多目的室
そう思い直して、立ち上がると――
気づけば、
すぐ隣に郁美が
音もなく立っていた。
「うおぉ!」
俺は、自分の気が動転していることを
気づかれないように、
努めて明るく振る舞った。
「ど、どうした? 郁美」
「達也くん!
来てくれたんだね! 嬉しい!」
郁美は相変わらず、
ハイライトのない瞳で
こちらを見つめてくる。
「あ、あぁ。
郁美の方は文化祭の準備どうだ?
捗ってるか?」
俺は、
郁美が脇に抱えている段ボール箱を
横目に言った。
「うん! 達也くん!
あのね……
私、文化祭でやる演劇の主役に
選ばれちゃった!」
「あ、あぁ……みたいだな……」
「ん……?
知ってたんだー。へへ!
達也くんが
私のこと知ってくれてるの、
すごく嬉しいな!」
「あー……うん……。
そういえばさ……
桜……宮野は……どうしてる」
今では郁美の前で、
下の名前を呼ぶのすら
良くない気がしてきた。
その瞬間だった。
郁美の顔から、
すっと表情が消えた。
笑顔でも、無表情でもない。
なんというか――
塗りつぶされた、
という感じがした。
一秒にも満たない間だったと思う。
「桜ちゃん?」
気づけばもう、
郁美はいつもの笑顔に戻っていた。
「ちゃんとお仕事してるよ?
達也くん、
心配してるの?」
首をこてん、と傾ける。
段ボール箱を両腕で抱えたまま、
人形みたいに。
「い、いや、別に……
なんとなく聞いただけで」
「………そっか」
郁美はゆっくりと一歩、
俺に近づいた。
「ねえ、達也くん」
声のトーンが、
一段下がった。
「達也くんってさ」
「……なに」
「やっぱり、
桜ちゃんのこと――気になる?」
廊下の雑踏が、
遠くなった気がした。
笑顔のまま聞いてくる。
ハイライトのない瞳が、
まっすぐ俺を見ている。
「…………そういうんじゃない」
「ふーん」
郁美は何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと視線を
段ボール箱に落として――
それから、
パッと顔を上げた。
「あ! ちょうどいい!
ねえ達也くん、ちょっと来て!」
今度は笑顔だった。
さっきの空白が嘘みたいな、
ぱっと花が咲くような笑顔。
俺が返事をする前に、
空いた右手が
俺の手首を掴んだ。
「ちょ、どこ――」
「演劇の稽古場!
達也くんに
見せたいものがあるんだ」
引っ張られるまま、
廊下を歩く。
郁美の歩くペースは速い。
俺の手首を掴む力が、
見た目に反して
思ったより強いことに、
今さら気づく。
体育館の脇を抜けて、
渡り廊下を渡った先――
多目的室の引き戸が、
少し開いていた。
中を覗くと、
舞台の書き割りや衣装道具が
所狭しと並んでいて、
数人の生徒が
忙しなく動き回っていた。
郁美が、
「見て見て」とでも言いたげに
俺の腕を引く。
その時だった。
部屋の奥、
舞台袖になる一角で、
大きな木箱を
一人で運んでいる人影が見えた。




