5・君が欲しい
謎の青年に手を引かれ。
私はそのまま王都行政局の外に待機していた立派な馬車に押し込まれ、街の中心部へと向かっていた。
「あの、どこへ行くんでしょうか……?」
向かいの席に座る青年に尋ねるが、彼は腕を組んだまま楽しげに笑うだけだ。
「着けば分かる。君にとっては、少し驚く場所かもしれないがな」
「驚く場所」
馬車の窓から外を覗くと、賑やかだった街並みが次第に厳粛なものへと変わっていく。
やがて馬車は王都の最も高い場所にそびえ立つ、巨大で壮麗な門をくぐった。
重厚な石造りの城壁。
磨き上げられた大理石の回廊。
そして制服に身を包んだ近衛騎士たちが連なっている。
まさか……。
「ここって、王城ですよね?」
「正解だ」
問いかけると、彼は悪戯が成功した少年のように、ニヤリと口角を上げた。
馬車が停まり、青年が私の手を引いて降りる。
周囲の騎士や文官たちが、彼を見るなり深く頭を下げた。
やっぱり、この人って……っ!
なんとなく嫌な気持ちを抱えながら進んでいくと、そのまま王城の奥深くにある、ひときわ立派な執務室へと通された。
そこで青年は羽織っていた地味な外套を脱ぎ、近くの椅子に腰掛ける。
「あの……そろそろ、教えてもらっていいでしょうか? あなたは──」
「くくく。さすがに気づいたか?」
私の表情を見てなにかを察したのか、謎の青年はくぐもった笑いを零す。
「あらためて自己紹介をしよう。君のお察しの通り──俺はアルヴェリア王国王太子、ルシアンだ」
「王太子殿下……っ!」
やっぱりじゃない!
ハロルドさんが『殿下』と言ったり、城の中に入るのも顔パスだったから変だと思ったけど……その予想が当たってしまったらしい。
慌ててその場に膝をつこうとする。
しかし、彼──ルシアン殿下はすぐさま手を差し出し、私の行動を制した。
「堅苦しい挨拶は抜きにしてくれ。そんなことをしてもらいたくて、君をここに連れてきたわけじゃない」
「ですが、私……」
「気にするな。なんなら、謝らなければならないのは俺の方だ。君の力を試したかったとはいえ、身分を隠して近づいたのだからな」
そう言って、ルシアン殿下は机の上の報告書を指差した。
「それにしても、驚かされた。行政局の採用試験を満点で通過したと聞いた時は半信半疑だったが、先ほどの物資高騰の解決策……王宮のベテラン官僚たちが何日も徹夜してようやく導き出したものを、君は一瞬でやってのけた」
あの試験、満点だったんだ……。
点数までは聞かされていなかったので、ここで初めて知った。
「教えてくれ」
ルシアン殿下は探るような瞳で、私を見つめる。
「君は一体、どこでこれほどの才覚を身につけたんだ? 他国の重鎮か、それとも名のある大商会の幹部でもやっていたのか? ただの平民ではなかろう」
その問いに、私は困って少しだけ視線を泳がせた。
どうしよう……。
まさか「無能だと言われて婚約破棄されたばかりの令嬢です」とは言いにくい。
ないとは思うが、私の話がレイモンドや実家に届いてしまう危険もある。
だからといって、完全な嘘を吐いてしまったら、あとでバレた時が怖い。
迷いつつも、私はこう口を開いた。
「いえ、そんな大層なものではありません。ただ……」
「ただ?」
「以前から──婚約者を支えるために、裏方として実務に携わっていました。だからでしょう、殿下のお眼鏡にかなったのは」
そう答えると、ルシアン殿下はぴくりと眉を動かした。
「婚約者を支えるためにだと? 君は、貴族の令嬢だったのか? 答案用紙には家名が記されていなかったが……」
「はい。実は事情がございまして……身分を隠していました。どんな罰でも受けます。すみません」
「それはいい。なんにせよ、文官採用試験は身分・性別不詳と謳っているのだから、平民か貴族かなど重要じゃない。そんなことより……婚約者を支えるため? その婚約者は今どこにいる」
「婚約者──とは言いましたが、正しくは『元』婚約者といったところでしょうか。つい先日、元婚約者とは婚約を解消しました。これ以上はあまり詮索しないでいただけると、助かります」
これが、今の私がギリギリ話せる現状だ。
