかった。自分の話に戻った。
「その日から、私は『明るい真央』をちゃんとやることに決めた。笑って、声を出して、誰かを傷つけない存在でいようって。代わりに、『好きな人を作る真央』は、もう作らないって決めた。怖かったから」
「......」
「高校に来て、心機一転できたと思ってた。新しい友達もできたし、毎日楽しかった。でもね、最近、誰かが恋の話をすると、心臓がきゅっとなるの。『あ、私、まだ怖いんだ』って、自分で気づく」
「......」
「それで気づいた時にね、夕焼けが急に灰色に見えた。それが始まりだったと思う」
俺は黙って聞いていた。
聞きながら、胸の中で一つの事実が重たく座っていた。
――志田の「感情にフタをする」決め方と、俺の「感情にフタをする」決め方は、形は違うけど根は同じだ。
俺は両親の離婚で、どちらかを選ぶことを強いられて、強い感情を持つことを怖がるようになった。志田は恋愛を晒されて、好きになることを怖がるようになった。
違う出来事、違う傷、違う反応。
でも、「感じない方が楽だ」と自分を納得させたプロセスは、驚くほど同じだった。
* * *
その時、ファミレスの入り口のほうから、よく知っている声が聞こえた。
「あれ、水無瀬じゃん」
顔を上げると、航平だった。サッカー部の練習帰りらしく、ジャージ姿で、大きなスポーツバッグを肩にかけている。
「......航平」
「おお、志田もいんの? 珍しい組み合わせ」
航平は手を軽く振って、俺たちの席に近づいてきた。空気を読むのが上手いやつだが、今日は普通に話しかけてきた。
たぶん、普通に見えたんだろう。俺たちの席は。
でも、俺の顔と、志田の赤い目を見て、航平の表情が一瞬で変わった。
「......なんか、話してたの?」
「うん。ちょっとね」
志田のほうから、航平に頷いた。
「柊くん、来てくれるなら、一緒に座っていいよ。もう話は終わり、に近いから」
航平は迷う顔をして、それから俺のほうを見た。
俺は少しだけ頷いた。航平がいることで、たぶん、何かが変わる気がした。俺の怒れない分を、航平が代わりに怒ってくれるかもしれない。そういう、身勝手な期待も混じっていた。
航平が隣の席に座ると、俺は短く、さっき聞いた話の要点だけを航平に伝えた。中学の告白の件、動画を撮られた件、グループチャットで晒された件、相手の男子が「無理」と言った件。
航平は聞きながら、眉間のシワが深くなっていった。
聞き終わった瞬間、航平はテーブルに片手を軽く叩いて、それから真剣な顔で志田を見た。
「志田、それ、お前が悪いんじゃないだろ」
シンプルで、直球で、誰でも言える言葉。
でも、それが「言えない」人間もいる。俺みたいに。
航平は続けた。
「動画撮ったやつと、それ広めたやつと、『無理』って言った男子、全員クソだろ。お前は普通に告白しただけじゃん。普通のことを、普通にやっただけ。なのに、あいつらがお前を"笑いもの"にしたんだよ。お前が身の程知らずなんじゃない。あいつらが、他人の気持ちを尊重できない、頭の悪いやつらだったってだけ」
航平の声は、落ち着いていたが、怒りが芯に通っていた。
志田は一瞬、目を見開いた。
そして、静かに笑った。
「......ありがとう、柊くん」
志田の笑顔は、今日一番柔らかかった。涙じゃなく、微かな笑み。
でも、その笑顔の後に、志田はこう付け足した。
「でもね、もう平気だよ。だって、もう何も感じないもの」
俺はその言葉を聞いて、胃の奥がひどく重くなるのを感じた。
「何も感じない」は、楽な言葉じゃない。俺は毎日それを使っている人間だから、知っている。それは楽じゃない。諦めだ。
志田の笑顔は、諦めの上に作られていた。
だから、痛かった。
志田の笑顔が、俺には、自分の鏡のように痛かった。
航平は何も言わなかった。ただ、テーブルの上で拳を握ったり開いたりしている。怒りを持て余している顔だ。
俺はその航平の横で、何か言うべきなのに何も言えなくて、オレンジジュースの水滴をゆっくりと指でなぞっていた。
志田が席を立った。
「今日はこれで帰るね。話聞いてくれてありがとう、二人とも」
「......うん」
「気をつけて」
志田は短く手を振って、会計を済ませて店を出ていった。志田の後ろ姿が自動ドアの向こうに消えた後、航平が静かに口を開いた。
「......透」
「なんだ」
「お前、あんまり怒ってなかったな」
「怒ってない、わけじゃない。ただ、上手く出せなかっただけ」
「......そっか」
航平はそれ以上追及しなかった。
でも、航平の沈黙は、俺にとっては小さな指摘だった。
――怒るべき場面で怒れない俺は、志田を助けられるんだろうか。
その問いが、胸の奥でずっと響いていた。




