9・重症の仕事中毒
私が王城で働き始めてから、早いもので数日が経った。
最近では文官の仕事にも慣れてきて、私のもとには各部署から様々な相談や依頼が舞い込んでくる。
「エレナ様、先日の魔物討伐で街道沿いの柵が壊れてしまったのですが、修繕費は騎士団の予算から出すべきでしょうか?」
「いいえ。討伐に伴って発生した被害なら、災害復旧費として申請できるはずです。申請書に被害状況と修繕に必要な金額を記載してください」
「承知しました! 助かります!」
今も修繕費について尋ねてきた騎士の一人が、ほくほく笑顔で走り去っていった。
仕事にも一段落がつき、私はうーんと背伸びをする。
「お疲れ様です。こちらで一息吐いてください」
「テオドールさん──ありがとうございます」
そんな私にテオドールさんが紅茶を持ってきてくれて、それを飲みながら、お礼を口にする。
最初は感情が読みにくいと思っていたテオドールさんだったが、最近ではなにを考えているか、なんとなく分かってきた。
だからだろうか。
テオドールさんは何故か、私を心配しているように感じた。
「どうされましたか?」
じっと私の顔を見つめてくるテオドールに、そう質問する。
「いえ……お疲れではないかと」
「私が?」
「ええ。あなたはここで働き始めてから、ろくに休みを取っていないではありませんか。聞きましたよ。休日もここに来て、仕事をこなしていたと。疲労が溜まっていても無理はありません」
うーん……そうかしら?
なにせ、レイモンドのところにいる時は『休み』という概念が、そもそも存在していなかったのだ。
それどころか徹夜で仕事をこなしていても、レイモンドは労いの言葉をかけてくれることすらなかった。
もちろん、私だって彼から優しい言葉をかけてもらいたくって、仕事に邁進していたわけではない。
だけど、私も乙女だからちょっとは傷つくところがあって……それを思えば、ここは天国のみたいな職場だ。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、私は大丈夫ですから。それどころか、もっと働きたいくらいです!」
「……そうですか」
それ以上はなにも言うまいと思ったのか、テオドールさんは背を向けて、自分の持ち場に戻っていく。
彼……優しいのよね。
最初、彼に会った時、実はちょっと怖そうだなと思っていた自分は叱ってあげたい。
「よーし! もう少し。これだけやったら、昼食にしましょう!」
腕まくりをして、私は仕事を再開するのであった。
夜。
手元の電気魔導具だけが点けられ、薄暗がりな中。
私は一人、仕事部屋に残って、頭を悩ませていた。
「えーっと、ここはこう計算して……あっ。この余剰分を回せばいいんじゃないかしら。だったら……」
ちょっと難しい計算があって、みんなが帰った後に雑務を片付けていたのだ。
午後に私を悩ませていた予算の問題は、あっさりと解決した。一度閃いてしまえば、簡単なものである。
そのまま気分が乗った私は、次の書類に手をつけようと──。
「やはり、ここにいたのか」
不意に。
後ろから声をかけられ振り返ると、そこにはルシアン殿下がいた。
「で、殿下!?」
慌てて立ち上がろうとすると、ルシアン殿下はさっとそれを手で制する。
「楽にしてくれていい。全く……テオドールから話を聞いて嫌な予感がしたから来たものの、君の辞書には『休む』というのは文字はないのか? こんな遅くまで仕事をしているとは」
「すみません……」
咄嗟になんて返したらいいか分からず、そう頭を下げることしか出来なかった。
「ですが、殿下だってこんな時間まで起きているじゃないですか。あなたも、仕事中だったのでは?」
「俺は王太子だ。誰よりも身を粉にして、働く義務がある。それに……この国の労働法では、管理職には定時の概念が適応されない」
「だったら、私だって同じです。定時なんて言葉、とっくの昔に捨てました」
「違う。君は俺が目をかけたとはいえ、一文官だ。俺と同じに考えてもらっては……」
いつの間にか──。
ルシアン殿下と言い合いみたいになってしまって、お互いにハッとする。
顔を見合って、二人同時に楽しげに笑みを零した。
「……仕事中毒はお互い様、というわけか」
「ですね」
こんな風に暗くなってから、仕事中に笑い合う経験なんてなかったので、ついつい楽しくなってしまう。
「そうです。せっかく殿下が来てくださったのですから、紅茶をお淹れしましょうか。丁度、私の分も少なってきましたし──」
と席から立ち上がろうとした瞬間だった。
立ち上がった拍子に手がティーカップに当たってしまい、中身の紅茶が零れてしまった。
「……っ!」
「大丈夫かっ?」
「は、はいっ、平気です。紅茶も冷めていましたから。それに、中身もほとんど入っていません」
うーん、ルシアン殿下が来て、私も緊張しているのかもしれないわね。
反省していると、ルシアン殿下は胸元からさっとハンカチを取り出して、それを私に手渡す。
「これを使ってくれ」
「はい」
断るのもなんだと思い、私はルシアン殿下から受け取ったハンカチで自分の手と机に零れている紅茶をさっと拭き取った。
「ありがとうございます。ですが……ずいぶんと肌触りのいいハンカチですね。手にフィットすると言いますか……もしかして、高価なものでしたか?」
「高価、と言うとどうだろう。それは王家に代々伝わるハンカチだからな。値段は付けられない」
「え……」
一瞬なにを言ってるか分からず反応が遅れてしまうが、すぐにさーっと血の気が引く。
王家に、代々……伝わる……?
