番外編 会議に出席したのは、人間ではなく議事録だった
火曜日の午前九時。営業部の定例会議が始まった。
黒田部長はいつもの奥の席、右隣に課長、向かいに若手の高橋。テーブルの中央には一台のノートパソコンが置かれ、画面には新人AI「アシスト」が表示されている。
【会議記録を開始します】
「お前は発言するなよ。余計な分析もするな。勝手に結論も出すな」
【承知しました。記録に専念します】
黒田部長は満足そうにうなずいた。「よし、始めるぞ」
会議はいつもどおり始まった。課長が売上と目標を読み上げ、誰かが質問し、誰かが答え、別の誰かが違う話を始める。
三十分が過ぎ、会議室の空気はゆっくりと重くなっていった。高橋は社内チャットを、部長はスマートフォンを、課長は別会議の資料を、それぞれ会議とは関係のないものを見ていた。
「佐々木」
黒田部長が言った。
「今、何の話をしていた?」
「……売上についてです」
「違う。聞いてないだろ」
「聞いてました」
「じゃあ何の話だ」
佐々木は沈黙し、結局「……売上についてです」と繰り返した。小さな笑いが起きた。
アシストの画面に文字が浮かぶ。
【会議開始から三十八分経過しました】
「だから何だ」
【申し訳ありません。システムメッセージです】
「余計に分からん」
会議はさらに続いた。一時間で終わる予定が、十時を過ぎても終わらない。
「今後の営業戦略について、さらに検討が必要ということで……」
「具体的には?」
「……検討が必要です」
「だから、それはさっき聞いた」
ベテランの田中が「とりあえず、次回また話しましょう」と収め、誰も反対しなかった。
その瞬間、アシストの画面が光った。
【議事録を作成しました】
【本日の会議時間:78分】
【主な議題:今月の営業戦略について】
【決定事項:なし】
【担当者:未決定】
【期限:未決定】
【結論:誰も決めていません】
会議室が静まり返った。
「アシスト。これは議事録か?」
【はい。事実を記録しました】
「言い方があるだろ」
【『結論は継続検討となりました』に変更しますか?】
高橋が吹き出した。「それだ!」
「高橋、笑うな」「すみません」
しかし全員が分かっていた。アシストの言うことは正しかった。一時間以上かけて、何も決まっていなかった。
午後、社内チャットに議事録が流れると、他部署から反応が相次いだ。「最後の一文がすごい」「うちの会議もAIに記録させたい」「導入方法を教えてほしい」。夕方には、営業部のアシストは社内で少し有名になっていた。
黒田部長は面白くなかった。「余計なことをするからだ」
「でも部長」と高橋。「会議で何も決まっていないことが分かるのは、悪いことですか?」
黒田部長は答えなかった。
その日の夕方、部長はひとり会議室に残っていた。ホワイトボードの隅に、誰かが書いた小さな文字――「次回検討」。
「アシスト。会議って、何のためにあると思う?」
【一般的には情報共有、意見交換、意思決定などが目的です】
「また教科書だな」
「じゃあ、今日の会議は何だった」
【情報共有と意見交換は行われました。意思決定は確認できませんでした】
黒田部長は笑った。「だよな」
しばらく沈黙が続いた。
「昔はな、会議なんてもっと短かった」
【なぜでしょう】
「みんな忙しかったからだ」
【現在も皆さん忙しそうです】
「忙しくなりすぎたんだろうな」
【提案があります。次回から会議終了時に三つだけ確認してはいかがでしょう――何を決めたか、誰が担当するか、いつまでにやるか】
「……当たり前すぎる」
【当たり前のことほど、忙しいときには抜け落ちる傾向があります】
その言葉は、妙に胸に残った。
翌朝、黒田部長は会議室に入るなり言った。「今日は一時間で終わらせる」
ホワイトボードに三項目を書く。何を決めたか。誰がやるか。いつまでにやるか。
「これが決まらなかったら、会議は終わらない」
高橋が小声で「逆に終わらなくなりそうですね」と言い、部長が「聞こえてるぞ」と返す。笑いが起きた。
【会議記録を開始します】
「アシスト、今日はどうなると思う?」
【予測は控えます。昨日、部長から『勝手に結論を出すな』と指示されました】
一瞬静まり、高橋が笑った。「AI、根に持つんですね」
【記録しています】
「それも怖いな」
その日の会議は、予定どおり五十五分で終わった。決定事項三つ、担当者三人、期限も決まった。
【結論:三件の案件について、具体的な行動が決定されました】
「今日はまともですね」
【事実を記録しました】
「昨日は?」
【昨日も事実を記録しました】
黒田部長は笑った。「一本取られたな」
【営業成果として記録しますか?】
「するな」
社員たちが出ていった後、黒田部長は一人残った。誰もいない会議室、消されたホワイトボード、モニターの中の新人AI。
AIが入ってきたから会社が変わったわけではない。会議が急に良くなったわけでもない。アシストは、今まで誰も見ようとしなかったものを、ただ画面に映しただけだった。
「アシスト。人間っていうのはな、正しいことを言われると、意外と腹が立つんだ」
【理由を分析しますか?】
「するな」
黒田部長は笑い、会議室の電気を消した。暗くなったモニターに、最後の文字が一瞬だけ浮かんでいた。
【明日の予定:営業同行】
「……そうだったな」
明日は、新人AIを連れての、久しぶりの客先訪問だった。もっとも、AIは車の助手席には座れない。だが黒田部長は、なぜか少しだけ楽しみにしていた。
営業部にやってきた新人AI。アシストの、二日目が終わった。




