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水路都市の記録係は、期限付きの契約から本当の恋を始めます  作者: 銀細工ナギ


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第12話 レオンの過去と古い借り

 倉庫裏に回ると、石畳の上に一台の荷車が止まっていた。


 車輪には泥がこびりつき、荷台には厚い布がかけられている。御者の姿はない。逃げたのか、最初から乗っていなかったのかは分からなかった。


 エドガルド審査官が先に近づこうとしたが、レオンが手を上げて制した。


「誰も触れるな。発見時の状態を記録する」


「荷車一台で何が分かる」


「触れずに調べれば、触れた者の言い訳も減る」


 レオンは淡々としていた。ミナは彼の指示に従い、荷車の位置、車輪の向き、布の端から漏れる青い光を帳簿に書き留めた。


 光は弱かった。だが、魔法石が入っていることは間違いない。


 レオンが布をめくると、木箱が六つ並んでいた。箱の側面には、リュネ貴族商会の紋章がある。その上から、別の印が削り取られていた。


 ミナは箱の隙間に挟まっている細い紙片を見つけた。


「これは……」


 拾い上げようとした手を、レオンが止める。


「手袋を」


「あ、すみません」


「謝る必要はない。見つけたことが重要だ」


 彼は携帯していた薄手の手袋をミナへ差し出した。受け取ると、指先に彼の体温が残っているような気がした。


 紙片には、古い配給帳の一部らしい数字が並んでいた。


 第三水路区、二百箱。

 南職人区、百五十箱。

 備蓄移送、三百五十箱。


 合計だけを見れば、正規の計画書と同じだった。だが、紙片の端には、見慣れない小さな記号がある。


 ミナは眉を寄せた。


「この印、以前の帳簿にもありました。数字を書き換えたあと、別の紙へ転記したことを示す記号です」


「よく覚えていたな」


「記録係ですから」


「その言葉を、今日は何度も聞いた」


 レオンの口元がわずかに緩んだ。


 そのとき、荷車の下から金属音がした。ミナが屈むと、車軸の近くに小さな銀板が落ちている。表には商会の紋章、裏には中央監査局の古い印が刻まれていた。


 レオンの表情が変わった。


「知っている印ですか」


「……ああ」


 彼は銀板を見つめたまま、しばらく答えなかった。


 倉庫の裏には、公開審査を待つ人々のざわめきが届いている。けれど、そこだけ時間が止まったようだった。


「十年前、私はこの印のついた荷車を追っていた」


 レオンは低い声で言った。


「当時の私は、中央監査局の見習いだった。リュネの北門から、魔法石を積んだ荷車が夜ごと出ていた。記録上は空荷だったが、門番の証言では、荷台から青い光が漏れていた」


「横流しを調べていたんですね」


「ああ。私は証拠を集め、上司に報告した。だが、報告書は受理されなかった」


 レオンの視線が銀板から離れない。


「その夜、荷車を止めようとした監査官が一人いた。私の師だった。彼は門の前で追手に襲われ、片腕を失った」


 ミナは息を呑んだ。


「それでも、犯人は捕まらなかった」


「証拠が消された。荷車も、記録も、関係者の証言も。私は未熟で、師を守れなかった」


「だから、今回の件を……」


「古い借りを返すために来た」


 レオンはそう言ったが、その声には自分を責める響きがあった。


 ミナは帳簿を閉じた。


「それは、あなたの借りではありません」


 レオンが顔を上げる。


「師が傷ついたことも、報告書を握り潰したことも、あなたが負うことではないです」


「私は、あの荷車を止められなかった」


「でも、今は止めました」


 ミナは荷車を指した。


「十年前に消された記録を、今度は私たちが残せます。あなた一人の借りにしなくていい」


 レオンは黙っていた。


 やがて、彼は銀板を証拠袋に入れ、口を封じた。


「私たち、か」


「契約上の協力者です」


「契約は、そう長く残らない」


「期限が来るまでは、協力者でしょう」


 ミナが言うと、レオンはほんの少しだけ目を細めた。


「期限が過ぎたら?」


「そのときは、そのとき考えます」


 本当は、考えるのが怖かった。契約が終われば、彼は中央へ戻る。自分は記録局に残る。今のように隣で帳簿を広げる理由はなくなる。


 けれど、今それを口にする必要はなかった。


 倉庫の表側から、審査官の声が響いた。


「荷車の調査結果を報告しろ!」


 ミナとレオンは顔を見合わせた。


「行きましょう」


「怖くないのか」


「怖いです。でも、記録しないほうがもっと怖い」


 レオンは頷いた。


 二人が倉庫へ戻ると、人々の視線が一斉に集まった。ミナは発見した木箱の数、削り取られた印、銀板の刻印を順に読み上げた。


 最後に、レオンが証拠袋を掲げる。


「この印は、十年前に中央監査局が追っていた横流し事件にも使われていた。今回の不正が、過去の事件と同じ経路を持つ可能性がある」


 倉庫内がどよめいた。


 エドガルドは顔を硬くした。だが、今度は異議を唱えなかった。


 ミナは帳簿に新しい記録を書いた。


 古い事件と、現在の改ざんがつながった。


 そしてその線の先には、まだ姿を見せていない誰かがいる。


 公開審査は、商会の横流しを問うだけの場ではなくなった。


 リュネの記録から消された十年分の闇を、明るみに出す審査になろうとしていた。

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