保健室
廊下に出ると、多目的室の喧騒が遠くなった。
代わりに、二人分の足音だけが響く。
郁美は傷を押さえた手を胸の前で抱えながら、俺の隣を歩いていた。
時折「痛い……」と小さく呟いて、俺の腕にもたれかかってくる。
俺は何も言えなかった。
頭の中では色々と渦巻いているのに、言葉にしようとすると全部霧散する。
「……ねえ、達也くん」
先に口を開いたのは郁美だった。
「桜ちゃん、大丈夫かな」
俺は思わず郁美の顔を見た。
眉をかすかに寄せて、潤んだ目で前を向いて、心配そうな顔をしていた。
「あんな風になったまま……、一人で残してきちゃったし」
「…………」
いいわけがないだろう。
俺はそう言いたい気持ちをグッと堪えた。
先ほどは郁美の前で桜と話そうとしたことがいけなかった。
軽率すぎた。
今の郁美は俺と桜とのつながりを絶たせるためなら、何だってするだろう。
その認識を再確認させられた。
保健室のドアの前まで来た時、
俺は郁美の腕を掴んで、ドアを開けずに立ち止まった。
「これだけは確認しておきたい….さっきの郁美の自作自演だよな….?」
低く、できるだけ静かに言った。
郁美は驚かなかった。
少しだけ間を置いて、俺を見上げた。
笑顔だった。
目だけが、笑っていなかった。
「何のこと?」
「カッターを桜に——」
その瞬間、保健室のドアが内側から開いた。
「あら、どうしたの?」
保健の先生が顔を出した。
郁美はすかさず流血した手を差し出して、
「すみません、怪我をしてしまって……」
と、消え入りそうな声で言った。
仕方なく保健室の先生の誘導に従うままに、入室する。
保健室は消毒液と、かすかな洗剤の匂いがした。
白いカーテンで仕切られたベッドが二つ。
棚には薬品の瓶が整然と並んでいて、窓際に観葉植物が一鉢だけ置かれていた。
葉の色だけが妙に鮮やかで、この部屋の白さの中で浮いて見えた。
窓の外では文化祭の準備が続いている。
遠くから生徒たちの声や、何かを引きずる音が断続的に聞こえてくる。
校庭に出ている別のクラスが、看板か何かを運んでいるのが見えて笑い声が混じっている。
そんな声を聞きながら、俺は保健室の椅子に腰掛けた。
先生が郁美の手に消毒液を塗るたびに、郁美が「いたっ……」と小さく声を上げる。
俺はそれを壁際の椅子に座って、ただ聞いていた。
郁美の処置中も俺は桜のことが脳裏から離れなかった。
この事件をきっかけに、桜のクラスでの立ち位置はますます危うくなるだろう。
「はい、終わりよ。しばらく無理しないようにね」
先生が立ち上がって、棚の方へ向かった。
記録をつけるためか、少し離れた場所で背を向ける。
部屋に、静寂が落ちた。




