演技
その時だった。
「お、達也じゃん!」
聞き慣れた声。
顔を上げると、文化祭準備の資料や段ボールを抱えた関谷が、廊下を歩いてくるところだった。
「どうした? そんなとこで突っ立って」
いつも通りの軽い調子。
その能天気さが、今は妙にありがたかった。
「関谷……」
俺は無意識に、その名前を呟く。
「ん?」
「関谷……!」
気づけば、俺はそいつの肩を掴んでいた。
「頼む……助けてくれ!」
「ど、どうした?」
「郁美がおかしいんだ! このままだと桜が——」
「…….はぁ?」
関谷は、ひどく冷めた目で俺を見た。
今まで向けられたことのない、軽蔑の目だった。
「お前、マジで最低だな。自分の彼女のことをそんな風に言うなんて…」
「え……?」
「さっき、郁美ちゃんから俺にLINEが来たんだよ。写真付きでさ。
『達也くんが桜ちゃんのことばかり心配してて、私、嫌われちゃったのかな』って。
手、すげえ血が出てたぞ。
お前、あんなに尽くしてくれてる彼女が怪我してんのに、まだ幼馴染に未練タラタラなのかよ」
「ちが……違う! あいつが自分で……!」
「もういいよ。郁美ちゃんが可哀想だわ」
関谷は鬱陶しそうに俺の手を振り払うと、足早に去っていった。
親友の背中が、遠ざかる。
「あ……」
声が出なかった。
学校中が、郁美の描いた『悲劇』を信じている。
俺の言葉は、もう誰にも届かないのか。
「達也くん、お待たせー」
背後から、明るい声がした。
振り返ると、白い包帯を巻いた郁美が、天使のような笑顔で立っていた。
「い……くみ……」
「どうしたの?..... 関谷くん、急ぎ足だったみたいだけど」
小首を傾げる郁美の顔には、一片の曇りもない。
俺が関谷に何を言おうとしたか、そして関谷がどう返すか、すべてを掌の上で転がした上での、完璧な演技にしか見えなかった。
「……いや、何でもない」
俺は力なく首を振るしかなかった。
その後の文化祭の準備は、まるで泥沼の中を歩いているような時間だった。
俺のクラスの出し物である迷路のパネル作り中も、郁美はずっと俺のそばを離れなかった。
「自クラスの演劇の方は大丈夫なのか」と伝えたが、
「もうセリフ全部覚えているから大丈夫!」の一点張りだった。
包帯を巻いた手を庇う彼女をみて、クラスの連中(特に男子)は、
「大丈夫? 無理しないで!」と、少しでも点数を稼ぐことに躍起になっていた。
その傍ら、
「何かあれば、俺か…….彼氏の達也くんがどうにかしてくれるから、な?」
と、俺の肩をとんでもない力で掴んでいた。
桜と並んで学園のニ大美女の郁美の異常性に、一之宮を除いて誰も気づいていない。
俺はそんな郁美の隣でただ、感情を殺して段ボールを切り続ける機械になるしかなかった。
やがて夕暮れ時になり、今日の作業が終了した。




