6.魔物が落とした光る石
翌朝――。
ヴァルトとセレナが森の中を歩いていると、茂みの奥から低い唸り声が聞こえてきた。
「なんだ?」
ヴァルトが足を止めた直後、左右の茂みが激しく揺れた。
飛び出してきたのは、黒い毛並みと鋭い牙を持つ魔犬だった。
一匹ではない。
二匹、三匹と次々に姿を現し、瞬く間に二人を取り囲んでいく。
「グルルルルル……!」
「なんだ、こいつら?」
先頭の魔犬が地面を蹴り、ヴァルトの喉元を狙って飛びかかってきた。
ヴァルトは上体をわずかに反らし、その牙を軽々とかわす。
「おい! 俺はヴァルグロアの息子だぞ! なんで襲ってくるんだよ!」
「そんなことを言っても、通じるわけないでしょう!」
セレナが呆れた声を上げた。
ヴァルトの背後から、別の魔犬が迫る。
だが、ヴァルトは振り向きざまに大剣を抜き放ち、その身体を地面へ叩き落とした。
「魔物は、人間も魔族も関係なく襲うことがあるの。そんなことも知らないなんて、今まで何を勉強していたのよ!」
「魔物は魔族だろ? だったら、俺たちの仲間じゃねぇのか?」
「ヴァルグロア様や四天王の皆様のように、高い知性と意思を持つ魔族とは違うのよ!」
セレナが右手を振るう。
掌から流れ出した血が空中で細長く伸び、深紅の鞭へと姿を変えた。
「こういう野生の魔物は、本能のままに獲物を襲うだけ。話し合いなんてできないわ!」
血の鞭が風を切る。
飛びかかってきた魔犬の胴体に巻きつくと、セレナはそのまま腕を振り抜いた。
魔犬の身体が宙を舞い、後方の木へ激しく叩きつけられる。
「なるほどな。だったら、倒してもいいってことだな!」
ヴァルトは大剣を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべた。
左右から迫る二匹の魔犬を一振りでなぎ払い、さらに正面から飛びかかってきた一匹を、返す刃で斬り伏せる。
しかし、倒しても倒しても、茂みの奥から新たな魔犬が姿を現した。
「おいおい、何匹いるんだよ!」
ヴァルトが大剣を振るいながら叫ぶ。
セレナは周囲を素早く見回した。
「ざっと三十匹といったところかしら」
「多くねぇか?」
「この程度、お姉さんに任せなさい」
セレナは得意げに銀髪をかき上げると、深紅の鞭を構えた。
「私がまとめて片づけて――きゃっ!」
勢いよく踏み出した足が、地面から突き出ていた木の根に引っかかった。
セレナは見事に体勢を崩し、その場に尻もちをつく。
「いったぁ……」
その隙を、魔犬は見逃さなかった。
鋭い牙をむき出しにした一匹が、無防備になったセレナへ飛びかかる。
「セレナ!」
次の瞬間――。
ヴァルトの全身から、金色の魔力が爆発的に放たれた。
空気が震える。
大地が軋み、周囲の木々が激しく揺さぶられた。
ヴァルトから放たれた圧倒的な龍威を浴びた魔犬たちは、悲鳴を上げる暇すらなかった。
セレナへ迫っていた一匹をはじめ、周囲を取り囲んでいた魔犬たちが一斉に吹き飛ばされ、その身体が金色の魔力に呑み込まれていく。
森を埋め尽くしていた殺気は、一瞬にして消え去った。
「…………」
残されたセレナは、地面に座り込んだまま目を見開いていた。
敵に向けられたものとはいえ、その余波だけで意識が遠のきかけている。
全身から力が抜け、指先が小刻みに震えていた。
そんな彼女の前へ、ヴァルトが何事もなかったかのように歩み寄ってくる。
「大丈夫か、セレナ?」
ヴァルトは心配そうに眉を寄せ、セレナへ手を差し出した。
「怪我してねぇか?」
「……っ」
まっすぐに向けられた金色の瞳を見て、セレナの胸が不意に高鳴った。
しかし、それをごまかすように、差し出された手を強くつかんで一気に立ち上がる。
「それ、やめなさいよ!」
「あ?」
「龍威よ! 使うなら使うで、先に一言くらい言いなさい! 私まで気を失うところだったじゃない!」
「なんだよ。助けてやったのに」
「助け方の問題を言っているの!」
頬を膨らませるセレナを見て、ヴァルトは納得できない様子で大剣を背中へ戻した。
「面倒くせぇな」
「誰のせいよ、誰の」
セレナは服についた土を払い、深く息を吐く。
そして、気を取り直すように周囲を見回した。
「もうすぐ、この森を抜けるはずだけど……ヴァルト、外へ出たあとのあてはあるの?」
「ない」
ヴァルトは一切迷うことなく言い切った。
「……少しくらい考えなさいよ」
セレナは額に手を当て、盛大なため息をついた。
「ローガン様に会うって言っても、どこにいるのかも知らないんでしょう?」
「ああ。外に出りゃ、そのうち会えると思ってた」
「人間の世界を何だと思っているのよ……」
呆れながらも、セレナは背負っていた荷物を下ろす。
中から取り出したのは、一枚の大きな羊皮紙だった。
「なんだ、それ?」
「世界地図よ。お母様から預かってきたの」
「カーミラから?」
「あなた一人では、絶対に道に迷うと思ったんでしょうね」
「俺は迷ってねぇぞ」
「自分がどこにいるのか分かっていない時点で、十分迷っているのよ」
