3.テクテクキンチャク
僕が踏みしめ続けてきた猫島の地面から見知らぬ場所へ。慣れ親しんだ靴音が変わる期待と不安で胸の奥が膨らんで、血の流れが速くなっている気がして。崩れ果てた猫夏大橋は僕の家からでもよく見える。橋脚、道路、パイプライン、鋼鉄のワイヤーが全てバラバラに空を目指し海を求めて散らばったように見える。低い空を背景に、鈍い海をキャンバスに、僕の脳裏に永遠に刻まれるであろう墓碑銘のような絵画。
イレギュラーと判定された国民は親愛局の職員によって帯同入所の手続きを取られ、規定の期間そこで再度の国家親愛教育を受講することになっている。ただ職員の到着には時間が掛かるはずだし、今の状況で彼らの視覚器官にイレギュラー報告機能が働いているとも思えない。いずれにしても、あまり猶予はあるまい。
密かに身支度を整えていた僕は圧縮式携行袋壱八式を引っ掴み自室を出た。
僕の家は猫島で唯一の商店だったが、売るために並べるものは何年も前になくなった。それでも倉庫に残っていた携行食や飲用の結合水滴のパックを幾つか忍ばせ、誰にも何も言わず表に出た。
島の人々はみんな、歩き始めた僕を見ても何も言わないし声もかけない。普段なら今の時間に適した定型発声構文が幾つかインプットされていて、そのどれかを投げかけてくるはずのなのに。
僕のチューナーが壊れかけているから彼らに認識されなくなっているのか。彼らが僕をイレギュラーと見做し、忌避しているのか。
店に並ぶはずだった品物の帳票管理システムも反応せず、なんなく持ち出すことが出来たし、亡くなった父に代わって店の管理システムと一体化した母からの無断持出物品追跡信号も受信していない。
僕は残された死にかけのシステムからも孤立したようで、それはつまりいよいよココで生きる理由もなくなったということだ。統制事務所の前も通り過ぎ、島を一周する回遊道路に出た。島の中央にこんもりとそびえ立つ猫島富士の森を抜けていくことも考えたが、ここまで放ったらかしにされるのならばいっそこのほうが安全だし、手っ取り早い。
猫夏大橋のたもとにある船着場跡は海陸共棲葉緑蔦絡に覆い尽くされ、割れた窓から建物内部にまで這入り込んで、文字通り絡みつき締め付けるように生い茂って。陸に上がったオカコンブは今の時期になると紅い実をつける。海中のミネラル分と光合成により生成した酸素を含むそれは島に住む漁師たちの栄養食や子供のオヤツであり、潜水士のボンベ代わりにもなっていた。だが戦後に汚染された海水を汲み取ったそれを噛むと海中の複合化学成分が酸素に乗って脳へと運ばれ、強烈な幻覚作用を生み出す恐るべき麻薬に変貌した。
島の人々は、僕も含め瞬く間にこれの虜になった。今もこの廃墟のなかに寝転がり、引き攣った笑い声と共に痙攣する足が見えている。自力で中毒から抜け出すことは困難で、脳に堆積した有毒物質によって神経中枢が破壊され生きたまま屍になるのを待つ他ない。島に残された少なからぬ人々がオカコンブの紅い実に侵されていった。
潮風に揺られて紅い実が笑う。笑いながら僕を誘う。ふらふらと近寄る。




