↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
研磨師のわたくしに婚約破棄を告げるなら、せめて指輪を外してからになさいませ  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/30

第14話 侯爵は微笑んで、「あなたなら分かるでしょう」とおっしゃいました

 返事を書くのに三日かかった。

 封書は丁寧だった。一度お目にかかりたい、ご都合のよい日をお知らせ願いたい、と。断る言葉が見当たらないほど丁寧で、だからこそ断れない形になっていた。

 マチルドは「行くのかい」とだけ聞いた。

「行かなければ、二度目が来ます」

「二度目のほうが、断りにくいだろうね」

 老女はそれ以上止めなかった。かわりに、外套の襟を繕ってくれた。糸目が細かい。研磨師の手は、針も持てる。細かいものを一定の力で扱う仕事は、根が同じだからだ。

 迎えの馬車が来たのは、返事を出して四日後だった。

 丘の下まで下りると、御者が扉を開けて待っていた。踏み台まで出された。ヴィオラは道具箱を先に載せてから乗り込んだ。

 車内は暖かい。座面に毛皮が敷いてある。窓の桟に埃がない。

 この馬車で工房の前を通ったら、旦那様は何と思うだろう。そんなことを考えた自分に気づいて、ヴィオラは窓の外へ目を移した。


 ドルセー侯爵邸の応接は、思ったより狭かった。

 広間ではない。客を人数で圧するための部屋ではなく、一人と向き合うための部屋だ。暖炉に火が入っていて、香木の匂いがする。

 卓が一つ、窓の側に寄せてある。

 その上に、白い布が敷いてあった。

 ヴィオラは戸口で足を止めた。

「お待ちしておりました」

 細身の男が立ち上がった。夜会で見たときと同じ、上等だが華美ではない上着。手袋はしていない。

「ジュリアン・ドルセーです。急なお呼び立てを、お許しください」

 声が低い。夜会の広間で聞いたときより、ずっと低かった。人前で出す声と、一人に向ける声を、この人は使い分けている。

「ヴィオラ・ルサージュと申します」

「存じております。腕のいい研磨師を探しておりましてね」

 侯爵は椅子を勧めた。職人に椅子を勧める貴族を、ヴィオラは初めて見た。

「砥ぎ町でお名前を伺いました。ガルニエ工房の仕事は、十年ずっと同じ手だったと」

「工房の仕事でございます」

「そう伺うだろうと思っておりました」

「ええ。工房の仕事ですね」

 侯爵は微笑んだ。否定も肯定もしない微笑み方だった。

「布は、そちらでよろしいでしょうか。お使いになると伺ったので」

 ヴィオラは布を見た。

 麻。目が細かい。石を置くには少し滑るが、悪いものではない。

 誰が、伝えたのか。

 砥ぎ町の職人か。アニエスか。あるいは旦那様か。

 布を敷くのは、職人なら誰でもする作法ではある。だが「必ず自分の布を出す」となると、話が違う。それを知っている者は多くない。

 ヴィオラは道具箱を膝に置いたまま、椅子に座った。


「これを、少し整えていただきたい」

 侯爵が小さな箱を開けた。

 中の石を、ヴィオラは自分の布に移してから持ち上げた。侯爵の布は使わなかった。

 面が六つ。飾り石だ。家石ではない。

 拡大鏡を出す。窓のほうへ向き直る。日は既に低い。窓枠の影が、卓の半分にかかっていた。

 削り跡を見る。

 左肩からではない。右下から入って、時計と逆に回っている。仕上げは磨き切ってある。艶が高い。

 旦那様の癖に、似ている。

 だが、違う。

 旦那様の稜線は硬い。若い頃の仕事は、角が立っている。この石の稜線は、わずかに丸い。角を立てきる前に手を止めている。

 これは――手が利かない者の仕事だ。

「いかがです」

「新しい仕事でございます。半年以内かと」

「ほう」

「削り跡の縁に、まだ粉が噛んでおります。使い込まれた石なら、これは取れます」

 ヴィオラは拡大鏡を下ろした。

「ただ、これ以上は申し上げられません」

「なぜです」

「日が落ちております」

 侯爵の眉が、わずかに上がった。

「蝋燭では、面の角度は読めても条痕は追えません。断定するには、朝の光と、研ぎ台と、拡大鏡が要ります」

「三つ揃わなければ、何も言わない」

「はい」

「立派なことです」

「立派ではございません。断定した石が違っていれば、家が一つ傾きます」

「傾いた家を、ご覧になったことが」

「ございません」ヴィオラは答えた。「ですから、断定しないのです」

 侯爵は目を細めた。笑ったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。この人の顔は、どちらとも読めない。

 侯爵は椅子の背にもたれた。

「では、明朝もう一度いらしていただけますか」

「わたくしがこの石について申し上げられるのは、それだけでございます」ヴィオラは石を布に戻した。「これは家石ではございません。整えるのに、わたくしである必要がございません」

 部屋が静かになった。

 暖炉の薪が、ぱち、と鳴った。


「ルサージュさん」

 侯爵は姿勢を変えなかった。

「面の数というものは、不思議なものだと思いませんか」

「……と、申しますと」

「十二面の家と、十一面の家がある。一つ違うだけです。石の重さは変わらない。中身も変わらない。それでも、片方が先に頭を下げる」

 彼は指を組んだ。指が長い。剣も鋤も握ったことのない手だった。

「三百年前、私の家は八面でした。八面のとき、我が家は国境を守っていた。守っていた者が、守られていた者より低い。それが数というものです」

 ヴィオラは何も言わなかった。

 夜会で、この人は誰にも手元を見せなかった。この部屋でも、手袋はしていないのに、指には何も嵌めていない。

「血は薄れます」

 侯爵は静かに続けた。

「三代前の当主は、狩りで死にました。二代前は、子が生まれなかった。血というのは、そういうふうに薄れていく。けれど国は続かねばならない」

 薪がもう一度鳴った。

「――あなたなら分かるでしょう。削る人だ」

 ヴィオラは布を畳む手を止めた。

 石を扱う者として言われたのではない。

 削る、という言葉に、この人は別の意味を載せている。


 帰りの馬車は、行きと同じものだった。

 窓の外は暗く、王都の灯りが遠くに散っている。膝の上で、ヴィオラは自分の布を握っていた。麻の目が、指の腹に食い込んでいる。

 あの石は、旦那様の癖に似た、旦那様ではない誰かの仕事だった。

 右下から入って、時計と逆。それは旦那様の癖だ。だが手が利かない。

 旦那様の癖を、旦那様ではない誰かが真似ている。

 写そうとした跡は残る。手が一度止まる。あの丸い稜線は、その跡ではないのか。

 馬車が石畳を鳴らした。車輪が継ぎ目を拾うたび、道具箱の中で砥石が触れ合う音がする。

 旦那様は削れない。四年前も削れなかったはずだ。指はもっと前から曲がっていた。

 では、旦那様の癖を持つあの石を、誰が削ったのか。

 癖は、写せる。止まらないくらいうまく真似られる者がいたら、とマチルド先生は言った。

 そして、もう一つ。

 あの方は、わたくしが布を敷くことをご存じだった。

 布を用意して、待っていらした。

 ヴィオラは目を閉じた。

 あれは依頼ではない。

 石を整えさせたかったのなら、砥ぎ町の工房に出せばいい。飾り石を整えるのに、わざわざ丘の上から馬車で呼ぶ必要はない。

 あの方が見たかったのは、石ではなく、こちらの手つきだ。

 どこまで見えるのか。何を言い、何を言わないのか。

 測られたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。