私の答えを聞いて、ルシアン殿下は顎に手を添え、
「うむ……婚約者を支えるためにか。なかなか殊勝な考えだな。君ほどの能力があれば、婚約者も手放さないと思うが……いや、いい。詮索しないでほしかったんだな。これ以上は俺から聞かないでおこう」
とあっさり引き下がった。
そして次に、表情をキリッと引き締める。
「単刀直入に言う。エレナ──君を行政局の一文官として埋もれさせるには惜しい」
「といいますと?」
「文官というのには変わりないが、行政局ではなく俺の近くで、君の力を貸して欲しい。そうだな……俺の『補佐』と言ったところだろうか。君のその才覚が、今のアルヴェリアには必要なんだ」
と私の目を真っ直ぐ見つめて、そう言った。
「殿下の近くで……ですか? 素性もちゃんと明かしていない、私を登用してくださると?」
「そうだ。今、この国は激変期を迎えている。人手はいくらあっても、足りない。仮に君が素性を伏せたかったとしても……この際、関係ない。俺は君が欲しい」
俺は君が欲しい──。
そう言われて、顔に熱が帯びていくのを感じる。
一国の王太子ともあろうお方が、私を求めてくれるなんて……正直、かなり嬉しい。
すぐにでも彼の提案に、首を縦に振りたいところだ。
だが。
「あ、あのー……どうして、私をそこまでお求めになるんですか?」
気付けば、私の口からはそんな質問が飛び出していた。
「確かに私は実務経験がありますが、それほど自分が優秀だとは思えません。行政局で殿下がお出しになった問題にも、たまたま似たような経験があったから、すぐに答えられただけです」
レイモンドから「いなくても困らない」と言われたからだろうか、私にそこまで価値があるとは思えなかった。
私はあくまで影。
影は光と交わってはいけない。
日の当たる場所は、私にとって眩しすぎるのだ。
そう思っての質問だったが、ルシアン殿下は一瞬きょとんとした顔をした後──。
「ふっ……はははっ! あはははは!」
突然、大笑いをし始めた。
「わ、私、なにかおかしなことを言いましたか……?」
「いや、すまない。君が本気でそう思っている様子だったから、つい」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、楽しそうに私を見つめるルシアン殿下。
「君は自分がやってきたことを、当然だと思っていること節があるが……はっきり言う。君がやってきた実務は、一国の経済や行政を担う官僚と同等、いやそれ以上の高度な技術だ」
「そうでしょうか……?」
「そうだとも。それなのに君のような人材を、あまつさえ手放すような男がいたとはな。よほどの愚か者か、見る目がなかったとしか思えん。君は間違いなく、俺が見た中で最高の──いや、『稀代の才女』だよ」
稀代の才女。
その言葉が、私の胸の奥にじんわりと染み込んでいった。
レイモンドからは『君がいなくても、別に困らない』と蔑まれた。
血の滲むような努力も、睡眠時間を削った日々も、誰にも認められることはなかった。
けれど今、この隣国の王太子は、私のやってきたことを正当に評価し、称賛してくれている。
「あらためて言う──エレナ。俺は君が欲しい」
ルシアン殿下は立ち上がり、私に向かって情熱的に手を差し出した。
「俺と共に、この国がどう変わっていくか見たくないか? 俺となら、きっと面白い光景が見られると約束しよう。君を手放した愚かな男とは違い、俺なら君に相応しい場所を用意できる」
ルシアン殿下の誠実な言葉。
……ここまで、真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる人なんて、今まで出会ったことがなかった。
しかも、ルシアン殿下は私に価値を見出してくれている。
胸の奥が熱くなり、視界が少しだけ滲む中、私は決意しルシアン殿下の手を握り返した。
「……はい。私でよろしければ、喜んでお受けいたします。ルシアン殿下」
そう返事をすると、ルシアン殿下は頬を緩ませたのであった。
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