「す、すみません! すぐに洗って返します!」
こ、この人、なんてものを渡すのよ!
「……って、そんなんじゃ済まないですか? 本当にすみません。この罰は必ず償い……」
「謝らないでいい」
謝り続ける私に、ルシアン殿下はこう続ける。
「汚れを拭くというのが、本来のハンカチの役割だ。王家に伝わるものも、それ以外にいくつもあるからな。そのハンカチを持っていたのも、たまたまだっただけだ」
「でも……」
「それは君にプレゼントする。就職祝いのプレゼントとして受け取ってくれ」
それでもハンカチをルシアン殿下に返そうとするが、彼は頑なに受け取らない。
……ここまで言われて突っ返すのも、逆に失礼かしらね。
「ありがとうございます。一生大切にします」
「そう大袈裟に受け取らなくてもいいんだがな。まあ、それも君らしいか」
口元に手を当てて、小さく笑うルシアン殿下。
王家に代々伝わるハンカチ……か。恐れ多くて、普段使い出来ないわね。これは宿舎で大切に保管しておこう。そう思った。
「それにしても、本当に素敵なハンカチですね。肌触りもさることながら、施されている刺繍が独特というか……不思議な魅力があります」
「分かるか?」
ハンカチを褒められて嬉しいのか、ルシアン殿下が我が意を得たりといったような表情になる。
「そのハンカチにはな、『魔除けの刺繍』が施されているんだ」
「魔除けの刺繍……?」
「ああ。エレナは『魔族』を知っているか? そのハンカチには魔族を遠ざける効果があると言われている」
魔族。
人ならざる存在で、私たちとは異なる理で生きる者たち。
目撃者が少なく諸説あるが、人や魔物を意のままに操る力があるらしい。
一体でも出れば、災厄に匹敵するほどの被害をもたらす存在。それが魔族だ。
だけど……。
「最後に魔族が目撃されたのは、およそ百前。それから一度も、魔族は私たち人間の前に、姿を現していないんでしたっけ?」
「そうだ」
私がそう言うと、ルシアン殿下は神妙そうな面持ちで頷く。
「百年前の魔族侵攻に対抗するため、ここ──王都にも防魔壁が築かれた」
「防魔壁……壁内への魔族の侵入を防ぎ、たとえ入られても魔族の力を弱める壁でしたっけ?」
「そうだ。君は本当になんでも知っているな」
「調べ物は好きなので」
肩をすくめる。
「とはいえ、今となっては魔族の脅威も薄れている。俺たちの世代では、あくまで魔族は歴史の教科書の中で語られる存在。いまいち実感が湧かないというのが現実だ」
「その通りですね」
「だから防魔壁も今では機能を停止しており、再構築するにも莫大な予算が必要になることから放置されている」
なるほど……そういう事情が。
アルヴェリア王国にはもっと予算を他に回したいところが多いし、いつ来るか──そして本当に来るか分からない魔族対策に、力を割けないというのも納得ね。
「……だったら、尚更このハンカチを受け取るのが、申し訳なく感じますね」
「君は本当に謙虚な性格だな。魔除けの刺繍が施されると言っても、お守り程度だ。本当に効果があるか分からないし、なんなら俺は眉唾な話だと思っている」
さて──。
そこまで話をしたところで、ルシアン殿下は私から視線を逸らし、こう口にした。
「そろそろ、君も帰るといい。これ以上、残業するのは俺が認めん」
「待ってください。もう少しだけ……」
「明日でいいから! 俺も人のことは言えんが……君は重度の仕事中毒だな」
ルシアン殿下はなにか考え込むように、口元に手を当て。
「無理やり休ませようとしても、無駄だったか……。だったら──エレナ。明日、街の視察をしようと思っているんだ。それに、君も付いてきてほしい」
「街の視察……ですか?」
「ああ。視察は朝早くから始めるつもりだから、今日のところは早く帰ってくれ。寝坊は大罪だと心得ろ」
冗談めかして人差し指を立てるルシアン殿下。
……なるほど、視察。予定が決まったし、今日のところは仕事を切り上げようかしら。
いまいち腑に落ちないけど。
「分かりました。でしたら、今日のところは休ませていただきますね」
「そうするといい」
そう言うルシアン殿下は呆れながらも、その口元はどこか楽しそうに緩んでいた。
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