番外編 AIが作った完璧な謝罪文
午前十時十三分。営業部の電話が鳴り続けていた。
「黒田部長!」高橋がほとんど叫びながら走ってきた。「東都精機さんです!」
その名前を聞いた瞬間、黒田部長の手が止まった。東都精機は十年以上の付き合いがある重要取引先で、黒田部長自身が若いころから担当してきた会社でもある。
「何があった」
「昨日納品した空調設備の制御システムに不具合が出て、工場の一部が停止しています」
営業部の空気が一瞬で変わった。高橋の顔から、いつもの軽さが消えていた。
「技術部には?」「連絡しました、原因確認中です」「先方には?」「まだです」
黒田部長は立ち上がった。「俺が電話する」
モニターに文字が表示された。
【重要顧客対応案件を検知しました】
「アシスト、今は黙ってろ」
【承知しました】
受話器を取ろうとしたところで、高橋が言った。「部長、先にメールを送ったほうがいいんじゃないですか。正式な謝罪文です」
「分かった。高橋、作れ」
高橋がパソコンに向かうと、アシストの画面が光った。
【謝罪文の作成を支援できます】
「お願いしてないけど……でも作れる?」
【はい】
「じゃあ作ってみろ」
数秒後、画面に文章が表示された。
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件名:弊社納入設備の不具合に関するお詫びとご報告
株式会社東都精機 製造部 山本様
平素より格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
このたび、弊社が納入いたしました空調設備の制御システムに不具合が発生し、貴社の生産活動に多大なるご迷惑とご心配をおかけしておりますこと、心より深くお詫び申し上げます。
現在、技術部門と連携し、原因の確認および早期復旧に向けた対応を進めております。詳細が判明次第、改めて速やかにご報告申し上げます。
まずは、取り急ぎお詫びと現状のご報告を申し上げます。何卒よろしくお願い申し上げます。
⸻
高橋が口笛を吹いた。「完璧ですね」
「……完璧だな」黒田部長も認めた。誤字もない、丁寧だ、必要な内容もすべて入っている。
「送れ」
午前十時二十一分、謝罪メールが送信された。
その後、技術部との連絡、社内会議、部品メーカーへの問い合わせと、営業部は慌ただしく動いた。
午前十一時四十分。「……返信、来ませんね」
「電話は?」「出ません」「メールは?」「既読にはなっています」「便利なのか不便なのか分からんな」
黒田部長は腕時計を見た。昼が近い。東都精機の工場は、まだ止まっている。
「行くぞ」
「どこへですか」「東都精機」「今からですか」「今からだ」「でも、まだ原因が分かっていません」「だから行くんだ」
二人は車に乗った。後部座席には黒田部長のノートパソコン。その中にアシストがいた。
【現在地から東都精機まで、所要時間は47分です】
「今日はしゃべるな」
【承知しました】
【ただし、渋滞が発生しています】
「しゃべるなと言っただろ」
【必要情報として判断しました】
「その判断をするな」
【学習します】
高橋が笑った。車内には少しだけ沈黙があった。
「部長、さっきのメール、まずかったですか」
「まずくない」
「じゃあ、なんで返信がないんでしょう」
「分からん」
「AIが作った、完璧な文章だったじゃないですか」
黒田部長は少し黙った。「そうだな。……でもな、相手が欲しいのは、完璧な文章とは限らない」
四十七分後、二人は東都精機に着いた。受付の奥に、工場長の山本が立っていた。
黒田部長は頭を下げた。「山本さん、申し訳ありませんでした。まだ原因は分かっていませんが、技術部が今、全力で調べています」
「メールは見ました」山本は言った。「完璧な文章でしたね」
その言葉には、少しだけ棘があった。「……はい」
「最近は便利ですね」山本は苦笑した。「何かあれば、すぐに立派な文章が届く」
黒田部長は何も言えなかった。
「でもね」山本は工場の方を見た。「工場が止まったとき、私は文章を読みたかったわけじゃないんですよ。電話くらい、すぐに来ると思っていました」
「申し訳ありません」
今度は、決まった言葉でも完璧でもない謝罪だった。黒田部長はただ深く頭を下げた。
しばらくして山本が言った。「……まあ、来てくれたからいいですよ。まだ、直ったわけじゃないですけどね」
その日の午後、原因が判明した。制御システムの一部部品に初期不良があり、交換部品を緊急手配、技術者が復旧作業に入った。
工場の休憩室で待つ間、高橋が小さな声で言った。「部長、AIに謝罪文を作らせるの、やめますか」
黒田部長はしばらく考えた。「いや。文章は、あれでいい」
「でも」「あれは、ちゃんとした文章だ。問題は、その前だ」
高橋は分からないという顔をした。
「謝るのは、文章じゃない」黒田部長はコーヒーを飲んだ。「人間が謝るんだ」
ノートパソコンが小さな音を立てた。
【今回の対応について、分析結果があります】
「また分析か」「はい」「聞こう」
【謝罪メールの送信から訪問までの時間が長いほど、顧客満足度が低下する傾向があります。ただし、顧客満足度を最も大きく左右する要因は、謝罪文の文章品質ではありません】
「何ですか」高橋が画面を覗き込む。
【初動対応の速度と、担当者が直接対応する姿勢です】
黒田部長が笑った。「それくらい、分かってる」
【では、なぜ最初に行かなかったのですか?】
黒田部長の笑顔が止まった。高橋が下を向いた。
【申し訳ありません。質問を取り消しますか?】
「……いや」黒田部長はため息をついた。「いい質問だ」
午後五時、工場の設備が再び動き始めた。山本がやってきた。「直りましたよ」
「ありがとうございます」
「メールの文章、保存しておきます」山本は言った。「次に、同じようなことが起きたときの参考に。でも、電話は先にしてください」
黒田部長も笑った。「もちろんです」
帰りの車、高橋が運転していた。後部座席のアシストが言った。
【本日の業務について、学習内容があります】
「何だ」
【完璧な文章が、最適な対応とは限りません。文章には情報があります。しかし、人間には……】
画面の文字が止まった。
「どうした?」
【適切な表現を検索しています】
黒田部長が笑った。「ゆっくり探せ」
数秒後、アシストが表示した。
【人間には、行動があります】
車内が静かになった。黒田部長はゆっくりとうなずいた。「それでいい」
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。山本工場長の表情。深く頭を下げた瞬間の空気。設備が再び動き始めたときの音。そういうものまで、果たして記録できるのだろうか。
黒田部長は静かに目を閉じた。そのとき、通知音がした。
【本日の対応を自己評価します】
「するな」
【評価を中止します】
「それでいい」
【ただし、本日は営業部にとって重要な学習がありました】
「何ですか」高橋が笑う。
画面に、一行だけ表示された。
【『送信』と『伝わる』は、同じではありません】
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
営業車は、夕暮れの道路を走り続けた。会社の新人AIは、また一つ、人間について学んだ。そして営業部の人間たちもまた、自分たちが忘れかけていたことを、AIから教えられていた。




