最低な男
夕暮れの昇降口に、桜の悲痛な叫び声が木霊する。
「こんな風に……っ、こんな惨めな思いさせるくらいなら、最初からあんたの口で『もうお前はいらない、嫌いだ』って言ってよ……っ!!」
床にへたり込み、子供のように泣きじゃくる桜。
その姿は、痛々しくて、見ているだけで発狂しそうだった。
今すぐ駆け寄って、すべては演技なんだと抱きしめてやりたい衝動が全身を駆け巡る。
「……行こ、達也くん。これ以上いたら、また私が何をされるか分からないし……」
郁美が俺の腕に柔らかい胸を押し付けながら、甘ったるい声で囁いた。
「……あぁ、そうだな」
俺は、泣き崩れる桜に背を向けた。
長く伸びた二つの影が、床に座り込む桜の小さな影を冷酷に置き去りにしていく。
その瞬間、自分のあまりの不甲斐なさと、何だかんだ言っても、自分のことをいつも心配してくれていた幼馴染をこの手で無惨に切り捨てた激しい罪悪感が、一気に胸の奥からせり上がってきた。
(俺は……なんて最低な男だ……!)
視界が急速に歪んでいく。
熱いものが目頭に溜まる。
かすかな俺の息の震えを察知したのか、隣を歩いていた郁美が、ふと足を止めて俺の顔を覗き込んできた。
「……あれ? 達也くん、どうしたの? 目、潤んでるよ……?」
怪訝そうに首を傾げる郁美の視線が、俺の濡れた目元を捉える。
心臓が跳ね上がった。
ここで動揺を見せるわけにはいかない。
俺は歪みそうになる口元を必死に統制し、これまでに培った演技力のすべてを注ぎ込んで、愛おしそうな、だけど少し照れたような笑みを浮かべてみせた。
「いや……なんでもないよ。ハハ….たださ、こうして郁美と一緒にいられるのが、本当に嬉しくて。
……なんか、幸せすぎて泣けてきただけだよ」
我ながら反吐が出るような嘘だった。
桜の泣き叫ぶ声が耳の奥でリフレインし、胃の奥がストレスで焼け付くように痛む。
だけど、その言葉を聞いた瞬間、郁美の瞳が目に見えて輝きを増した。
「そっか……。達也くんも、私と同じくらい幸せなんだね……っ」
郁美は頬を林檎のように真っ赤に染め、本当に愛らしい、少女の笑みを浮かべた。
俺の腕に絡みつく手の力が、より一層に強くなる。
(そうだ……これでいい、もっと満たされろ……)
俺は歪みそうな顔を必死に隠し、郁美の歩幅に合わせて歩き出した。
家に帰ったからといって、呪いの圧迫からも、桜への罪悪感からも逃れることはできない。
「ふぁ〜……お風呂気持ちよかったぁ。ねえ達也くん、髪乾かして?」
俺の部屋着をぶかぶかに着込んだ郁美が、濡れた髪を揺らしながらベッドに腰掛ける。
俺は言われるがままドライヤーを手に取り、彼女の柔らかい髪に風を当てた。
自分の家なのに、完全に郁美に支配された異質な空間。
俺が桜を見捨てたことで、郁美の機嫌はこれ以上ないほどに良かった。




