関谷
「桜……っ!」
本能的に、身体が動いた。
荷物を放り出し、床にへたり込む桜の元へ駆け寄ろうと足を踏み出した、その瞬間。
「キャッ……! 達也くん……っ!」
わざとらしいほどに高い悲鳴を上げて、郁美が俺の胸元に飛び込んできた。
恐怖に怯える少女を完璧に演じながら、俺の服の袖を、ちぎれんばかりの強さでぎゅっと掴んで離さない。
その細い指先からは、「どこにも行かせない」という執念じみた拒絶の意思が伝わってきた。
(……クソッ、今はダメだ。ここで桜を助けたら、全部台無しになる……!)
脳裏にケンさんのボソボソとした警告が蘇る。
ポケットの中の彼岸花が、冷たく俺の肌を刺すようだった。
俺は一瞬で衝動をねじ伏せ、心を鬼にした。
床に倒れ伏す桜には一瞥もくれず、腕の中の郁美をこれ以上ないほど強く抱きしめた。
「大丈夫か、郁美! 怖かったな……大丈夫、俺がついてるから」
努めて優しく、郁美を安心させるための甘い声を絞り出す。
「おい、大丈夫か、桜ちゃん!?」
その時、教室から、騒ぎを聞きつけた関谷が血相を変えて走ってきた。
関谷は床に散らばる大道具の残骸を飛び越え、すぐに桜の側へと駆け寄る。
「ひどい怪我じゃねえか……っ。おい、しっかりしろ」
関谷は優しく桜に寄り添うと、怯えて震える彼女を庇うように、その細い肩をそっと抱き寄せた。
自分の胸に桜を引き寄せるようにして、ほとんど密着するような距離感で、怪我をした桜の身体を男らしく支え起こす。
「歩けるか? 無理するなよ。……俺が保健室まで連れてってやるから」
関谷の普段以上に低い声はどこまでも優しく、桜は痛みに耐えながら、関谷の制服の胸元を小さく握りしめてコクりと頷いた。
関谷は桜の肩を抱いたまま、彼女の歩調に合わせてゆっくりと廊下の奥へ歩き出していく。
その二人の後ろ姿を、俺は郁美を抱きしめたまま、ただ見つめていることしかできない。
「ふふ、達也くん、あったかい……。私を、守ってくれたんだね……」
俺の胸に顔を埋めたまま、郁美が脳を甘く溶かすような、恍惚とした吐息を漏らす。
自分の仕掛けた罠で桜が傷つき、そして何より、達也が桜を完全に無視して自分だけを特別扱いにした。
その事実が、郁美の中にこれ以上ないほどの歪んだ幸福感を満たしていくのが伝わってくる。
だが、同時に俺の脳内は、それとは真逆のどす黒い感情で満たされていた。
怪我をさせてしまった桜への激しい罪悪感。
そして——自分ではなく、別の男の腕の中に収まり、密着したまま離れていく桜の姿。
(なんで、関谷が桜を……)
抑え込もうとしても、割り切れないモヤモヤとした感情が黒い霧のように胸の中でどんどん広がっていく。
腕の中の郁美を拒絶することもできず、俺はただ、関谷に支えられて消えていく桜の後ろ姿を、ただ眺めることしか出来なかった。