セレナが地図を広げると、ヴァルトは興味深そうに隣からのぞき込んだ。
見慣れない文字や線が、羊皮紙いっぱいに描かれている。
「それで、今はどこなんだ?」
「この辺りね」
セレナは地図の端に描かれた広大な森を指さした。
その中央には、黒く塗りつぶされた巨大な印がある。
世界最恐のダンジョンを示す印だった。
「周りになんもねぇんだな」
「当たり前でしょう。ここは世界最恐のダンジョンの近くなのよ? 人間が住んでいるはずがないじゃない」
セレナは冷ややかな目をヴァルトへ向ける。
「そんなことも分からないの?」
「いちいち言い方がとげとげしいんだよ、お前は」
「あなたがあまりにも無知だからでしょう」
「喧嘩売ってんのか?」
「事実を教えてあげているだけよ」
しばらく睨み合ったあと、セレナが先に視線を地図へ戻した。
「ほら、ここを見て」
森の端を流れる細い線を、指先でなぞる。
「川があるわ。この川を下っていけば――」
セレナの指が、その先に描かれた小さな印の上で止まった。
「町か村らしきものがあるわ。まずはここへ向かいましょう」
「そこで何をするんだ?」
「勇者ローガン・アッシュベルについて、情報を集めるのよ。人が住んでいる場所なら、何か知っている者がいるかもしれないでしょう?」
「なるほどな」
ヴァルトは感心したように何度もうなずいた。
その反応に気をよくしたセレナは、胸を張る。
「どう? 私って頼りになるでしょう?」
「ああ」
「これからは敬意を込めて、お姉さんと呼んでもいいのよ?」
セレナが得意げな笑みを浮かべ、ヴァルトへ顔を向ける。
しかし、ヴァルトはすでに彼女の話を聞いていなかった。
地面へしゃがみ込み、魔犬たちが消滅した場所に残されていた小さな石を、指先でつまみ上げている。
石は淡い青色の光を帯び、木々の隙間から差し込む光を受けて、きらきらと輝いていた。
「ちょっと。人の話を聞きなさいよ!」
「なあ、セレナ。これ、なんだ?」
「聞いてないし……」
「魔物を倒したら残ってたぞ。ダンジョンの魔物は、こんなの落とさなかったよな?」
セレナはヴァルトの持つ石を見て、再びため息をついた。
「ジェムよ、ジェム」
「ジェム?」
「魔物が体内に蓄えた魔力が、死んだあとに結晶化したものよ。野生の魔物を倒すと、こうして残ることがあるの」
「じゃあ、なんでダンジョンの魔物は落とさなかったんだ?」
「ダンジョンに棲む魔物は、そのダンジョンの主から魔力を与えられているからよ。倒されても、力の大部分はダンジョンへ戻るの。だから、ジェムは残らないわ」
「へぇ……」
ヴァルトは石を目の高さまで持ち上げ、珍しそうに光へ透かした。
「人間は、このジェムをお金として使うことがあるの。物を買ったり、宿に泊まったりするのにも必要なんだから、全部拾っておきなさい」
「これで肉も買えるのか?」
「もちろんよ」
その言葉を聞いた瞬間、ヴァルトの金色の瞳が輝いた。
「全部拾うぞ!」
大剣を振るっていたとき以上の勢いで地面へしゃがみ込み、落ちているジェムを一つずつ拾い始める。
「八個、九個、十個……あれ、次はいくつだ?」
「十一個よ。本当に数の勉強をやり直したほうがいいんじゃない?」
「うるせぇ。拾えりゃ同じだ」
ぶつぶつ言いながらも、ヴァルトは夢中になってジェムを集めていく。
その瞳は、初めて見る宝物に心を奪われた、年相応の少年そのものだった。
セレナは、そんなヴァルトの横顔をじっと見つめる。
圧倒的な力で三十匹もの魔犬を一瞬で消し飛ばしたかと思えば、今度は小さな石を前に目を輝かせている。
そのあまりに無邪気な姿がおかしくて、そして、なぜか愛おしく思えて――。
「……ほんと、何も知らないんだから」
セレナは誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやき、わずかに頬を赤らめた。
******
森を抜けた二人は、地図に記されていた川を見つけ、その流れに沿って下っていった。
やがて空は茜色から深い藍色へと変わり、辺りを夜の闇が包み始める。
「おい、セレナ。あれ」
ヴァルトが前方を指さした。
川の先に、いくつもの小さな明かりが見えている。
木造の家々と、その周囲を囲む粗末な柵。
地図に記されていた小さな村だった。
「ようやく着いたわね」
セレナが安堵したように息を吐く。
ダンジョンを出て初めて目にする、人間たちの暮らす場所。
ヴァルトは遠くに揺れる明かりを、興味深そうに見つめていた。
「あそこに人間がいるのか」
「ええ。いい、ヴァルト? くれぐれも騒ぎを起こさないでよ」
「俺がいつ騒ぎを起こしたんだよ」
「さっき、森を半分吹き飛ばしかけたでしょう」
「あれは魔犬が悪い」
「そういうところを心配しているのよ……」
二人は言い合いながら、村へ続く道を進んでいく。
伝説の勇者ローガン・アッシュベルの情報を求めて――。
ヴァルトとセレナは、初めて人間の住む村へ足を踏み入れるのだった。




