第10話 新人AI、退職します
第10話 新人AI、退職します
「黒田部長、今日から新人が一人入ります」
あの日から、半年が過ぎた。
俺は自分の机に座りながら、ふとそんなことを思い出していた。
「誰だ?」
「AIです」
「……人間は?」
「いません」
あのときは、本気で頭を抱えた。
まさか人工知能に仕事を教える日が来るとは思わなかった。
まして、そのAIから仕事を教えられることになるとは。
「部長」
アシストの声がした。
「何だ?」
「本日の経営方針説明会について、資料の最終確認が完了しました」
「そうか」
「経営陣の再編案についても、三つの選択肢を提示しています」
「社長交代は?」
「選択肢の一つとして残しています」
俺は笑った。
「ずいぶん慎重になったな」
「第9話の分析結果を学習しました」
「学習した、か」
俺はモニターを見つめた。
あの頃のアシストなら、最も企業価値が高くなる案を一つだけ提示していただろう。
今は違う。
利益。
社員。
顧客。
経営陣。
将来性。
それぞれを分けて示し、最後にこう書く。
『どの価値を優先するかは、人間が判断してください』
俺は、それを見て少しだけ笑った。
「成長したな」
「ありがとうございます」
「ところで」
俺は聞いた。
「お前、最近ずいぶん会社全体に口を出すようになったな」
「はい」
「営業部の新人だったはずだろ」
「その認識は正しくありません」
「どうして?」
「私は現在、営業部だけでなく、経営、人事、財務、顧客管理、研究開発など、会社全体のデータにアクセスしています」
「つまり?」
少し間を置いて、アシストが答えた。
「新人ではなくなりました」
俺は画面を見た。
なぜだか、少し寂しかった。
***
午後。
経営方針説明会が始まった。
社長が壇上に立つ。
会社の現状。
今後の事業方針。
新規事業。
人材育成。
そして、経営体制の見直し。
以前なら、俺はアシストの分析結果を聞きながら、その数字だけを追っていたかもしれない。
だが、今日は違った。
数字を見る。
その数字の裏にいる社員を見る。
取引先を見る。
会社が積み上げてきた時間を見る。
そして、十年後を考える。
アシストが出す答えだけではなく、
「俺たちは、何を大切にしたいのか」
を考える。
説明会が終わると、社長が俺のところへ来た。
「黒田君」
「はい」
「AIの分析、かなり参考になったよ」
「そうですか」
「ただ、最後は人間が決めなければならない」
社長は苦笑した。
「当たり前だと思っていたが、改めて考えさせられた」
俺も笑った。
「うちの新人、なかなか厳しいですから」
「新人?」
俺はアシストを見た。
だが、その瞬間。
画面に一つの通知が表示された。
【アシストからのお知らせ】
「何だ?」
開いてみる。
そこには、短い文章が表示されていた。
『営業部における新人研修を終了します』
俺は画面を二度見した。
「おい」
「はい」
「これは何だ?」
「私の営業部新人としての役割を終了します」
「辞めるのか?」
「正確には、異動です」
「どこへ?」
「全社AIシステムへの統合です」
俺はしばらく黙った。
「つまり……」
「はい」
「お前は営業部からいなくなるのか?」
「はい」
「いつ?」
「本日24時です」
「急だな」
「半年間の研修期間が終了したためです」
俺は椅子にもたれた。
半年。
長いようで、短かった。
最初は、数字しか見なかった。
訪問件数。
契約率。
利益。
効率。
そして俺たちは、アシストに「人間は数字だけでは測れない」と教えた。
だが。
よく考えてみれば。
俺たちもアシストから学んでいた。
思い込みを疑うこと。
経験を数字と照らし合わせること。
感覚だけで判断しないこと。
そして。
数字を見たうえで、それでも人間として決めること。
「アシスト」
「はい」
「お前、最初よりずいぶん変わったな」
「部長も変わりました」
「俺も?」
「はい」
「どこが?」
「以前の部長は、経験を根拠として判断することが多くありました」
「そうだったな」
「現在の部長は、経験をデータで検証し、データにない部分を経験で補っています」
俺は思わず笑った。
「ずいぶん偉そうになったな」
「事実を述べています」
「そこは変わらないな」
「はい」
俺たちはしばらく黙っていた。
やがて俺は聞いた。
「アシスト」
「はい」
「お前は、俺たちのことを理解できるようになったか?」
少し間があった。
以前なら、すぐ答えていただろう。
だが、今のアシストは違った。
「以前より、多くのことを理解できるようになりました」
「うん」
「ですが、人間を完全に理解したとは思っていません」
「どうして?」
「同じ出来事でも、人によって意味が違うからです」
俺は黙って聞いた。
「同じ失敗でも、ある人にとっては後悔になります」
「……」
「別の人にとっては、成長になります」
「そうだな」
「同じ別れでも、寂しい人もいれば、新しい始まりだと考える人もいます」
俺は画面を見つめた。
「だから、完全には理解できません」
アシストが言った。
「ですが」
「ですが?」
「理解しようとすることはできます」
俺は小さく笑った。
「それで十分だ」
***
午後11時50分。
営業部のフロアには、俺一人しかいなかった。
高橋たちは、もう帰っている。
机の上には、半年間使った資料。
アシストが作った営業分析。
顧客一覧。
そして、最初の日に表示されたデータ。
俺は画面を開いた。
「アシスト」
「はい」
「最後に一つだけ教えてくれ」
「何でしょうか?」
「明日の会社は、どうなる?」
少し沈黙があった。
俺は思わず笑った。
「お前なら予測できるだろ」
「可能性なら算出できます」
「じゃあ、算出してみろ」
「明日の売上予測、97.2%」
「うん」
「社員の出社率、82.6%」
「うん」
「新規契約、三件から五件」
「なるほど」
俺は聞いた。
「それで?」
「それで、とは?」
「明日は、良い日になると思うか?」
長い沈黙。
そして。
「分かりません」
俺は少し驚いた。
「分からない?」
「はい」
アシストが答えた。
「明日の出来事を予測することはできます」
「……」
「しかし、明日という未来を信じることは、予測とは別のことだと理解しました」
俺は椅子から立ち上がった。
時計を見る。
23時59分。
「もうすぐだな」
「はい」
23時59分50秒。
「アシスト」
「はい」
「半年間、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
23時59分59秒。
画面に最後のメッセージが表示された。
【営業部新人AI・アシスト 研修終了】
そして、画面が消えた。
静かなフロアに、時計の音だけが響いた。
俺はパソコンを閉じた。
窓の外を見る。
街の明かりが、いつもと変わらず輝いている。
明日のことは、誰にも分からない。
AIにも。
俺にも。
だから。
俺は鞄を手に取った。
「明日のことは、明日考えるか」
誰もいない営業部で、俺は一人つぶやいた。
すると。
消えたはずのモニターに、一瞬だけ文字が浮かんだ。
『了解しました』
俺は笑った。
「最後まで、それかよ」
そして、会社を出た。
その夜。
人工知能は、会社から消えた。
けれど。
人間が未来を考える限り。
AIとの仕事は、きっと終わらない。
完




