第10話 改ざんされた冬越し計画
朝の鐘が三度鳴る前に、ミナとレオンは記録局を出た。
公開審査まで、残された時間は少ない。町はまだ眠っていたが、水路沿いの配給所にはすでに人の姿があった。冬を越すための魔法石を受け取る日を、誰もが待っているのだ。
「本当に、証言してくれるでしょうか」
ミナが尋ねると、レオンは歩調を緩めずに答えた。
「自分の見たことを話すだけなら、協力する者はいる」
「商会に逆らうことになります」
「だから、証言を強制してはいけない」
「分かっています」
ミナは胸元の帳簿を押さえた。
「でも、黙っていれば、また同じように数字を書き換えられます」
二人が最初に向かったのは、第三水路区の配給所だった。扉を叩くと、眠そうな顔をした係員が現れた。彼はミナを見るなり、周囲をうかがった。
「昨夜の荷車のことなら、私は何も見ていません」
「荷車の話ではありません」
ミナは帳簿を開いた。
「この配給所から二百箱が出庫したことになっています。実際に渡された数を確認したいのです」
「記録では、予定どおりです」
「予定ではなく、実数を」
係員は唇を噛んだ。しばらく迷ったあと、奥の棚から小さな木箱を持ってきた。中には、配給を受けた住民が押す印章の札が束ねられている。
「受け取り札です。二百箱分あるはずでした」
彼は札を一枚ずつ並べた。
百八十七枚しかなかった。
「残り十三箱は?」
「記録上は、破損分です」
「破損した魔法石は、どこへ?」
係員は答えなかった。
レオンが低い声で告げる。
「ここで話したことは、審査記録として保護される。虚偽を言わないかぎり、あなたが責任を問われることはない」
「本当に?」
「私の権限で証明する」
係員は震える手で、別の紙を差し出した。
「十三箱は破損していません。夜中に、商会の印がついた荷車へ移されました。私は止めようとしましたが、上からの指示だと言われて……」
ミナは紙を受け取り、時刻と署名を確認した。出庫記録を書き換えた人物の筆跡と、指示書の文字は一致していた。
「この紙を審査で提出してもよいですか」
係員は何度も迷った末、うなずいた。
「町の人に、もうこれ以上、寒い思いをしてほしくありません」
二人は次に、水門塔へ向かった。
鐘守の老人は、塔の上から町を見下ろしていた。話を聞くと、彼はすぐに頷いた。
「夜中に荷車が通った。積み荷を隠すため、布を何重にも掛けていたが、箱の隙間から青い光が漏れていた」
「何時ごろですか」
「二時の鐘の少し前だ」
老人は塔の鐘を指した。
「私は毎刻、鐘を鳴らす。記録帳にも書いてある。荷車が通った時刻は、帳簿に記された出庫時刻より三刻も早い」
ミナは記録帳を見せてもらった。そこには、毎日の鐘の時刻と、水路を通った船や荷車の数が細かく記されていた。
商会の荷車が通った夜だけ、記録の欄に空白があった。
「誰かに消されたのですか」
「消されたというより、上から紙を貼られた」
老人は紙の端を爪でめくった。下から、古い記述が現れた。
夜半、青光を漏らす荷車一台。
ミナは息を呑んだ。貼り紙の上には、商会の印が押されている。
「これも証拠になります」
「証言してくれと言うのだろう」
老人は苦笑した。
「私はもう長くない。だが、鐘の記録まで嘘にされるのは気に入らん。審査で話そう」
その後も、二人は数か所を回った。
橋守は、商会の荷車が通るたびに通行料を免除されていたことを証言した。南職人区の配給係は、受け取りに来た住民の印章を使わず、空欄のまま提出するよう命じられていたと話した。
証言は一つひとつ、ばらばらに見えた。
だが、ミナが時刻と数字を並べると、すべてが一つの流れになった。
配給所で出庫数が増やされる。
受け取り札が不足する。
夜半に魔法石が運び出される。
記録は紙を貼り、別の数字に置き換えられる。
「冬越し計画そのものが、最初から改ざんされていたのです」
ミナは広場の石壁に、数字を書き出した。
「本来、各区に配る量は、昨年の使用量と住民数を基に決められていました。でも商会は、配給予定を多く見せて、余剰分が出たように装った。その余剰分を横流ししていた」
「住民には、足りない量だけが渡される」
レオンが続けた。
「そして不足の責任は、寒波や住民の使いすぎに押しつけられる」
ミナは拳を握った。
「冬を越せないのは、町のせいではありません。最初から、越せない計画にされていたのです」
そのとき、広場の向こうから男が走ってきた。
記録局の若い職員だった。息を切らし、手に封書を握っている。
「ミナさん、レオン監査官。審査会場が変更されました」
「どこへ?」
「中央倉庫です。エドガルド審査官の指示で、傍聴人の入場も制限するそうです」
レオンの目が鋭くなった。
「変更の通知書を見せろ」
職員は封書を渡した。中には審査会場の変更と、証拠提出の締め切りを過ぎたという文面が書かれていた。
ミナは紙を裏返した。日付は昨日。だが、審査会場の変更を決めるには、審査官全員の署名が必要なはずだった。
「また、改ざんです」
ミナが言うと、レオンは封書を折りたたんだ。
「会場へ行く。証言者も連れていく」
「入場を止められたら?」
「止められた事実そのものを記録する」
レオンはミナを見た。
「君は、証拠を持って中へ入れ」
「あなたは?」
「外に残る人たちの記録を取る」
ミナは一瞬、反論しかけた。だが、彼の言葉の意味を理解した。
二人で同じ場所に入る必要はない。どちらかが中で証拠を示し、もう一人が外で妨害の事実を残す。そうすれば、商会がどちらか一方を黙らせても、記録は消えない。
「分かりました」
ミナは頷いた。
「私が中で、冬越し計画の改ざんを示します」
「私は外で、審査そのものが改ざんされていることを示す」
中央倉庫の鐘が鳴った。
公開審査の開始時刻だった。
ミナは帳簿を抱え直し、集まった証言者たちとともに歩き出した。水路の向こうには、冬の薄い陽射しが差している。
町を覆っていた霧は、まだ晴れていない。
それでも、誰かが残した記録をつなげれば、隠された道筋は見えてくる。
ミナは倉庫の扉を見上げた。
今日、彼女が守るのは帳簿だけではない。
数字の向こうにいる、冬を越そうとする人々の暮らしだった。




