【3】信長の首
6月2日 本能寺の外 明智光秀
みんな聞いてくれ。察している者もいるかと思うが、今この本能寺にいるのは織田信長だ。
私は信長を討つが、決して私欲のためではない。織田信長に代わり、この世を泰平に導くためにやるのだ。すでに徳川家康殿が味方に付いているし、信長を討てばもっと味方が増えるだろう。そして室町幕府を再興する。我々は幕府軍として逆賊を討つのだ。だから謀反人の汚名を着ることはない。みんな私に付いて来てくれ。
6月2日 本能寺にて 織田信長
朝から騒がしいな。何だよ、近所迷惑じゃねえか。早く静かにさせろ。
ああ、なんて言った?光秀が?光秀が謀叛だと。そうか…これは光秀の軍なのか。…うん、ああ分かってるよ。
槍と弓を持ってこい。
まあ、足掻いても無駄だろうがな。俺を殺すのは明智光秀だったか。おそらく、光秀に家康を殺れって命じたのが関係あるんだろうな。これは、俺が光秀の扱いを誤った結果、それだけだ。
本音を言えば、こんなとこで死にたくはなかったが、一つでも誤れば死ぬのが人の運命だ。諦めるしかねえな。でもな、光秀も死ぬよ。分かるんだ。俺ほど運の強いやつを殺るには、どんな計画でも戦力でも、それだけじゃ足りないんだ。光秀はここで一生分の運を使い果たす。だから光秀も死ぬ。そういうもんなんだ。これはオカルト話じゃねえよ。
いつからか俺に憑いていた謎の運が、次は誰に憑くのか楽しみに見ていてやるよ。
ああ、気づかなかったが、肩に矢が当たっていやがる。もう潮時か。最後に醜態は晒したくねえな。光秀が最も必要としているものも渡さねえ。
おい、奥の間に火を放て。
6月2日 本能寺を包囲中 明智光秀
早い。信長が自ら火を放つことも考えてはいたが、あまりにも早過ぎる。しかし、完全に燃え尽きなければなんとかなる。急げ。信長を討ったという証が必要なのだ。絶対に信長の首級を取れ。
6月2日 境にて 丹羽長秀
昨夜、光秀は確かに来た。しかし、どう見ても家康を討ってはいない。戦った形跡すらもない。おそらく光秀は、私を欺き家康を逃したのだ。すぐに、本能寺にいるはずの信長様に、このことを報せろ。
6月2日 本能寺 焼け跡にて 明智光秀
ダメだ。信長の首は見つからない。亡骸はいくつもあるが、これでは誰のものか判別できない。さすがは魔王というべきだな。全てをこちらの思い通りにはさせてくれない。
6月2日 境にて 丹羽長秀
なんと信長様は、光秀に襲撃され安否不明とのことだ。これでは、予定していた四国攻めは当然 中止せざるを得ないし、状況がはっきりするまでは迂闊に動けない。だが、信長様は生きておられる可能性もあるようだ。今はそれを信じ、信長様のご命令を待つのだ。
6月3日 岡崎城にて 徳川家康
本当に明智殿はやっちゃったみたいだね。あの真面目な人が主君を討つなんて驚くよ。いや、真面目過ぎるからなのかな。まあ俺も、ずいぶん前の一向一揆のときは、家臣に敵対されて困ったけどね。でももう、俺を殺しにくる家臣は絶対にいない。俺が信長に勝てるのは、家臣の能力と忠誠だけなんだ。
でもね、結局はそれが最強なんだよ。信長は天才だし、自分でも言うように強運なんだけど、たった一人の力や運でできることは限られているんだ。明智殿だって、一人じゃこの国の争いを収めきれないって分かっているから、俺を計画に巻き込んだんだ。
まさか、こんな展開が待っているとは、一月前には全く予想もできなかったが、これは俺にとっ ても大チャンスだよ。下手をすれば破滅のリスクもあるけどね。とにかく急ぎに急いで出兵の準備だ。今、三河から京まで兵を出すのが大変だなんて、俺だって分かってるよ。それでも急げ。
京で明智殿に合流して、織田家との決別を宣言する。信長だけじゃなくて、現当主の信忠まで討ったのは、明智殿のファインプレイだよ。本当は賭けは好きじゃないけど、ここで上手く立ち回れば、得るものはかなり大きいよ。(本多)正信は、織田が大混乱している今、潜伏している武田の遺臣たちをできる限り味方に付けろ。
明智殿も、もっと味方を増やしておいて欲しいね。だから、分かってると思うが、信長の首だけは取っていてくれよ。そしたら、あとは何とかしてやるからさ。
6月3日 岸和田城にて 丹羽長秀
どうやら、信長様が討たれたのは事実らしい。さらに、すでに織田家の家督を継いでいた信忠様までも、光秀の軍勢に囲まれ自害されたようだ。
