2.疑問、怠惰、怯懦、愚弄、軽蔑、嘲笑、望郷、慟哭、喝采、鬱屈。
僕は今日、この崩れた橋を渡る。かつて混じり合い繋がっていた鉄とアスファルトとコンクリートの塊を渡って、いつか青かった空と海を探して。
脳に埋め込まれた遺伝情報制御調整器が劣化しているのか、残存衛星からの定期巡検波動が途切れたことで機能が鈍ったのか、あるいは両方か。島の中で僕だけが何かに気づいている。それが何なのかは、まだわからない。きっともっとチューナーが壊れていくにつれて見えてくるのだろう。もっと波動から遠ざかった時に聞こえてくるのだろう。
通常、遺伝情報制御調整器によって身体動作や思念沸出は全て発現するまえに管理され、安衛行則(国家安全衛生行動規則)または範念創則(模範的思念的創造的規則)によって定められたものから一定の逸脱が見られると検じられた場合、即刻のちシャットアウトされ直前の行動または思念は無効化される。復帰まで数秒から長ければ数分、重罪クラスになると数か月に及ぶ場合もあるが、たいていの場合は立ち眩みのような症状が出て、次の瞬間には規範通りの行動または思念に移行するようになっている。行動に移す前の思考から阻止しようというわけだが、それは何も自立とか独立とか下剋上など大げさなものを防がんとするばかりではない。国家は国民の安全を守るため、国民は兄弟、国民は家族との見地から僅かな変化も見逃さないようにしているのだ。
疑問、怠惰、怯懦、愚弄、軽蔑、嘲笑、望郷、慟哭、喝采、鬱屈。国家にとってどれひとつ取っても命取りとなる。だからこそ、国のために死ねと言わんばかりの全国民全体管理型安全保障社会構造体が築き上げられ、運用されてきた。だが戦争勃発から徐々に瓦解し、途切れ、破壊されたシステムは今や透明なまま社会に横たわるだけの不可視スポメニックと成り果てた。
もう何を思ってもいい、何をしても、何処を歩いてもいい。空を見上げようが海を眺めようがテントを借りようが、誰にも管理、制御されることはない。
それに気づいているのは、どうも僕だけらしい。
目の前に見えている海と空は濃淡の曖昧な鈍色に曇って黙り込んでいるが、脳裏でゆらめく空と海は青く広がり白く湧き上がり、風がそのときの匂いを運んできた。
幾重にも積み上げられ、空へと登ってゆく雲の回廊を僕は歩いてゆく。二つの景色は重なり合い引き剥がされ、やがて溶け合って消える。帰る場所が海で目指すものが空ならば、青く広いほうがいいと思うようになった。だけど毎日をやり過ごしているだけならば、鈍く曇ったままでもいい。青すぎても広すぎても、海も空も手が届かなければ虚しさと焦燥が募るばかりだから。
まあ、どっちみちこのままココに居たって何にもならない。
嵐のときは海中に沈んでしまうよう作られた道路を橋へと向かって歩き出す。他に辺りを歩く人は居ない。もう今この島に何人ぐらいが生き残っているのかもわからない。砂浜には巨大な一角噛鮫や銀輪花海月が押し寄せてきて人々を突き刺し、あるいは引き千切り、さらには長い触手で絡め捕って丸呑みにしていった。生きる希望も目的もなく、ただ茫然と壊れて狂った世界の小さな島に取り残された僕たちは理由もなく動き続け、ときどき食われ、やがて体の中で知らず知らず回り続ける時計の針が止まったらそれで終わりなのだった。




