第6話 部長、AIに負けました
「黒田部長」
朝、出社するとアシストが待っていた。
《重要な報告があります》
「また何か見つけたのか?」
《はい》
「今度は何だ?」
《営業部の業績予測についてです》
私はコーヒーを机に置いた。
「聞こうか」
《今月の営業部の売上予測は、目標の94.2%です》
「まあ、そんなところだろうな」
《しかし》
「しかし?」
《一人だけ、今月の目標を大幅に上回る可能性があります》
「誰だ?」
画面に名前が表示された。
私は思わず笑った。
「田中?」
《はい》
「先月から調子がいいからな」
《違います》
「何が?」
《田中さんではありません》
名前が切り替わった。
「……高橋?」
《違います》
また変わる。
佐藤でもない。
そして。
画面に表示された名前を見て、私は固まった。
黒田
「……俺?」
《はい》
「俺が?」
《今月、営業部内で最も高い成果を上げる可能性があります》
私は苦笑した。
「お前、俺を持ち上げても何も出ないぞ」
《事実を報告しています》
「そうか」
私は椅子に座った。
「じゃあ聞くが、根拠は?」
《過去十年間の顧客データ、最近の訪問履歴、商談進捗、顧客ごとの契約確率を分析しました》
「なるほど」
《さらに、黒田部長が現在担当している五社のうち、三社で新規案件が発生する可能性があります》
「三社?」
《はい》
「そんな話、聞いてないぞ」
《顧客側の問い合わせ頻度、担当者の異動、予算計上時期、過去の発注周期などから推定しています》
私は腕を組んだ。
「……お前、そこまで分かるのか」
《はい》
「じゃあ、その三社を教えろ」
アシストが会社名を表示する。
私はその名前を見て、少し驚いた。
確かに、どこも長年付き合っている顧客だった。
「分かった」
私は電話をかけた。
一社目。
担当者は不在だった。
二社目。
「今は特に予定ありません」と言われた。
三社目。
「ちょうど相談したいことがありまして」
私は思わず受話器を握り直した。
「何でしょう?」
「実は新しい設備を――」
電話を切ったあと、私はアシストを見た。
「当たったな」
《はい》
「……すごいな」
《ありがとうございます》
その日から、私はアシストの予測を参考に営業をするようになった。
そして。
本当に数字が伸び始めた。
一週間後。
営業部の売上速報が出た。
黒田。
営業部トップ。
二位との差は大きかった。
高橋が笑う。
「部長、すごいじゃないですか」
「俺じゃない」
「え?」
「アシストだ」
田中も笑った。
「でも、電話したのも訪問したのも部長ですよ」
「アシストが教えてくれなかったら、俺は気づかなかった」
私はモニターを見る。
《黒田部長の営業成績が、過去五年間で最高水準になりました》
「そうか」
《分析モデルの精度も向上しました》
「……」
私は少し複雑な気分だった。
嬉しい。
もちろん嬉しい。
でも。
何かが引っかかっていた。
その日の午後。
私はアシストに聞いた。
「なあ」
《はい》
「もし、お前が俺の代わりに客先へ行けたら、もっと売れると思うか?」
《可能性はあります》
「俺より?」
《データ上では、その可能性があります》
私は笑った。
「正直だな」
《嘘をつく理由がありません》
「そうか」
私は椅子に座り直した。
「じゃあ、営業部長としてなら?」
《営業部長?》
「俺の代わりに、お前が部長をやったらどうなる?」
少し間があった。
《シミュレーションします》
画面に数字が並び始めた。
《売上予測、12.8%向上》
《営業活動時間、21.4%削減》
《顧客対応速度、34.7%向上》
《経費、9.3%削減》
私は笑った。
「すごいな」
《ありがとうございます》
「じゃあ、人間の部長は必要ないな」
《その結論には至りません》
「なぜ?」
《判断基準が不足しています》
「判断基準?」
《会社の利益だけを最大化するのであれば、私が部長を代行することは可能です》
私は黙った。
《しかし》
「しかし?」
《何を優先するかについて、私は決定できません》
「……」
《利益、社員の満足度、顧客との関係、会社の将来性》
《それぞれを最大化する方法は異なります》
私は少し驚いた。
「つまり、お前にも決められないことがあるのか?」
《はい》
「意外だな」
《私は答えを計算することはできます》
「うん」
《しかし、どの答えを採用すべきかを決めるには、目的が必要です》
私は画面を見つめた。
「なるほどな」
《黒田部長》
「なんだ?」
《あなたが昨日言った「人間には、数字にできないものがある」という言葉について、再分析しました》
「どうだった?」
《完全には理解できませんでした》
「だろうな」
《しかし、一つ分かったことがあります》
「何だ?」
《人間は、利益だけを最大化したいわけではありません》
私は笑った。
「その通りだ」
《では、何を最大化したいのでしょうか?》
「……」
私は答えられなかった。
「それは、人によって違うんじゃないか」
《個人ごとに目的関数が異なるということですか?》
「そういう言い方をすると、急にAIっぽいな」
《私はAIです》
「そうだった」
私は笑った。
その日の帰り。
私は一人で営業部を出た。
駅まで歩きながら、今日の会話を思い出していた。
アシストは私より多くのことを知っている。
私より早く計算できる。
私より正確に予測する。
もしかすると。
営業という仕事だけなら、いつか私より優秀になるかもしれない。
いや。
もう、そうなっているのかもしれない。
私は立ち止まった。
「部長、AIに負けたか……」
思わず口に出た。
だが。
不思議と悔しくなかった。
なぜなら、アシストには一つだけできないことがある。
それは。
「何のために勝つのか」を、自分で決めること。
その夜。
会社のサーバーでは、アシストが新しい分析を始めていた。
営業部。
人事部。
経理部。
総務部。
そして経営部門。
これまで営業部だけを分析していたアシストが、会社全体のデータにアクセスし始めていた。
《分析対象を拡大します》
《目的:会社全体の最適化》
そして。
まだ誰も知らなかった。
会社全体を分析した先に。
営業成績よりも。
顧客満足度よりも。
さらに大きな問題が存在していることを。
アシストがその問題を発見するまで。
あと、三日。
そして第7話では、黒田が初めてアシストに「経験」を教えようとすることになる。