ならば信孝様(信長の三男)の指揮で、謀反人明智光秀を討つべきか。信孝様の指揮で四国を攻めるために組織した軍を、光秀の討伐に使えばいいのだ。しかし、信長様が亡くなったことを知り、兵たちの間に動揺が拡がっている。軍を脱走する者も出ているようだ。今ここで、信孝様まで死なせるような事態だけは、あってはならない。軽率な行動は慎んだほうが良い。
しかし、大坂城の津田信澄は、信長様の甥であり光秀の娘婿でもある。光秀が信澄を取り込み、信長様の後継者だとでも主張すれば、面倒なことになる。信澄は光秀と共謀していたことにでもして、今のうちに討っておくべきだろう。ここから大坂城までなら、目と鼻の先だ。急ぎ兵を出すよう、信孝様に進言しよう。
6月4日 勝龍寺城にて 明智光秀
信長の首を取れなかったのが、やはり痛すぎる。そのせいで、私が信長を討ったということを、まだ信じ切れていない者が多いようだ。信長の首を晒し、室町幕府の再興を呼びかければ、こちらに付く者はもっと多かったはずだ。私は、室町幕府になど こだわりはないが、人を集める旗印としては最適なのだ。
だが家康殿だけは、必ず駆けつけてくれると信じている。他に畿内の城主が何人かと、猿と交戦中の毛利家がこちらに付いてくれさえすれば、私の計画は確実に成功する。とにかく畿内の城主には、書状を送れるだけ送る。
6月4日 宮津城にて 細川藤孝
光秀。お前が信長様を討ったことを、信じていないのではない。信じているからこそ、お前との一切の関わりを断つのだ。
6月4日 魚津城にて 柴田勝家
信長様が、討たれた?明智光秀の謀叛…
これが事実ならば、とんでもない事態だ。だが、上杉家と戦っている俺たちが、魚津城を攻め落とした翌日にこんな報せが届くという偶然など、あるだろうか。鵜呑みにはできないぞ。もっと情報を集めろ。
6月6日 岸和田城にて 丹羽長秀
津田信澄は討つことができた。信澄が光秀と手を組んでいたかどうかなどは、もうどうでも良いことだ。信長様が討たれたというのに、何の軍事行動もしないというわけにはいかないだけなのだ。これで一応、敵の勢力を攻撃したという事実ができた。
それにしても、奇襲をかけたというのに、信孝様の指揮は危なっかしくて冷や汗が出た。あれでは織田家でも屈指の戦上手の光秀に挑むなんて無謀だ。やはりここは自重し、(柴田)勝家が京に戻るまで待って、光秀を挟み撃ちにするのがベストだろう。
6月6日 魚津城にて 柴田勝家
長秀からも同じ内容の報せが届いた。これは事実だ。
ここにいる兵は四万を超える。二万を残し直ちに京に向かう。まずは加賀の北之庄城に戻るぞ。
6月8日 勝龍寺城にて 明智光秀
あの猿が毛利家と講和し、もう姫路城まで撤退して来ているようだ。さすがに猿は頭が切れるし動きも早い。信孝の軍で信澄を攻め、わざわざ自軍の戦力を削ってくれた丹羽長秀などとは 大違いだ。
しかし毛利家がなぜ、この反攻の大チャンスを活かさなかったのか疑問だったのだが、 私が送った書状が毛利輝元に届かず、なんと猿の手に渡ってしまっていたようだ。私の書状が敵に利してしまうとは、何という不運か。いや違う。運などは関係ないのだ。
敵方に捕らえられるような伝令を使ってしまった私のミスだ。毛利には、もっと気の利いた者を選んで向かわせるべきだったのだ。信長の首といい毛利への伝令といい、重要なところで失策続きだ。
説明できない何かが、私の行く手を遮っているように感じる。今、私だけでは猿に勝てないだろう。
家康殿、早く兵を出してくれ。
6月8日 北之庄城への進軍中 柴田勝家
くそっ、信長様の横死は、上杉や一向一揆にも知られてしまっている。こちらの撤退を執拗に阻んできやがる。
石山本願寺とは講和したが、越中や加賀の一向一揆には、そんなもの関係ないようだ。しかし、今さらこいつらと講和している暇などない。
初めの報せを受けたとき、どうして俺は、すぐに半分だけでも兵を返さなかったのだ…。
6月9日 岡崎城にて 徳川家康
なんでだ。秀吉が、数万を連れて京に近づいているらしい。もう播磨か摂津あたりにいるんだって。いくら俺が出兵に手間取ったからって、毛利と戦っていた秀吉が、俺より早く京に着くなんて信じ難いよ。いや、急げばまだ、俺のほうがちょっと早いか。
でも、やっと掻き集めたこの兵では、すでに臨戦体制の秀吉の軍にはとても勝ち目がない。織田家の主力部隊が京にいないっていう最高のタイミングでもあったから、俺も明智殿の計画に乗ったのにな。
明智殿に呼応した城主も少ない。本能寺は焼け落ちたらしいし、明智殿は信長の首を取れなかったんだろうね。ちょっと困ったね。
出兵するの…やめちゃおうかな。




