忠告
「っ……達也」
氷で足首を冷やしながら壁際の椅子に座っていた木村が、ギリッと歯を食いしばって俺を見上げた。
衣装に袖を通しかけた俺の腕を、木村の手が強く掴んだ。
引き留めるというより、縋るような力だった。
足首を負傷した男が、それでも立ち上がりかけている。
その顔には、悔しさと焦りと、もう一つ別の何かが滲んでいた。
「……ちょっと来い」
押し殺した声で言って、木村は俺を人の輪から引き離した。
壁際まで引っ張られて、二人だけになる。
「なあ、達也。
変なこと聞くかもしれねえけど」
木村は周囲をちらりと確認してから、声をさらに低くした。
「さっき階段で転んだ時——俺の後ろに、関谷がいたんだ」
俺は黙って続きを待った。
「足が引っかかった感覚があった。
段差でつまずいたにしては、角度がおかしかった。
咄嗟のことで確認できなかったけど……関谷の足が、俺の足首に触れた気がしたんだ」
木村は唇を引き結んだ。
確信ではない。
でも、ただの勘でもない——そういう目だった。
「証拠はない。
俺の気のせいかもしれない。
だけど達也、お前も見てたろ。
今日の関谷の動き方を」
「……ああ」
「あいつ、最初から宮野を狙ってる。
今頃、舞台袖で宮野のそばについてるだろ」
木村の拳が、膝の上でじわりと握り締められた。
「俺が足を怪我して、お前がロミオをやることになって——結果的に一番得したのは誰だ。
考えてみろよ」
答えるまでもなかった。
俺が舞台に引き出されれば、俺の視線は郁美に集中する。
裏方として桜のそばに張り付く関谷を気にしていられなくなる。
そういう構図だ。
「お前、幼馴染なんだろ、宮野と」
木村の声が、一段低くなった。
「このまま宮野を、あいつに取られてもいいのか?
あんな状態だと宮野ももしかしたら….」
俺は何も言わなかった。
言えなかった、というのが正確だ。
木村の言葉は全部正しかった。
関谷が桜を狙っていることも、このまま舞台に立てば桜を守れないことも、全部分かっていた。
それでも——
今日しかないかもしれない。
この舞台で郁美の幸福度を頂点まで引き上げて、そこに彼岸花を当てがえば、呪いが解ける可能性がある。
桜を守ることも、郁美を元に戻すことも、全部今日に懸かっている。
どちらかを選べば、どちらかを切り捨てることになる。
「……木村」
俺はゆっくりと口を開いた。
「忠告はありがたい。
でも俺には、今やらなきゃいけないことがある」
「達也——」
「関谷のことは、俺が舞台から戻ったら考える。
それまで、お前が見ててくれないか」
木村の目に、複雑な感情が混ざり合った。




