第6話 町を歩けば数字が見える
水路管理棟へ向かう道は、夕暮れの町を斜めに横切っていた。
雪は細かく降り続け、石畳の継ぎ目を白く埋めている。道の両側には、明かり石を吊るした店が並んでいた。いつもなら帰宅を急ぐ人々の声が響く時間だが、今日は通り全体がどこか沈んでいた。
「さっきから、何を見ている」
隣を歩くレオンが尋ねた。
「数字です」
「数字?」
「店先の札、家の扉に貼られた配給票、橋の欄干に刻まれた水位の記録。町の人は、気づかないうちに数字を残しています」
ミナは最初の店先で足を止めた。
パン屋の壁には、今月の焼成回数が記された札が掛かっている。先月までは一日八回だった数字が、今月は五回に減っていた。
「燃料石が足りないのでしょう」
「パンの値段は変わっていない」
「店主が無理をしている」
ミナは札の下に並んだ小さな印を数えた。
「焼成回数が減ったのに、販売数の記録は増えています。外から仕入れたパンを混ぜているようです」
レオンは店の奥を見た。窯の火は弱く、店主は客の途切れた隙に薪を細かく割っている。
「配給帳の改ざんが、こんな場所にまで影響しているのか」
「数字は帳簿の中だけで動くものではありません」
ミナは歩き出した。
「使える魔法石が減れば、窯の回数が減る。窯が減れば、仕入れが増える。仕入れが増えれば、運ぶ荷車の数が増える。数字は町を歩けば見えてきます」
次に二人は、第三水路区へ入った。
共同炉の前には、順番を待つ人々が集まっていた。炉の表示板には、保温石の残量が「三」と示されている。昼には「五」だったはずだと、近くの女性が話していた。
「二個使ったのですか」
ミナが尋ねると、炉番の老人が頷いた。
「子どものいる家へ回した。今夜は冷えるからな」
「配給の記録は?」
「記録なら、担当役所へ送った」
「受け取りの署名をしたのは、あなたですか」
「わしは字が書けない。いつも役所の若い者が書いていく」
老人は不安そうに炉を見た。
「だが、昨日は誰も来なかった。保温石を持ってきたのは、見たことのない男だったよ」
「どんな男でしたか」
「濃い色の外套を着ていた。荷車の右側が沈んでいたな。雪道なのに、ずいぶん重そうだった」
ミナとレオンは顔を見合わせた。
「荷車の印は?」
「車輪の横に、青い線があった。水路管理棟の荷車だと思ったが、番号までは見ていない」
ミナは炉の横に置かれた記録板へ近づいた。残量の数字は、何度も削って書き直された跡がある。
「この数字は誰が?」
「役所の者だ」
「書き直す必要があったのですか」
「最初は四と書いた。だが、次の日に来た役人が三に直した」
レオンの表情が硬くなった。
「二個使ったのなら、残量は三になる」
「そうだ。だが、最初に書いた四という数字は、何を示していたのか」
ミナは炉の蓋を開けた。内部には小さな保温石が三個並んでいる。どれも光が弱く、長くは保ちそうにない。
そのとき、通りの向こうから鐘が鳴った。
水路の水位を知らせる夕刻の鐘だ。通常なら二度鳴るはずが、今日は三度鳴った。
「おかしいですね」
ミナが呟いた。
「水位が危険域なのかもしれない」
二人は水路へ走った。第三水路の水面は、雪解けもないのに普段より高く、流れが濁っている。水門脇の表示板には、水位「七」と記されていた。
ミナは足元の石碑へ目を向けた。そこには過去十年分の最高水位が刻まれている。冬至前のこの時期に七を超えた年は、一度もなかった。
「上流で水門を開けています」
「なぜ、今?」
「水路管理棟へ向かう荷車が通るためかもしれません」
彼女は雪に残る轍を見つけた。二本の線のうち、右側だけが深く沈んでいる。車輪の脇には、青い粉がわずかに残っていた。
レオンは剣の柄へ手を置いた。
「追うぞ」
「水路管理棟へ行く前に、ここを確認しましょう」
「荷車を逃がすことになる」
「逃がすのではありません。行き先を確かめるのです」
ミナは轍の脇にしゃがみ込んだ。車輪の跡は水門へ向かっているが、途中で分かれていた。一本は管理棟へ続き、もう一本は橋の下へ消えている。
「荷車は二台ではありません」
「どういう意味だ」
「同じ幅の車輪跡ですが、沈み方が違います。こちらは保温石を積んだ重い荷車。もう一方は空の荷車です」
レオンは橋の下を見た。
暗い水面に、何かが浮かんでいる。ミナが拾い上げると、それは濡れた木札だった。表面に数字が刻まれている。
3―14―2―6。
「搬出記録の番号か」
「違います」
ミナは木札の裏を指でなぞった。削られた文字の跡があり、その下から別の数字が浮かび上がった。
7―3―1―9。
「数字が二重になっています。上の列は配給先、下の列は実際の搬出順かもしれません」
「なら、十四番の荷は三番目に運び出され、二番の荷は一番目に運び出された」
「この町の帳簿は、配給先の順番で整理されている。だから、搬出の順番を隠せるのです」
レオンは木札を受け取り、しばらく黙っていた。
「水路管理棟ではなく、橋の下へ運び込んでいる可能性がある」
「水路沿いには、使われていない点検用の空洞があります。昔の温水管を通すための場所です」
「知っているのか」
「配給記録の古い注記にありました。町の人が知らない場所でも、記録には残ります」
二人は橋の下へ降りた。
石壁の根元に、雪で隠された鉄扉がある。錠前は新しく、周囲だけが濡れていた。誰かがつい先ほど開けたばかりらしい。
レオンが扉へ手を伸ばしたとき、内側から低い声が聞こえた。
「もう来たのか」
続いて、金属の擦れる音が響いた。
レオンはミナを背にかばうように立った。
「その位置では、私が見えません」
「下がれ」
「契約書には、互いの同意なく相手を調査から外さないと書きました」
ミナは彼の横へ並んだ。
「私も見ます」
レオンは一瞬だけ彼女を見た。やがて、扉の取っ手を握る。
鉄扉の向こうには、暗い空洞が広がっていた。壁際には木箱が積まれ、その箱の蓋には、見覚えのある青い二重線が刻まれている。
そして中央の箱の上には、一枚の紙が置かれていた。
そこには、リュネの各区の名前と、冬至までの日数が並んでいた。
第一水路区 残り十二日。
第三水路区 残り七日。
貴族街 残り三十日。
ミナの指が止まった。
「同じ町なのに、残り日数が違う」
レオンが紙を見下ろす。
「誰かが、区ごとの魔法資源の持続日数を計算している」
「では、この数字は配給の計画ではありません」
ミナは箱の中から保温石を一つ取り出した。表面には商会の紋章が刻まれている。
「町を、どこから先に冷やすかを決めた記録です」
空洞の奥で、足音が響いた。
二人が振り向くより早く、鉄扉が外側から閉められた。鍵の落ちる音がして、暗闇の向こうから誰かが笑った。
「数字が見えるなら、最後まで数えてみろ」
扉の隙間から、青い粉がさらさらと流れ込んできた。




