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研磨師のわたくしに婚約破棄を告げるなら、せめて指輪を外してからになさいませ  作者: ヲワ・おわり


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第29話 「では、お願いします」と院長が申しました

 証石院の大広間は、天井が硝子だった。

 春分の朝の光が、まっすぐ落ちてくる。柱の影が床に細く伸び、その中央に長い卓が据えてある。卓の上には白い布。

 照合の日は年に一度、この光でしか行わない。曇れば延期になる。

 空は、澄んでいた。雲が一つもない。この日を待って、四日ぶんの寝不足がある。

 ヴィオラは卓の左手に立たされていた。両脇に院の役人が一人ずつ。申立書を出した時点で、身柄は院の管理下にある。無認可の者が家石に触れたという申立は、まず申立人自身に向くからだ。

 右手には、ジュリアン・ドルセー侯爵が立っている。

「申立、二件」

 院長が読み上げた。

「一件目。ドルセー侯爵ジュリアンより。ヴァレー伯爵家の家石に、認可を有しない者が触れた形跡がある」

 広間がざわついた。傍聴の席には貴族と商人が三十人ほど座っている。前列にクレール・ヴァレーがいた。その隣に、マチルド。後ろの立ち見の壁際に、前掛けを外してきたアニエスが立っている。三人とも、同じ側に並んでいた。

「二件目。ヴィオラ・ルサージュより」

 名が読み上げられた。

 自分の名が、この国の公の場で読まれるのは、生まれて初めてだった。

「ヴァレー伯爵家およびドルセー侯爵家の家石について、面数の記載と現物の癖に不一致がある」

 ざわめきが、大きくなった。

 侯爵家の名が申立に載ることは、めったにない。ましてそれを出したのが、両脇を役人に挟まれた娘一人だ。


「まず一件目について」院長が言った。「ルサージュ。ヴァレー伯爵家の家石に触れたか」

「触れました」

 迷いはなかった。

「認可は」

「ございません」

「いつ、何をした」

「一一二四年の十月、肩を割り、割れ口を均して面に見せかけました。面の数は十のまま返しております」

 傍聴席から声が上がった。院長が槌を鳴らして黙らせた。

「他にも触れたか」

「六つ、触れました。合わせて七つでございます」

 ヴィオラは一つずつ挙げた。ヴァレー伯爵家、ラングレ子爵家、ボワイエ男爵家。モロー商会の証石が二つと、デュラン家の婚約石。そして、ドルセー侯爵家の家石。

 最後の名で、広間が静まった。

「侯爵家の家石に、何をした」

「面を一つ、刻み足しました」

 傍聴席が静まったまま動かなくなった。

「四つの家から落とした厚みで、周りの十一面を薄く均しております。均さなければ、新しい一面だけが浮きますので」

「均した理由は」

「同じ年に見せるためでございます」

「誰に命じられた」

「傷んだ家石の修復だと、伺いました」ヴィオラは言った。「命じたのは工房主でございます。ですが、削ったのはわたくしの手です」


「宝物監府より」

 ラウルが台帳を開いた。台帳そのものだ。今日は正規の手続きで持ち出されている。

「一一二五年一月以降、台帳と現物の不一致を四十七件記録しております。うち十九件がガルニエ工房。うち十七件が、いま申立人が述べた癖と一致します」

 彼は頁を繰った。

「セルジュ・ガルニエ名義の受け渡しは、六年で三十七件。見本片と一致する現物は、一件もございません」

「その十七件を削ったのは」

「わたくしでございます」

「工房主は」

「オーギュスト・ガルニエは、宝物監府の実技確認において、面を刻むことができませんでした。証人を辞退しております」

 院長がドルセーを見た。

「侯爵。証人がおられませんが」

 傍聴席が、また揺れた。

「私が申し上げます」

 侯爵の声は静かだった。

「そこの娘が、勝手にやったのでしょう。工房主の目を盗んで、認可もなく家石を扱った。恐ろしいことです」

「では、なぜあなたの家石の面が一つ増えたのですか」

 ヴィオラが言った。

 役人が一人、こちらへ手を伸ばしかけて、院長の目を見て引いた。

「一一二〇年、十一。一一二五年、十二。そのあいだに、代替わりはございません」


 ジュリアン・ドルセーは、右手を背に回していた。

 誰にも見えない位置で、指を一本ずつ握っている。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 筋書きは崩れていない。無認可の職人が家石に触れた。それは事実であり、あの娘は自分から認めた。認めた以上、罰は下る。台帳の不一致も、工房の乱れとして片づく。

 ガルニエは使えなくなったが、あの男はもともと使い捨ての駒だ。

 問題は、娘が思ったより喋ることだった。

 罪を認める者は、普通、口が重くなる。この娘は逆だ。認めた上で、数を数え始める。

 面の数の話だけが、余計だった。

「侯爵家の家石を、この場で検分いたします」

 院長が言った。

「お出しください」

 断れない。

 自分で申し立てた照合だ。申立の対象に関連する石は、すべて検分の対象になる。ヴァレー家の面が落ちた先を問われれば、出さないという選択がない。

 拒めば、拒んだこと自体が記録に残る。

 ドルセーは従者に合図した。箱が運ばれてくる。三百年、この家が持ってきた石だ。

 布の上に置かれる。

 院の検分官が三人がかりで数えた。

「十二面。記載と一致」

 息をついた。

 表面の癖は、あの娘のものだろう。だがそれは「触れた」証明にしかならない。触れたことは、もう認めさせてある。

 面が後から足されたことの証明には、ならない。


「十二面目の面に、申立人の癖がございます」検分官が言った。「ただし、癖の一致は、触れたことの証明にとどまります。元が十一面であったことの証明にはなりません」

「では、どうすれば証明できますか」

 クレール・ヴァレーが立ち上がって言った。傍聴人の発言だが、誰も止めなかった。

 院長は、卓の下から古い綴りを出した。

「一〇二八年、灰の年の後に作られた石紋の記録がございます。石の内側の傷と気泡の並びを写したものです。粗いものですが、位置と深さは記されております」

 彼は頁を開いた。

「面を刻み足せば、その分だけ石は削られております。削られていれば、記録の石紋は、現在の表面より浅い位置にあるはずです。——つまり、既に失われている」

 広間が静まり返った。

「確かめるには、十二面目に浅く窓を開け、断面の石紋を見るしかありません」

 削る。

 ドルセーは、背に回した手を握った。

「この場で、家石を削るのですか」

「削らなければ、確かめられません」

 院長は検分官を見た。三人が首を振った。

「院の者では、家石は扱えません。三百年の石に窓を開ける腕はございません」

 院長は台帳を見た。次に、傍聴席のマチルドを見た。老女は自分の手を上げて、指を開いてみせた。三本しか伸びきらない指ではない。だが、七十一の手だった。

 最後に、院長は卓の左手を見た。

 広間の全員が、そちらを見た。

 両脇を役人に挟まれた、無認可の研磨師を。

 ヴィオラは自分の手を見下ろした。

 三日、休ませていない。申立書を出してからの四日間、丘の氷を割り、飾り石を削り、昨夜は一睡もしなかった。

 指の腹の感覚が、半分ない。一日に一面。それが限りだと、自分で言ってきた。

 院長が言った。

「では、お願いします」


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