7・エレナについて(ルシアン視点)
「失礼します」
会議を終え、執務室で今日の仕事を片付けていた俺──ルシアンのもとに、一人の男がやってきた。
文官のテオドールである。
「テオドールか」
俺は一旦ペンを置き、テオドールを見据える。
「そういえば……そろそろ定時の時間だったな。どうだ? エレナは。勤務初日だが、困ってなかったか?」
「はい、全く」
テオドールは短く答える。
……こいつは歴が長く、文官としてかなり優秀な部類なのだが、いかんせん感情が読めなすぎる。
表情もあまり変わらないことから、他の職員からは「怒ってて怖い」とよく誤解されている。
俺としては、こいつのこういう真面目なところも気に入っているんだが……知らない人からすると、テオドールに気圧されてしまうかもしれないな。
「よかった。それで……エレナにやってもらった仕事は、どこまで終わった? 十分の一も終わっていれば、御の字だが……」
俺がエレナに与えた仕事だが、勤務初日の文官にやる量にしては明らかに多かった。
職員総出で取りかっても、丸一日かかるだろう。
とはいえ、もちろん俺も今日で終わるとは当然思っていない。
今日のところは肩慣らし。まずは職場の空気に触れてもらうのが目的だった。
……のはずだったが。
「終わりました」
「ん?」
「全て終わりました」
そう言って、テオドールは持ってきたバッグから書類の山を取り出し、俺の前に置く。
間違いない。今朝、俺がエレナに与えた仕事である。
「全て終わった……だと?」
震える手で何枚かの紙を手に取り、目を通していく。
……うむ、確かに出来ている。
複雑な税収計算には一見間違いがなく、それどころか一目で内容を把握できるよう図表まで添えられていた。
頼んでいた調べ物についても、数々の参考文献を明記した上で、必要な情報が事細かにまとめられている。
目を疑うほどだ。
「これを、彼女が一人でやってしまったのか……?」
「はい」
「お前でも、一人でやったら三日はかかる量だぞ」
「そうですね。しかもエレナ様は丸一日かかったわけではありません。午前中にはほとんど終わり、午後からは見直しに時間を費やしていました。正直なところ、かなり暇そうでしたよ」
「は、半日で……」
これにはさすがの俺も言葉を失ってしまう。
書類の内容がちゃんと合っているか調べる必要はあるが、まず問題なさそうだ。
それほど、一目見ただけでも分かるほど、この書類の完成度は他と比べて群を抜いていたからだ。
「すさまじいな」
「ええ」
テオドールが頷く。
表情筋が死んでいる彼とて、さすがに興奮しているらしい。俺でなければ気づけないほど若干だったが、声が上擦っていた。
「ここまでとは……やはり、エレナを見出した俺の目は間違っていなかった」
そう息を吐き、背もたれに体を預ける。
「一つ、質問よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「あれほどの逸材がどこに眠っていたのですか? 本人に質問しても、答えをはぐらかされてしまいました」
テオドールが疑問に思うのも無理はない。
エレナほどの逸材、普通なら手放さないだろう。大商会の裏方でも、大貴族の補佐役でも務めれば、たちまち重宝されるに違いない。
「あまり事情は知られたくないようだったが……なんでも最近、とある男と婚約を解消したらしい」
昨日、彼女が言っていたことを思い出しながら、俺はテオドールにそう答える。
「婚約を解消? 平民で婚約は珍しいので……どこかの貴族令嬢だったということですか?」
「ああ」
「ならば、尚更不思議です。彼女は仕事の能力もさることながら、容姿も優れているのですから。あれほど美しい令嬢が社交界に出たら、すぐに噂になっているはずです」
淡々と口にするテオドール。
無骨な男であるが、『容姿も優れている』『美しい令嬢』などという言葉がさらりと出るとは……。
テオドールはお世辞を言わない。どれほど舌が浮くような言葉を言っても、いつも淡々としている。
ゆえに一部の女性職員からはきゃーきゃー言われてたりするが……おっと、今は関係ないか。今はエレナのことだ。
「一人で王都に来たばかり、と聞いているが、もしかしたら他の国の人間かもしれないな。なんにせよ不思議なことばかりだ」
よし──。
俺は顔の前で手を組み、声により一層真剣味を帯びさせて、テオドールに告げた。
「テオドール。お前に指示を出す。エレナの素性を調べてくれ」
「かしこまりました」
すぐに了承の返事をするテオドール。
……彼女はあまり、自分の事情を知られたくないようだった。
本当のところを言うと、そっとしてあげたい。
だが、そういうわけにもいかないのが現実である。
今日、エレナに与えた仕事は国の公開情報からでも容易に辿れる。比較的秘匿性に乏しい仕事だった。
しかし、今後エレナにはもっと秘匿性の高い──たとえば、国の中枢に携わってくるような仕事を任せたい。
そのためには──疑うわけではないが、彼女の身元をはっきりさせておく必要がある。
「殿下も苦しい立場ですね」
「全くだ」
そう溜め息を吐く。
秘密を探ってしまう罪悪感を押し殺しながら、さらにこう口を動かす。
「それにしても……彼女ほどの人間を手放すとは、一体どのような男なのだ。案外、今頃エレナがいなくなって困っているかもしれないな」
「違いありません」
俺がそう息を吐くと、テオドールも賛同するのであった。
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