第18話 数字が示す横流しの道
公開審査まで、残された時間は二日しかなかった。
中央配給局の記録室には、朝から紙をめくる音が続いていた。机の上には配給帳、倉庫の受払記録、水門の作業日誌、魔法石の刻印一覧が広げられている。どれも単独で見れば、ただの数字の列にすぎない。けれど、ミナはその一つひとつが、町のどこかへ続く細い道だと知っていた。
「北区画への配給量は、帳簿上では減っていません」
ミナは三冊の帳面を並べた。
「けれど、実際の受取量は減っている。配給所の控えには、受け取った世帯数と量が残っています。帳簿の数字だけが、毎週少しずつ増えているんです」
レオンが隣から頁をのぞき込んだ。
「増加量は一定か」
「完全に一定ではありません。でも、月の終わりにだけ大きな差が出る。最初は書き間違いだと思いました」
「月末に何がある」
ミナは別の紙を取り出した。
「商会の定期船です。運河の東岸に停泊して、鉱石や魔法石を積み替える。配給帳の差が大きくなる日と、船の入港日が重なっています」
レオンの目が鋭くなった。
「配給局から東岸へ運ばれた記録は?」
「ありません。だから、最初は道が見えなかった」
ミナは受払記録の端を指で押さえた。
「でも、倉庫の封印番号に一つだけ規則から外れたものがあります。通常、配給用の魔法石には、入庫した年と区画番号が刻まれます。ところが、この番号は水門管理用の資材に使う形式です」
「同じ石を、別の目的の資材として処理したのか」
「はい。水門用なら、配給帳に直接記載する必要がありません。作業記録にまとめて書けます」
レオンはしばらく黙り、地図を机の中央へ広げた。
リュネの水路は、町を幾重にも縫っている。中央水路から北へ伸びる支流、その途中で東岸へ向かう細い運河。普段は荷船の往来も少なく、夜になれば灯りもほとんどない。
ミナは、過去三か月分の作業記録に赤い印を付けた。
「この番号の資材が動いた日は、必ず東岸の小水門が開いています」
「小水門は夜間閉鎖のはずだ」
「記録上は、です。けれど、開閉を担当した職員の署名がありません」
レオンは地図の上で、赤い印を順につないだ。
中央倉庫。北水門。東岸の荷揚げ場。そして、商会の私有倉庫。
数字が一本の線になった。
「横流しの道だ」
彼が低く言った。
ミナの背中に、冷たいものが走った。魔法石は配給所から直接消えたのではない。水門の資材に紛れ、夜の運河を通り、荷船へ積み替えられていたのだ。
「でも、これだけでは誰が命じたかまでは分かりません」
「命令書を探す」
「どこに?」
レオンは倉庫記録の束をめくった。
「作業指示には、必ず承認番号が付く。違法な指示なら、番号を偽造するか、別の命令に紛れ込ませる」
午前の終わり頃、ミナは古い作業記録の中に、同じ承認番号が繰り返し使われていることに気づいた。
一つは北水門の修繕。もう一つは東岸の浚渫。さらに同じ番号が、商会の倉庫前の水路清掃にも使われている。
「三つの作業が、同じ日に行われたことになっています」
「人員は足りるのか」
「足りません。北水門だけで、記録された人数の半分が必要です」
レオンは承認番号の欄を見つめた。
「誰かが一つの命令書を複製した」
「その複製を使って、夜の水門を開けた」
「そして、配給用の石を運んだ」
ミナは立ち上がった。
「審査で、運搬経路を示せます」
「経路だけでは弱い。命令書の原本が必要だ」
そのとき、記録室の扉が激しく叩かれた。
二人が振り向くと、若い職員が息を切らして立っていた。
「東岸の記録庫が、今朝から封鎖されています。商会の代理人が、審査院の許可だと言って……」
「許可証は見たか」
「見せられました。ですが、印が薄くて、番号も読めません」
レオンはすぐに外套を取った。
「行く」
「私も行きます」
「危険かもしれない」
「記録庫には、原本があるんでしょう」
彼は一瞬だけミナを見た。止める言葉を探したのだろう。しかし、やがて小さくうなずいた。
「対等な証言者として、同行してくれ」
「はい」
東岸へ向かう途中、町の様子が二人の目に入った。水は戻ったものの、北区画ではまだ配給を待つ列ができている。人々は不安そうに空を見上げ、いつ再び灯りが消えるのかと話していた。
ミナは足を速めた。
原本が消されれば、数字はまたただの数字に戻ってしまう。
記録庫の前には、二人の男が立っていた。扉には赤い封印札が貼られている。
「中央審査院の命令により、立入禁止です」
男の一人が言った。
レオンは監査官章を示した。
「命令書を」
「こちらです」
差し出された紙を見て、ミナはすぐに違和感を覚えた。印章の水路模様が、招待状のものと左右逆になっている。
「偽造です」
ミナが言うと、男たちの顔色が変わった。
「なぜ分かる」
「中央審査院の印は、開かれた目の右側に三本の細い線があります。この紙には二本しかない。それに、承認番号の桁が一つ多い」
レオンが紙を取り上げた。
「記録庫を封鎖する権限は、審査院にはない。審査開始前の証拠保全は、監査局の管轄だ」
男たちは後ずさった。だが、背後の扉から乾いた音が響いた。
中で誰かが棚を倒したのだ。
「開けろ!」
レオンが命じる。
返事はなかった。次の瞬間、扉の隙間から白い煙が流れ出した。紙を焼く匂いが、東岸の湿った空気に混じる。
ミナは袖で口元を覆いながら、床に落ちた小さな帳票を拾った。
そこには、途中まで消えかけた文字が残っていた。
搬出先――東岸第七荷揚げ場。
数量――配給帳差引分と一致。
そして、最後の欄に記された名前。
商会代表の署名ではない。
中央配給局の副局長、ヴァルター。
ミナの指が震えた。
横流しの道は、町の外から伸びてきたのではなかった。中央局の中から始まっていた。
レオンが帳票を受け取り、目を伏せる。
「これで、動機と経路がつながった」
「でも、焼かれたら証拠がなくなります」
「全部は消せない」
彼は燃え始めた記録庫を見つめた。
「君が見つけた数字は、もう複数の帳面に残っている。職人の証言もある。公開審査で示す」
ミナは煙の向こうを見た。
火は紙を奪えても、積み重なった数字まで燃やすことはできない。
彼女は焼け焦げた帳票を胸元へしまった。
「明日、これを大広間に持っていきます」
「ああ」
「副局長が相手でも、隠しません」
レオンはまっすぐに彼女を見た。
「私も隣に立つ」
東岸の運河を、夕暮れの水が静かに流れていた。
その水は、長いあいだ人目につかない道を通って、町の灯りを奪っていた。けれど今、その流れの先は、公開審査の大広間へと向かっている。
数字が示した道の終点で、ミナは初めて、真実を告げる相手の顔を思い浮かべた。




